初版2007年4月24日 著者:草加床ノ間
ドラドラドラ。ドラは増えることはあれ減ることは無い。どれだけドラを持って和了するかが勝負。現代インフレ麻雀の象徴である。
さて,このドラはかつて懸賞牌とか芸者牌と呼ばれ,前局の和了牌がドラとなっていたらしい。
そして,ドラの出現と同時にドラ爆弾が横行した。ドラ爆弾は本当に積み込みの初歩の初歩である。前の局に積み込み材料を確保しておく必要は全く無いし,さいころの目が狂っても,そのときは仕込み牌がドラになることはまずない。
話が横道にそれたが,私が一番ドラに非合理を感じるときは,裏ドラ1枚で3,900が7,700になったり2,600が5,200になるときである。
こんな不確定要素で得点が2倍になったりならなかったり。まるで,羽根物での8ラウンドか15ラウンドかの継続の抽選のようである。Vに玉を入賞させるまで,同じ過程なのに・・・
WWWのどこかの2ちゃんねるのログ倉庫みたいなところで,ドラは1種類につき何枚使いでも1飜にしたらいいというデノミ案があったのを記憶している。
私の意見では,ドラは都合2枚から1飜で,1枚増えることに1飜・・・なんてのはどう?もっと言えば,飜牌扱いで刻子でしばりにかなう1飜でもいいか。
やっぱり却下ですか。では,本日もドラ収集に邁進しますか・・・(涙)
どこの世界にもインフレーションは存在している。
ナムコのギャラクシャンは3万点もスコアを出せば,かなりハイレベルだったが,その後インフレが進み1千万点でも大したことが無いゲームが多く登場した。
パチスロで3号機〜4号機中期までは5000枚も出せば英雄だったが,4号機末期では1万枚くらいでは自慢できなくなった。
競馬も万馬券という言葉が久しく使われたが,単式馬券や3連勝馬券の登場により万馬券の希少価値は皆無になり,50万馬券でやっと従来の万馬券の希少価値ぐらいになった。
麻雀も当然,インフレーションに歯止めはきいていない。
満貫の点数が散家2000点,荘家3000点だったときがあったなんて知る人は少なくなってきたと思う。それが場に2飜(バンバン)がついてしまい,無条件で4倍の点数になった。つまり,満貫の点数は散家8000点,荘家12000点となったのである。
三元牌,自風牌,荘風牌を刻子にすると1飜となるのはアールシーアール麻雀が成立してからちょっと後のことになる。刻子1組で1飜は当時としてはかなりできやすい役だったのである。
しかし,今となっては・・・なんて言いたくはないが,パチスロで液晶演出ばっかりになり,本来のリール制御や出目による面白さが失われてしまったのと同じ感じである。
赤牌,割れ目,焼き鳥・・・。4号機末期のパチスロは何かにつけて強制的な連荘ゾーンが存在した。それと同じようにベクトルが大味な勝負に向かっていっているのである。
パチスロは5号機になって多少はデノミ政策になってきたのか。
麻雀のデノミ政策は,全然そんな気配はなさそう。中国麻将国際ルールなら,私には丁度いい温度かなと思うが・・・
ちなみに,デノミと言っているが,ここでは単に単位を小さくするのではないので語弊のあるところだが,ご勘弁を。
半荘1回に1時間半も掛かったよと嘆く人がいる。得てして,そう言う人は時間ばかりにとらわれている傾向があるように思える。
問題は,時間の掛かり方である。リーチをかけられて,安全牌がなくて打牌に時間が掛かる人をよく見かける。正直に言えば,こういう人に時間がどうのこうの言う資格はないように思う。
だが,時間の掛かる原因が連荘のせいにされる場合が多い。連荘で時間が掛かって何が悪いのか。それが麻雀ではないのか。
残念なことに時代の流れは,時間短縮をルールに求めている。聴牌連荘とか和了連荘である。
現在の人間の都合で,本来の味を失ってしまうのは本当に残念である。
典型的なのが,バレーボールがサイドアウト制からラリーポイント制に変更されたことである。これにはがっかりした。野球はまだ同点の延長戦をするしないのレベルで助かっているが。
サッカーやラグビーとは違い,麻雀もバレーボールや野球と同じように1単位の時間が短かったり長かったりする。現代社会になって,終了時間に不確定要素が多いのを嫌う人間が増えてしまった。
時計を気にしないで麻雀を打ちたいものである。と言ってももちろん,ふんだんに考慮時間を使うというわけではない。
話のついでになるが,考慮時間ならいいが上達を目指すなら「迷い」に時間を使ってはならない。例えば,放銃(振り込み)したらどうしようという「迷い」だけで他人を待たせるべきではない。
余談だが,競馬の世界もステイヤーが敬遠され,中距離やスプリントが重視されてきている。やりきれないものを感じるのは,私だけではないはず。