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広志と由布子は何も話さずにただ、黙々と歩を進めていた。
方角の見当は大雑把ながら広志が把握している。
目印がないのが心細かったが、恐らく大きくは間違えないだろうと踏んでいた。
二人の手はしっかりと握られたままだった。
由布子を立たせるために差し出した手。
その役目を終え、もう手を握りあう理由など存在しなかったが、広志はその手を離さなかった。
緊張で汗ばむ手のひらは少しだけ湿っていたが、不思議と気持ちは悪くなかった。
むしろ、広志にとっては柔らかい由布子のその手は今までに味わった事のない、甘美な感触だった。
”俺、変態かも・・・こんな時だってのに・・・。”
広志は自分を責めてはいたが、その手を離す、という結論には至らなかった。
むしろ自分に向けたその悪態そのものが、自分に対する言い訳でしかないのだ。
心臓は死への恐怖でいつもより速く鳴っているのか?、
それとも、由布子への、異性への興奮がもたらしているのモノなのか?
それを判断する事は出来なかった。
いや、そんな事に何の意味も見出せなかったという方が正しいだろう。
広志はこの極限の状態でも、由布子の、
風が運ぶ微かな髪の香りと、柔らかい肌に魅せられていた。
後ろを振り返り、由布子の顔を見る。
改めて見てみると、容姿は悪くない。
むしろ、キレイな顔立ちだった。
若干幼さが残るものの、どこか儚げな雰囲気とのミスマッチが魅力を書き立てているように感じた。
柔らかい手は、その身長に会わせたように小さい。
短く刈られたショートカットは夜の風に、さらさらとなびく。
ふと、目が合う。
その瞬間、広志の顔や、首の付け根や、胸や、とにかく体のいたるところから噴出すように熱いものが沸き起こる。
緊張が引き起こす汗とはまた違う、汗。
おいおい・・・。
ちょっと待てよ、俺。
プログラムだぞ?
殺し合いだぞ?
ドキドキしてんじゃねぇよ・・・。
あほかっ。
まじで。
でも・・・
手、やわらけぇ・・・
うわ、俺変態だわ。
絶対。
アタマおかしくなったか?
ってか、谷津・・・
こんなかわいかったっけ?
・・・。
だめだ、俺。
完璧アタマ変。
昨日まで、何も意識してなかったのに。
突然コレかよ。
尻軽いな・・・俺。
いや、女じゃねーから尻じゃねーか。
じゃ、なんだ?
・・・。
どうだっていいじゃねーかよっ。
・・・くっ。
これが修学旅行の肝試しとかだったら・・・
告白くらいしそうだな。
って、おい。
惚れたのか?
嘘だろ?
いや、惚れてないって・・・
落ち着けって、俺。
・・・。
アレだ。
アレ。
まーなんつーか
その
アレだな。
アレ。
ほれ、普通の場所で出会うのと、つり橋だと――
どきどきしてるぶんだけ、つり橋の方の相手が素敵に見えるって
アレだ。
そうに違いねー。
うん。
間違いない。
・・・。
でも、かわいいな。
・・・おい。
「さっきの―――」
由布子が突然口を開く。
広志の自問自答は一瞬にして終わりの幕を引く。
少しだけ歩幅を狭くして、心臓が早鐘のように鳴るのを感じながら言葉の続きを待つ。
道は背の低い雑草がまるで芝のように均一に敷き詰められている。
所々に大きな石が顔を出してはいたが、それくらいは月の明りで充分に避けられた。
獣道と言うやつなのか、細い線のように林を走る雑草の裂け目も見える。
風は穏やか。
「―――さっきの?」
広志は止まったままの言葉の続きを待ちきれずに尋ねる。
由布子は言葉を捜すようにうつむいている。
少しだけ、きつく手を握る。
その感触で、広志は由布子が何か大事な事を話すのだろうと確信する。
広志は歩きながら体を半身にし、半分を後ろを歩く由布子に向ける。
「さっきの、どうして、ひとりだったのかってやつ・・・。」
だんだんと語尾が震えていくのがわかる。
相当辛い事だったのだろうと広志は察する。
「・・・あの、小学校のときの、里子ちゃんって・・・覚えてる?」
「んー・・・あー、いたな、そんなやつ。」
広志と由布子の通っていた小学校の同級生。
近藤里子。
由布子が一人ぼっちになる前は、里子のグループにいたことを思い出す。
典型的なリーダー。
ちょっとその傲慢さが鼻につくので、広志は距離をとっていた。
「近藤だっけか?それが?」
広志は話の切り出しが意外だった。
「・・・里子ちゃん、柳原くんのこと、好きだったんだよ・・・。」
「えっ?」
広志は少しだけ照れる。
そして、こんな状況でも照れるもんだなと、呆れる。
「ふ、ふーん・・・。」
平静を装うつもりで出した声が、若干震えているのはご愛嬌。
そして、沈黙。
やがて、当り前の様な疑問が持ち上がる。
「それが?」
広志は尋ねる。
しばし、言葉を選んだ後、由布子はそれに答える。
「でね、その、私、柳原くんと、その、少しだけ、仲、良かったから・・・」
途切れ途切れに言葉を区切り、言いにくそうに話す。
「だから、その、里子ちゃん、怒って・・・。」
広志は正直、”そんなことで?”と思った。
そして、ある事にも気付く。
「ふーん、ってか、谷津・・・なんで”柳原くん”なんて呼ぶの?
小学校ン時はヤナギーとか広志ちゃんじゃなかったっけ?」
「あ・・・うん、ごめんなさい・・・。」
「いや、別に謝んなくてもいいけどさ・・・。で?」
「・・・でね、その、もう、柳原く・・・ヤナギー・・・とは、その、口利くなって・・・。言われて。」
「ふーん。」
素っ気無い返事をしながら、近藤里子のちょっとイヤミっぽい笑顔を思い出す。
「・・・。」
沈黙。
「え?それだけ?」
「・・・ううん・・・それから、他のコも・・・他の男の子と、話さないでー・・・って。」
「うん・・・。」
「なんだか、誰に話し掛けるのも、その、他のコの顔色とか、えと、伺わなきゃいけなくなって・・・」
「それで、喋んなくなったの?」
「・・・・・・・うん。」
「そっか・・・。」
「・・・。」
「でも、女子とは喋れたろ?それだったら。」
「・・・うん。でも、その、仲間ハズレとか・・・その、されちゃったし。」
「何で?―――!!
広志は自分の質問の答えを見つける。
自分の記憶の中から。
広志は、由布子が自分に話し掛けなくなった頃ソレを不審に思い、由布子にちょっかいをかけていた。
子供心に、嫌われたかな?
とは思ってはいたが、納得のいかない部分が多く、それを確かめたいと思ったのだ。
もちろん、由布子は頑なに、口を真一文字にしたままうつむいていた。
少し経つと、広志は由布子に話し掛けなくなった。
そして、今日までほとんど口を利く事はなかった。
知らない事が多すぎる。
と、広志は思う。
謎が解けたとして、それに何か言って上げられるほど広志はオトナじゃなかった。
その問題に大きく自分がかかわっている事が、広志を戸惑わせた。
浮ついた気持ちは地平線の彼方へ消えていく。
少し押し殺した声で広志は話す。
「俺・・・ごめん、俺の・・・せいで。なんていうか・・・ごめん。」
由布子は慌てて否定。
「ううんっ・・・ヤナギーのせいじゃないよ・・・その、私がバカだっただけ・・・。」
由布子は首をぶんぶんと横に振りながら、さっきよりいくらか早口で言った。
広志は足を止め、由布子と正対する。
「・・・いや・・・ごめん。」
そういいながら少しだけアタマを下げた。
自分が謝る事じゃない事はわかっていた。
それでも、そうしないわけにはいかなかった。
そうする事によって、罪の意識から、無意識に逃れようとしていた。
「・・・そんな・・・ヤナギーは悪くないよ・・・。私の方こそ、ごめん、嫌な話・・・しちゃって・・・ごめんなさい。」
由布子も頭を下げた。
広志はその姿を見て、こみ上げるナニカを感じた。
頭を下げたままの由布子の肩に手を添える。
「―――ごめん、今度は・・・
今度は――――ちゃんと守ってやる・・・から・・・。」
勢いに任せて言ってみた。
そういうセリフに憧れていた。
奥手とはいえ、色恋沙汰には興味津々だった。
きつい練習でそれどころではなかったが。
自分の言葉が、”好き”というニュアンスを含んだとわかって口にした。
直接的ではなかったが、その時の広志の正直な気持ちだったのであろう。
由布子は涙を少しだけ浮かべた、潤んだ瞳のまま、勢いよく顔をあげる。
簡単に人を信じられなくなる。
普通の時でも、そうだ。
それでも、この状況で、由布子は広志を信じていた。
自分の身を省みずに、自分を救うために飛び出してきた。
それだけで理由は充分だった。
極めつけは、広志は由布子にとって初恋の相手だった。
想いを告げる事さえ許されなかったけれど、
史上最低の殺人ゲームに放り込まれたけれども、
由布子は神に感謝する。
たとえ、嘘でも、社交辞令でも、嬉しかった。
その目を見、広志の胸をナニカが走り抜けた。
困惑した気持ちの中でそれが何なのか、よくはわからなかった。
それでも、はっきりとしていたのは、
今、自分の言った事は紛れもない自分の気持ちだという事。
嘘も、気配りも、優しさも何もない。
ただの、自分の気持ち。
きっと人は
それを恋と呼ぶのだろう。
[残り33人]
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