† 第参話 †

 

ヴン…、と、不意に、空気が震えるような音がした。

サンジが拘束された椅子が、ゆっくりと競り上がる。

それはある程度、高くなったところで止まり、今度はゆっくりと背もたれが倒れ始める。

それと同時に、腰掛の部分が持ち上がる。

両足が固定された足掛け台が、左右に開き始める。

「な、んだよ…ッ…、これ…ッ!」

サンジがもがく。

股関節が限界まで広げられ、腰ごと大きく持ち上げられた格好になる。

それはまさしく妊婦の出産ポーズで、ピアノ弾きからはサンジの何もかもが丸見えになっている。

羞恥と嫌悪にサンジはもう言葉も出ない。

ただめちゃくちゃにもがいて、何とか逃れようとしている。

せめて、大きく開かれた足を閉じようと。

しかし、しっかりと革のベルトで拘束された足は、どれだけ暴れても、びくともしなかった。

「クソ野郎! 離しやがれ!」

たまりかねてサンジが叫ぶ。

堪えがたいほどの羞恥と嫌悪と屈辱で、サンジの顔は真っ赤に染まっている。

「いい格好ですよ、サンジ…。」

ピアノ弾きが呟いた。

その口元には笑みが浮かんでいる。

「あなたは本当に…綺麗だ…。」

そう言いながら、ピアノ弾きは自分のズボンのファスナーを下ろした。

そこが明らかに勃起しているのを見て、サンジが息を呑む。

「ッ…おい…待て、マジ、かよッ…!?」

サンジがうろたえたような声をだした。

ピアノ弾きは笑みを浮かべたまま、ゆっくりと近づいてくる。

 

「やめろ!!!」

我を忘れてゾロは叫んだ。

サンジが驚いたようにゾロを見る。

 

その瞬間、

「くふ。」

ピアノ弾きが変な声で笑った。

 

そして無造作に、ピアノ弾きは猛った性器でサンジを貫いた。

 

「う、…あッ…ッッッッッ!!!」

 

声にならない悲鳴とともに、サンジが、不自由な背をのけぞらせる。

 

拘束されているサンジの手が、ぐっと拳を握るのが、ゾロから見えた。

歯を食い縛っている横顔も見える。

ピアノ弾きが、深く腰を入れると、サンジの喉がぐぅっと鳴った。

 

さすがのゾロも思わず奥歯を噛み締めた。

同じ男として、こんな風に犯される事がどれだけ屈辱か、手に取るようにわかる。

ましてや、このコックは普段、男など塵か芥と等しく扱うほどの過剰なフェミニストだ。

 

「ふふふ。うふふふふふふふふふふ。」

ついにピアノ弾きが壊れたように笑いだした。

「ああああ…、どうです、見てください、海賊狩り…。私の、私のペニスが、サンジの中に入っていますよ…。」

くふふ、と笑いながら、ピアノ弾きは腰を突き入れた。

ぐちゅ、ぬちゃ、と生々しい音がする。

サンジは歯を食い縛って耐えている。

「ああ…、ああ…サンジ、あなたの中は熱い…、あああ…、私を放すまいときつくしめつけてきます…。サンジ、サンジ、あああ、イイ…。イイです…、きもちいい。あー…。」

 

ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ。

 

慣れてもいないケツに無理やりねじ込めば、そりゃあきつかろうよ、とゾロは内心で毒づいた。

裂けてやしねぇだろうな、と、目を凝らして犯されているサンジの後孔を見つめる。

犯されたくらいでこのコックが女みてェにめそめそ泣くだなんてはなから思ってやしないが、肛門を裂かれてしまうと後々厄介だ。

ことに、コックは足技だ。

痛いケツではろくな蹴りは出せないだろう。

 

見たところ結合部から滴り落ちるのは先ほど塗りたくられたジェルのみで、そこに血は混じっていないようだ。

ややホッとしつつも、ピアノ弾きの激しい抽挿に、ゾロはサンジの精神が心配になる。

 

─────くそ…。頼むからこんなことぐらいで頭イカレたりすんじゃねぇぞ。

 

拘束されていてなすすべのない自分に苛立ちを覚えて、ゾロは目の前の鉄格子を何度も蹴りつけた。

頑丈なつくりの鉄格子は、蹴りつけてもびくともしない。

背後に回された手枷も、がちゃがちゃと金属音をさせるばかりで壊れそうにない。

いっそ手首の関節を外せば抜く事ができるんじゃないだろうか、とゾロが思った時だった。

視線を感じて、ゾロはハッと顔をあげた。

 

サンジが不自由な首を精一杯回して、ゾロを見ている。

 

犯され、陵辱に耐えながら、乱れた金の髪の間から、冴えた光を放つ蒼い瞳が、まっすぐにゾロを見据えている。

 

その口がゆっくりと開く。

そしてはっきりと、わかりやすい形をとった。

 

ばーか。

 

ゾロが目を見張る。

サンジの口元に笑みが昇る。

ゾロのよく知った、人を挑発するようなふてぶてしい笑み。

けれどその目はどこか労わるように優しい。

 

なんて顔してんだよ、ゾロ。

バカじゃねぇのか?

んな顔してんじゃねぇよ。

てめェらしくもねぇ。

こんなん、なんてことねェよ。

 

瞳が雄弁に語りかけてくる。

 

すうっと、ゾロの脳天から怒りが引いた。

いや、怒ってはいる。

自分に。コックに。あの男に。

けれど、先刻までのような我を忘れて動転するほどの怒りは、鎮まっていた。

 

コックが苦痛を感じてないはずはない。

その証拠に拳は強く握られたままだ。

突き上げられるたび、僅かに眉根が歪む。

革のベルトで巻かれた膝頭はゾロの位置からでもはっきりとわかるほどに震えている。

この恐ろしくプライドの高い自尊心の塊のような男にとって、不当に組み敷かれ、男に陵辱されるという事が、どれだけ彼を傷つけ、貶めるか。

 

それでもサンジは笑って見せた。

犯されながら。

何も感じてないかのように、いつもの小生意気な不遜な顔で。

 

なんて、強い。この男は。

 

サンジのその、凛とした強さに、ゾロの心がゆっくりと平静を取り戻す。

サンジの蒼い瞳が、ゾロに自分を取り戻させる。

 

ゾロは、サンジの瞳をじっと見つめたまま、ゆっくりと呼吸を整えた。

サンジもゾロから視線を離さない。

 

ゾロが、ふっ、と笑んだ。

 

ばーか。

 

口だけでそう返すと、サンジの目も笑った。

 

てめェこそ、らしくないことしてんじゃねェ。

…出るぞ。ここから。なんとしてでも。

メリー号へ、帰るぞ。

 

 

 

その時だった。

 

 

ドゥン!

 

いきなりの大音響とともに、ゾロの体躯が跳ねた。

「ゾロッッッ!!!」

 

ドゥン!

ドゥン!

 

ゾロの体から血しぶきが散る。

サンジが慌てて振り向くと、ピアノ弾きの手に、銃が握られていた。

「てめェッ!」

サンジが血相を変えた。

ピアノ弾きの顔は、どす黒く醜く歪んでいる。

明らかな嫉妬の顔。

「てめェ! 大概にしやがれッッッ!!!」

サンジが怒鳴ると、ピアノ弾きの血走った目が、ぎょろりとサンジを見る。

そしてもう一度、倒れ伏したゾロに視線を戻す。

「あァ…いけない…。殺してしまうところでした…。」

棒読みのセリフ。

ゾロが呻きながら体を起こす。

左肩と、右のわき腹から、見る見るうちに血のシミが広がっていく。

「ゾロ!」

サンジが叫ぶと、ピアノ弾きが、その銃口をサンジに向けた。

サンジがぎくりと体を強張らせる。

「あなたを犯しているのは私なのに、あなたは彼を見るのですか…?」

のんびりした口調とは裏腹に、ピアノ弾きの目は暝くぎらついている。

「その唇から彼の名前を紡がないでください…サンジ…。」

ピアノ弾きがサンジの唇に銃口を押し当てた。

「咥えてください…。」

サンジがピアノ弾きを睨みながら、ゆっくりと押し当てられた銃口を咥えると、ピアノ弾きはまた、嬉しそうに、くふふ、と笑った。

そして、引き金に指をかけたまま、再びサンジを犯し始めた。

「ぐっ…。」

いつ引き金が引かれるかわからないという恐怖と、撃たれたゾロへの心配と、犯される屈辱と、もう堪えようのない嫌悪。

そんなものが綯い交ぜになった瞳で、サンジはピアノ弾きを睨みつける。

「ああ…いい目です…。ぞくぞくします…。」

うっとりとピアノ弾きが呟く。

「もっと私を見てください、サンジ…。あなたのその美しいアクアマリンに私の姿を映してください…、ああ…ああ…、サンジ…、あなたはなんて最高なのでしょう…。」

 

ゾロは、激痛に霞んだ視界の中で、それを見ていた。

自分の脈と共に、左肩と右の脇腹から、血がどくどくと流れ出るのがわかる。

3発撃たれて、2発食らっちまったらしい。

まただ、とゾロは思う。

また、あの男の気配が読めなかった。

訓練されて身についたわけではない、男の独特の生気のなさに、ゾロは翻弄されていた。

左肩を動かすと、ぶしゅっと血が噴き出てくる。

だが腕は動かせる。

動かせればどうということもない。

それよりもサンジだ。

 

─────あの…野郎…ッ

 

ピアノ弾きは銃口をサンジに咥えさせたまま、サンジを犯している。

その指は引き金にかかったままだ。

何かの弾みで引き金が引かれたら、サンジは即死だ。

ゾロの背筋に冷たい汗が流れる。

ゾロは奥歯を噛み締めた。

 

どこまで…サンジを貶めれば気が済む。この男は。

 

突き上げてくる憤怒で我を忘れそうだ。

それを見ているしかない自分にも憤る。

けれど自分がまた何かする事でサンジがこちらを気にして、万が一引き金を引かれてしまったら、と思うと、身動きひとつできない。

 

ぬちゅ ぬちゅ ぬちゅ めちゅ…

 

ピアノ弾きは陶然とした顔をしながら、夢中になってサンジを犯している。

ゾロからは、サンジの顔は髪に隠されて見えない。

銃口を咥えさせられても、サンジは呻き声ひとつあげず、耐えている。

頭上に引き上げられ、縛られた拳は、強く握られたままだ。

「じゅ、銃をフェラチオするのは…気持ちがいいですか…? サンジ…。」

と、ピアノ弾きの下卑た声がして、ゾロは本気でこの男を賽の目に切り刻んでやりたいと思った。

「あああ…、サンジ、サンジ、イきそうです…っ!」

ピアノ弾きの腰の動きが俄かに早くなる。

「中に、中に出しますからね…、あなたの中にっ…、あああ…、あなたの中に射精しますよ…っ、中出ししますっ…、ああ、サンジ、サンジ、サンジ、サンジ、サンジ、サンジ、サンジ、あああああ」

ピアノ弾きが、不意にサンジの口から銃口を引き抜いた。

銃をサイドテーブルに放り投げ、サンジの腰を両手で抱える。

「私の全てを受け止めてください、サンジ! あああああっっ!」

まるでピアノ弾きこそが犯されているかのようなあられもない嬌声を上げて、ピアノ弾きが大きく胴震いをした。

サンジが唇をかみ締めてあごを反らす。

ピアノ弾きは、痙攣するように全身を震わせている。

 

さすがのゾロも正視に耐えず、目を背けた。

 

はーっはーっと息をついて、ピアノ弾きがサンジから体を離した。

ぬちょり、と音がした。

 

「うふ…うふふふふ…ふふふふふふははははははははははははははは。」

常軌を逸した笑い声が、室内に響き渡る。

「あなたの中に出しましたよ、サンジ! 私の! 私の精液を! 私のペニスがあなたのアナルを犯して、貫いて、あなたの腸の中に私の子種を注いだのですよ…。アア、あなたはすばらしい…。私の子種を余すところなく全て受け止めてくれました。ああ…」

サンジは無言でピアノ弾きを睨みつけている。

「ほら、見てください、見てください、サンジ、ほら…。」

だが、ピアノ弾きが再びサンジの体に手をかけた瞬間、サンジの体はびくりと跳ねた。

恐怖に、竦むように。

それを見て、ピアノ弾きの顔が、はっきりと愉悦に歪む。

「あなたのおなかの中は、私の精液でいっぱいですよ…、サンジ。」

ピアノ弾きの両手が、今犯されたばかりのサンジの後孔に伸ばされた。

「よ、せ…ッ!」

サンジが掠れた声を上げる。

「ほら、こんなに…、ねえ。」

後孔に指し入れられたピアノ弾きの両手の動きは、ゾロからは見えない。

けれど、ピアノ弾きが、「ほら。」と言うと、床に白濁液がぼたぼたと滴り落ちた。

あまつさえピアノ弾きは、それを指で掬い上げて、サンジの鼻先を突きつけた。

 

途端に、

「ゥ、────げぇッ!」

サンジが全身を痙攣させて激しく嘔吐した。

げえげえと何度も苦しそうにえずく。

それはなかなか止まらない。

「ああ…。」

ピアノ弾きが笑顔を浮かべたまま、それを見ている。

「いけませんね、サンジ…。食べた物を吐くなんて…。食べ物を無駄にするとオーナーゼフに叱られてしまいますよ…。」

「てめぇの薄汚ぇ口でジジィの名を言うな!!!」

反射的にサンジが激昂して叫んだとたんに、ピアノ弾きの顔が再び嫉妬に醜く歪んだ。

「………………そうやって私を拒絶しているつもりなら…どこまでそれができるかやってみるといい…。」

低い声が、早口に言った。

 

─────バカ、煽んな…

 

ゾロが唇を噛む。

 

犯りてぇだけ犯らせてやれ。

だけど無闇に煽るな。

こいつは狂人だ。

犯すことで満足してるんなら、体なんていくらでもくれてやれ。

命さえあれば後は何とかなる。

命さえあれば。

 

心の中で何度も呟く。

 

だがゾロの頭の中は、得体の知れないノイズが鳴り響いている。

 

サンジのむき出しの足、サンジの白い尻、犯された後孔、滴り落ちる白濁。

そんなものがやけに生々しく、やけに扇情的に目に焼きついて、ゾロは動揺していた。

 

馬鹿野郎、俺が自分を見失ってどうする。

このコックが犯されてるくらい、どうってことねぇだろう。

女じゃねぇんだ。

ぶん殴られてんの見てるのと、これは大差のないことだ。

コックが殴られてんのなんか見慣れてるだろう。

もっとひでぇ血みどろの中にいたのだって見ている。

それに比べりゃあ、こんなもん、どこも切り刻まれてもいねぇ、血も出てねぇ、骨も折ってねぇ、どうということはないはずだ。

俺が動揺してどうする。

 

今、一番優先されるべきは、サンジの命だ。

 

サンジは完全に拘束されている。

自分は後ろ手に縛られ、鉄格子から出られない。

 

敵の手の中だ。

 

焦るな。

焦るな。

好機を待て。

 

けれどゾロは自分でよくわかっていた。

焦るな、と自分に言い聞かせているという事は、自分がすでに焦っているという事だ。

 

この男はサンジを犯して満足したら、その後はどうするつもりだろう。

たぶん、ゾロの事は殺すだろう。

サンジも殺すかもしれない。

殺さずにこのまま自分のものにするかもしれない。

もし、サンジを殺さずに自分のものにしようとするなら、これだけ粘着質な男の事だ、ゾロをただ普通に殺しはしないだろう。

わざとサンジの前でなぶり殺しにするに違いない。

それなら、好機はその時に訪れる。

例え四肢が砕かれようとも、この男だけは必ず殺す。

そしてサンジと共にメリー号に帰る。

必ず。

 

─────クソ…、せめて、一本だけでも刀がありゃあ。

 

ゾロの刀は三本とも、この店に入るときに、クロークに預けてしまった。

 

─────ナミは…ここのログがどれくらいでたまると言ったか…

 

確か、一日だ。

今日中にゾロ達が戻らなければ、少なくともナミは異変に気づくはずだ。

 

…しかし、だからといって、彼らがこの店までたどり着けるかという問題がある。

 

受付係からも、ゾロをここへ案内したウェイトレスからも、職務以上の“気”は感じられなかった。

彼女たちが何らかの害意を持っていたとしたら、それがどんなに微かなものであってもゾロは気がついただろう。

ということは、この店の“表の顔”は、本当にごく普通のレストランだということだ。

たぶん、表の店の従業員たちですら、この店にこんな裏面がある事など、知りはしない。

ましてや、ルフィ達が気づくだろうか。

 

いや、気づかなかったとしても。

あの連中なら、ゾロとサンジが戻らなければ、きっと二人を探して大騒ぎをする。

一騒動起こしてくれれば、それだけ好機は訪れやすくなる。

 

ならば、今、ここでゾロにできる事は、無用に抵抗せず、体力を温存して、そして好機の一瞬を逃さないことだ。

そしてサンジにできる事は…、なるべく時間を引き延ばすこと。

 

せめてルフィ達が気づくまで。

 

相手の執着を増させる。

ただ殺すのは惜しいと思わせる。

 

 

体を使って。

 

─────体を使って…?

これ以上、コックを犠牲にしなければならないのか…?

 

いや、落ち着け…。

クルーの誰かが、勝つために囮になることなど、いつものことではないか。

犠牲、とかそんなんじゃない。

それぞれがやれることをやるだけだ。

なのに…。

 

「俺を気持ちよくさせる事ひとつできねぇでよく言うぜ。」

 

蔑んだ、冷めた声がして、瞬間、ゾロは自分の耳を疑った。

声音の中に含まれる、はっきりとした淫らな挑発。

まるでゾロの心の中に呼応したかのように、タイミングのいい、サンジの声だった。

サンジのその言葉で、ゾロは、サンジもまた、ゾロと同じ結論を導き出したのであろう事を悟る。

 

「てめぇだけが俺に突っ込んで気持ちよくなっただけだろうが。あいにくと苦痛には慣れてるんでな、この程度なら屁でもねぇよ。」

 

普段どれだけケンカばかりしていても、戦いの時だけはお互いが何を考えているのか、どう動こうとしているのか、お互いに手に取るようにわかる。

だからきっと、ゾロが考えたのと同じ事を、サンジもまた考えたに違いない。

 

だけどどうしてそれが、今はこんなにも腹立たしい…!

 

「へえ…。言うじゃないか…。」

ピアノ弾きの顔が、引きつったような笑みになる。

 

それなら、と、ピアノ弾きが言いかけたとき、壁に貼り付いていた電伝虫が鳴った。

 

ちっと舌打ちをして、ピアノ弾きはサンジから離れた。

受話器を上げるなり、電伝虫が低い声で喋りだした。

 

『私だ。ロロノア・ゾロを捕まえたようだな。』

「オーナー。」

『部屋を開けなさい。』

 

ぷつり、と通話は切れ、ピアノ弾きがドアの鍵を開けた。

 

仕立てのいいスーツを一分の隙もなく着こなした、紳士然とした品のいい壮年の男が入ってきた。

どこから見ても上流階級の人間に見える。

この男にしろ、ピアノ弾きにしろ、一見して下卑たところがないのだ。

物腰は柔らかいし、所作も洗練されていて優雅だ。

とても人を拉致監禁して強姦に及ぶような輩には見えない。

見えないからこそ、厄介だ。

 

ゾロは、ドアの隙間からちらりと見えた向こうに、すばやく目を走らせた。

見えたのは長い廊下。

そして見張りと思しき何人もの人間。

自分達がいるこの場所は、いったいあのレストランのどこにあるのだろう。

地下か、別棟か。

肌に感じるこの独特の閉塞感は、地下であるような気もする。

考えを巡らせていると、オーナーと呼ばれた紳士がゾロの前に立った。

鉄格子越しに、ゾロを眺めている。

「ほう…。これがロロノア・ゾロ。手配書よりもずっと男前だ。これはいい。」

穏やかな笑みの中、目だけが冷酷な値踏みするような色を湛えている。

「撃ったのかね?」

おやおや、という風に、オーナーがピアノ弾きを目だけで振り返る。

「申し訳ありません。つい撃ってしまいました。」

少しも申し訳なさそうではない口調でピアノ弾きが答える。

「しょうのない…。死んでしまったら値が下がってしまうではないか。」

大仰に身を竦めて、オーナーは言う。

 

値が下がる、とはどういうことだろう、とゾロは考えた。

ゾロの値は六千万ベリーだ。

手配書に「dead or alive(生死を問わず)」と明記されてあるから、死体だって六千万の値に変わりはないはずだ。

この男達はそれ以上にゾロの値を吊り上げる何らかの手段を持っていると言うことか。

いずれにせよ、ロクなやり口ではあるまい。

 

オーナーはひとしきりゾロを検分した後、踵を返して拘束台に近づいた。

「これが君が御執心の真珠かね。」

サンジの前に立って、やはり値踏みする目で見下ろす。

「おや…。吐いたのかね。可哀想に。姫君を粗略に扱うものではないよ。」

「…てめぇの目には俺がレディに見えんのかよ、老眼か?」

サンジが、殊更憎々しげに吐き捨てる。

だが、オーナーはそれを鼻先で笑い飛ばした。

「違うのかね? ロロノア・ゾロの情夫(イロ)と聞いたが。」

オーナーが嘲るように言ったとたん、ゾロの目から、サンジの体が、まるで瘧のように震えるのが、はっきりと見えた。

どうした、と訝むまでもない。

ゾロの脳裏には、屈辱に歪んだサンジの顔が、はっきりと浮かんでいた。

よりにもよって、ゾロの“女”に間違われるなど、これ以上の屈辱は、サンジにとってあるまい。

サンジが怒鳴りださないのが不思議なくらいだ。

けれど恐らく、あの蒼い瞳は怒りでぎらついていることだろう。

「てめぇらはどいつもこいつも舐めたクチ聞きやがって…。」

押し殺したサンジの声。

ありありと怒りを湛えていて、こんな場面だというのに、思わずゾロの口元がにやりとした。

 

ほら、やっぱり怒ってる。

 

「ああ…。君のその怒りに燃えた瞳はなかなかいいね。怒れば怒るほど、その碧眼は反比例して冴えた光を放つようだ。」

オーナーの笑みは、この場にそぐわないほどに柔和で穏やかだ。

それだけに底知れぬものを感じる。

「アイスブルーの瞳、アッシュブロンドの髪、白く薄い肌。…ノースの産だな。少々荒れてはいるが上玉の部類に入るだろう。」

まるで、ペットか装飾品でも鑑別しているかのような口調。

その目は、明らかに血が通った人間を見る目つきではない。

 

「君の私怨だけ晴らすには惜しいな。─────売る気はないかね?」

オーナーは、視線をサンジから話さずに、傍らのピアノ弾きに聞いた。

売る? と、聞き返してから、ピアノ弾きは少し考えるそぶりを見せて、

「でもサンジは19才ですよ。」

と答えた。

その答えに、オーナーが僅かに眉を顰める。

「19? もう少し若いのかと思ったんだが。…商品にするにはややとうが立ってるか…。」

そのやりとりで、ゾロは男たちが何の話をしているのかわかった。

ようするに、サンジを男娼として値踏みしているのだ。

サンジに客を取らせるつもりか、それとも体ごとどこぞのホモ野郎に売り飛ばす気なのかはわからなかったが、どちらにしろサンジは先刻から、プライドをこれでもかというほど踏み躙られている。

これが爆発したときの怒りは相当凄まじいだろうな、とゾロは思った。

「この無粋な髭を綺麗に剃ってしまったら、17才で通りそうだがな。」

「ッふざけんな、てめぇ!!!!」

 

ほら、着火した。

 

それでもまだぎりぎりのところで自分を抑えている。

サンジのこの恐ろしいほどの自己制御は、捕らえられてるのが仲間でなく、サンジ自身だからだ。

もし仲間が捕まっていたら、サンジはこんなに冷静ではいられないだろう。

 

「あァ…、それはいいですね…。」

ふふふ、とピアノ弾きが笑った。

 

「すね毛も陰毛も剃ってしまいましょう。」

 

きっと、もっと美しくなりますよ、と、ピアノ弾きがうっとりした声で呟いた。

 

2005/04/05
改定 2008/12/21

 


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