† 遠き国の剣士 †
その剣士は、店に入ってくるなり「一番強い酒を。」と言った。
そして、ドワーフすらも酔いつぶれる、という逸話のある酒を一気に飲み干し、呆気に取られる店主に向って、顔色ひとつ変えずに、「宿も頼む。」と続けた。
「あんたもあれか、“竜珠”狙いの冒険者か。」
「…まぁ、そんなとこだ。」
店主は値踏みするような目で、緑の髪の剣士を眺めた。
見た事もない異国のいでたちをして、見た事もない異国の剣を三本下げている。
多くの旅人を見てきた店主だったが、男の服と剣は、店主が今まで見たことのないそれらだった。
途轍もなく遠い国から旅してきたのだろう。
それは、すなわち、男が、幾多の困難をも乗り越えてきた歴戦の勇者であることを意味していた。
「確かにあんたは強そうだが・・・、黒竜に挑むなどやめた方がいい。今まで私は幾人となく同じような旅人を送り出してきたが、帰ってきた者は一人もいない。」
すると緑の髪の剣士は、口元に笑みを浮かべてこう言った。
「それこそが俺の待ち望んでいた試練だ。」
もう店主は、剣士に何もかける言葉を持っていなかった。
僅かに嘆息して、「部屋は二階の右端が開いてる」とだけ言った。
それから思い出したように、
「ああ、女はどうする。適当に呼ぶか? 好みがあるか? 見て選ぶんなら、店の裏手に娼館があるが。」
と付け加えると、剣士は、「いや… 俺は…」と、言葉を濁した。
「なんだ、そうは見えなかったが、あんた、そっちの方か。」
「そっち…?」
「ああ、それなら、あんた、運がいいよ。飛び切り上玉がいる。」
どうやら野郎専門だと勘違いされたらしい、という事に剣士が気づいて、冗談じゃない、と口を開きかけたところに、店主の次の一言で、剣士は黙った。
「ダークエルフが捕まったんだ。」
森の中の狩猟小屋に、そのダークエルフは、閉じ込められていた。
小屋の前にいた管理人に、宿屋の主人が二言、三言話し掛けて、帰っていく。
狩猟小屋の管理人が、小屋の戸にとりつけられた大仰な錠前を、がちゃがちゃと外す。
狩猟小屋は、今や本来の目的とは異なる使い方をされているのだろう。
窓が全て塞がれ、室内は薄暗い。
部屋いっぱいに、粗末ながら大人二人が楽に横になれる大きさのベッドが置かれている。
その上に、件の“ダークエルフ”が、全裸にされて横たわっていた。
その裸身を見て、緑の髪の剣士が、やや驚いたように目を見張った。
「本当にダークエルフなのか? 金髪じゃねェか。」
ダークエルフならば、黒い髪と褐色の肌のはずだ。
だが、目の前に横たわる裸身は、薄暗い室内でもはっきりとわかるほど、鮮やかな純金の髪をしていた。
まるで月の光だ。
純血のエルフにも、こんなに美しい色の髪は滅多にいるまい。
そして、病的なほど白い肌をしている。
まるで、透き通るような。
緑の髪の剣士が問うと、狩猟小屋の管理人は忌々しそうに笑った。
「ダークエルフだ。間違いねェ。俺の仲間が三人、邪眼にやられちまった。」
なるほど。邪眼を持つ森エルフはいない。
目の前のダークエルフは両目を布でぐるぐる巻きにされて塞がれ、布の上から邪眼封じの護符が貼り付けてある。
両手、両足にも魔力封じの枷がつけられている。
「たかがエルフ一匹にご大層な縛めだな。」
「ダークエルフの攻撃力を知らないのか? こいつは大岩を蹴り砕いたんだぞ? しかも恐ろしく動きが速い。ヒュプノスの石で眠らせなければ、捕まえるどころか俺達の命も危なかったんだ。」
「ほう…。」
剣士の目が、興味深げに光った。
「そんなに、強い、のか。」
目の前で横たわるダークエルフの肢体は、とても大岩を蹴り砕くようには見えない。
エルフ特有の、薄い皮膚。白い肌。尖った耳。
男でも女でもない、清冽で、そのくせ妙に色気のある肢体。
この優しげな足で、大岩を砕いたというのか。
目の前のダークエルフからは、それはとても信じられない。
魔力を封じられて苦しいのだろう。ダークエルフは、ベッドに横たえられたまま、身動きひとつせず、浅い呼吸を繰り返している。
人間たちの会話が聞こえているのかいないのか。
弱々しくすら、見える。
死にかけているようにすら。
けれどその瀕死にも見える様は、壮絶に、扇情的だった。
「白い、ダークエルフ…か。」
剣士が興味をそそられたように呟いた。
「…いくらだ。」
管理人は即答する。
「一晩7万ベリーだな。」
「…高いな。」
「おいおい、ダークとはいえエルフをやれるんだ、高かねぇだろう。」
しかも、こんな上玉を。と、管理人は言う。
「上玉かどうかはわからんな。ツラがわからねぇからな。」
均整の取れた美しい躰を充分に承知した上で、剣士は平然と答えた。
いや、その美しい体を隅々まで眺めたからこそ、そう言ったのだ。
「ツラが見てェ。」
「あんたも相当豪気だな。」
小屋の管理人は呆れ顔をしてみせた。
「邪眼にやられてぇのか? 俺の三人の仲間は未だに“あっち”行っちまったまんまだぜ?」
「…死んだのか?」
「いや。魂もってかれちまったんだよ。生きちゃいるが、正気じゃあねェ。」
「ふん…。」
剣士がにやりとした。
「心力の強き者は邪眼には惑わされぬと聞いた事がある。」
「あんたまさか…。」
「そのまさか、だ。…こいつのツラが見てェ。」
管理人がため息をつく。
「片目だけだ。片目だけなら見せてやる。」
「片目だけ?」
「
何とのハーフかは知らんが、と管理人が吐き捨てるように言った。
ハーフエルフの目を覆った布を、外していく。
上に巻かれた布を取り去ると、特徴ある眉が現れた。
ただし右目だけ。
左目は、更に布が巻かれていて、そこにも邪眼封じの護符が貼られている。
これだけ厳重に戒められては、さぞ苦しかろう。
呼吸もろくに出来まい。
閉じられていた右目が、ゆっくりと開いた。
美しい碧銀の瞳。
どこかメタリックな輝きを放つ、人ならざる瞳。
その目が、二、三度まばたきをして、目の前の剣士達に気がついた。
途端に、その目がぎらりと殺気を放つ。
「ひ…」
管理人が怯えて後ずさる。
このハーフエルフの凶暴性が骨身に沁みてるのだろう。
だが剣士は、悠然とそのハーフエルフを見下ろしていた。
というより、半ば感心すら、していた。
このハーフエルフの“生気”はあきらかに弱っている。
もはや死にかけているといってもいい。
その証拠にハーフエルフは横たわったまま指一本動かす事ができない。
おそらく捕えられてから食事を一度も与えられていないはずだ。
水すら飲ませてもらえたかどうか。
しかも強い魔力封じによって、間断なく苦痛が与えられている。
その状況下にあって、これだけの強い殺気を放つ、瞳。
傷つけられた矜持に怒る、誇り高いエルフの瞳。
これだけの強さを持ったエルフは、純血のエルフにも純血のダークエルフにも、いないだろう。
たぶん、このハーフエルフは、戒めをとけば、すぐにでも暴れ出す。
己の命など、一切顧みず。
このハーフエルフは、“強い”。
「気に入った。」
剣士が言った。
その一言で、怯えていた管理人は我に返った。
「あ… え?」
「7万ベリーだったな。」
腹に巻いた変わった緑の帯に無造作に手を突っ込み、札束を掴みとると、管理人の鼻っ面に突きつけた。
「10万くらいはあるだろう。持ってけ。」
管理人が慌ててそれを受取る。
そして、剣士の顔を見て、息を呑む。
剣士の口元には笑みが浮かんでいた。
ただその笑みは、完全に戦いに赴く戦士のそれだった。
凄艶で残酷で、冷酷な、笑み。
そのくせ、滲み出る欲望を、抑えもしない。
獲物に出会った、獣の瞳。
今にも舌なめずりをしそうな。
その目で、全裸のハーフエルフを見つめている。
小屋の管理人はぞっとして後ずさった。
「い、いいか、くれぐれも左目の護符は外さないでくれ。」
言いながら、わたわたと小屋から出て行く。
もしかしたら、犯り殺されるかもしれねェな、あのハーフエルフ。
まあ、かまやしねぇか。
あんな邪眼の魔物、いくら見てくれが良くたって売れやしねぇ。
魔力封じの戒めにも金がかかってたところだ。
あんなに凶暴じゃ、抑えとくだけで金がいる。
せめて純血のダークエルフだったらまだ、同族の仲間からお宝でも強請れるが、あの金髪と
おおかた、一族を追われたとかそんなとこだろ。
妖魔の森でもないこんな森を、一人でふらふら歩いてたんだからな。
どんな魔物の血が混ざってんのか、分かりゃしねぇ。
5、6、…の、お、すげぇ、12万ベリーもあるじゃねぇか。
結構もってるんじゃねぇか?あの剣士。
もし犯り殺したら、それを理由にもうちっと金を引き出せるかもしれねェな。
しかし、腕っ節だけは強そうだったが、どこの田舎剣士だ、ありゃ。
邪眼を見てェって言ってみたり、あんなハーフエルフに12万も出したり。
7万つったのだって、相当ふっかけたんだぞ、俺ァ。
どこの世界に邪眼の魔物に金出すアホがいるよ。
ああ、あの
何との混血かわかんなくたって、純血のエルフだっつって売り飛ばせるんだかなぁ。
ついてねぇな。俺ァ。
いや、そうでもねぇか。
とりあえず、12万ベリーになった。
邪眼にやられちまった奴らにゃあ気の毒だが、そのおかげで、この金も俺一人のもんだ。
明日の朝にゃあ、忌々しいハーフエルフの世話からも解放されて、あの剣士からも更に金がふんだくれるってわけだ。
むしろ、あのハーフエルフが死体になってくれた方が、もう邪眼も怖くねェ上に、そういう趣味の奴に高く売れる。
見てくれは、とにかくそこらのエルフよりいいかんな。
案外ついてんじゃねぇか。俺は。
管理人の背後の小屋から、裂くような短い悲鳴が上がった。
おーおー、やってるやってる。
丸太みてぇな太ェ腕してやがったもんな、あの剣士。
きっとさぞぶら下げてるモンも立派なんだろうて。
あの魔物もさぞかし泣かされるんだろうよ。
…ちっと覗いてみっかな。
2004/04/26
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