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「よ。」
格納庫のだだっ広い空間の、片隅に置かれたオイル缶にちょこんと座った少女は、
軽く右手をあげ、そう言った。
あまりにも軽い、挨拶。
慶はグロックを構えたまま、緊張が張り詰めていくの感じる。
照準を芽衣に合わせたまま、ゆっくりと格納庫を見渡す。
他に人影は見当たらない、一人なのかあるいは仲間が隠れているのか。
慶の頭は若干パニックを起こす。
何故、この状況で何事も無いように振舞えるのか。
そして、なんのためにここに留まっているのか。
慶には見当もつかないばかりか、自らが危険の真っ只中にいることすら上手く飲み込めない。
「誰もいないよ。」
芽衣は慶から視線をはずし、テーブルの上に置かれた水のペットボトルをラッパ飲みであおる。
「な、何をしてる? ここで。」
慶は自分らしくないと感じていた。
慌てている。
しかし、慌てていたのはその前だ。
誰もいないという確証のないまま、この格納庫へ入った。
はやく、落ち着ける場所へ行きたかった。
それを焦ってしまった。
慶がいくら落ち着いているとはいえ、所詮は子供だった。
漫画のような”殺し屋”みたいにはいかない。
この異常なゲームの中で、本当に冷静でいれる人間などいない。
いるとすれば、気が狂ったか、人間ではないかのどちらかだ。
慶は、”落ち着いたよう”に行動する事しか出来てはいなかった。
本当の意味で、自分を、自分の感情を、コントロールすることは出来てはいなかった。
そんな自分自身に舌打ちをくれ、グロックのポイントを合わせ直す。
口に溜まった唾液を飲み込み、呼吸を正そうと努める。
そんな慶を尻目に、芽衣はひょうひょうと目の前のパンくずをかき集め、
小さなビニール袋に集める。
そして尋ねる。
「なにやってんの? そんなとこで。あ、そだ、ご飯食べた? 」
慶は耳を疑う。
何を言っているんだ?
これはプログラムだぞ?
殺し合いだぞ?
俺とお前は敵なんだぞ?
ご飯?
気でもフレてるのか?
それとも俺を油断させようとしているのか?
慶は、照準を外さない。
芽衣の問いかけには答えなかった。
芽衣はもう一度尋ねる。
テーブルの上にひじをつき、その拳の上に自分の頭を載せる。
「・・・あのさ・・・もう一回聞くけど・・・ごーはーん、たーべーたー?」
「い、いや・・。」
慶は仕方なしに答える。
そうすることで次の展開が見えるはずだと確信していた。
警戒は緩めない。
あまりにも自然な芽衣の振る舞いが、逆に不自然に見えた。
格納庫の奥に、廃材の影に、誰かが銃を構え狙っている。
佐々木は俺を油断させ、その間にその誰かが俺を撃つ。
そう、考える。
そんな慶の疑いをものともせずに、芽衣は鞄から小さな瓶を取り出した。
「ジャムあるよ? パンなかったらあたしのまだあるから半分コしよ? 」
そう言いながら小首を傾げた。
慶ただ、唖然とする。
”まるで狐につままれたような”を、始めて体感していた。
芽衣の周りだけが日常だった。
あの平和な。
退屈とまでは言わないけど、平穏で穏やかな日常。
芽衣は再び口を開く。
「慶くんなにやってんの? そんなとこで。固まったまま・・・。
――あ、そか、あたしの事警戒してんのか。気付かなかったゴメンゴメン。
あたしの武器コレ。―――あげる。」
早口でそう言って、小さな缶を投げる。
その缶は一度地面に落ち、コロコロと慶に向かって転がっていく。
缶には”催涙”と書かれていた。
慶は少しだけ警戒を解き、缶を拾い上げる。
「あたし、このゲーム興味ないから。
それに、ここには誰もいない。あたし一人だけ。
慶くんが見えたから。
随分外でゆっくりしてたみたいだけど―――
ここに来るのが慶くんだってわかってたから隠れなかった。
信用できる?
もし、出来ないなら出て行って。
あたしはいつもの慶くんと話がしたい。
そうでない慶くんなら、興味ない。
今すぐ出てって。」
芽衣は、全くいつもの調子で早口に告げる。
その特徴的なあっけらかんとした口調で。
慶はわが目を疑う。
幻を見ているようだった。
そこにいるのは、”プログラム”の真っ只中にいても決して自分を見失っていない一人の女だ。
嘘を言ってはいない事はわかる。
現に、いつ撃たれてたとしても仕方の無い状況にして全く警戒を示さない。
撃つならばご自由に? といわんばかりの貫禄だった。
慶はグロックをしまわずに左手に持ち代える。
まだ、完全に信じきったわけではない。
また、芽衣は自覚が無くてもこの近辺に誰かがいる可能性は捨てきれない。
しかし、慶はゆっくりと照準を外す。
芽衣は動かない。
オイル缶に座ると足が地面に届かないのか、ぶらぶらと揺すっていた。
時折、足が缶にあたり、ガンと音がなる。
照準をはずした事も、照準を合わされていたことも大して問題ではないかのように佇む。
慶は尋ねる、頬はまだ狐につままれたままだ。
「俺が、正気じゃなくて、突然、銃を撃つとは―――考えなかったのか? 」
まるで自分の声には聞こえなかった。
ただ、頭に浮かんだ言葉が音に変わっただけのように感じる。
芽衣は間髪おかずに答える。
まるで、そう聞かれたら、こう答えようと答えを用意していたように。
「慶に撃たれて死ぬなら、本望。」
芽衣はそう答え、にかっと笑う。
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