† 謎の闖入者 †
「やった…! ダークエルフを仕留めたぞ!」
樹木の向こうで、村人達が騒いでいるのが聞こえた。
ハーフエルフは地面に爪を立ててもがいている。
あっという間に、身に纏った薄衣が血に染まっていく。
「油断するな! エルフ族はあれくらいで死にやしねぇ!」
ばたばたと村人達が駆け寄ってくる。
「あんた! 大丈夫か?」
あの狩猟小屋の管理人が、剣士を覗き込む。
「…なんでもない。」
剣士はそう言って、立ち上がった。
エルフの蹴りをくらって、無表情ですぐさま立ち上がる剣士に、管理人は目を丸くした。
「さ、さすがだな…。」
村人達が、ハーフエルフに群がる。
それを見て、小屋の管理人が慌てた。
「あ、おい! 不用意に近づくな!邪眼が…!」
言いかけたとき、村人たちの誰かが声をあげた。
「こいつ、邪眼が封じられてるぞ!」
「ほんとか?」
小屋の管理人が驚いて、剣士を見た。
「あんた…邪眼を封じたのか。す、すげぇな…。」
その目の中に、感嘆と怯えが表れている。
無理もない。
管理人は、剣士がエルフを陵辱するところを見ているのだ。
魔物を犯し、なおかつ魔封じの力も借りずに邪眼を封じるなど、人間の仕業では到底ありえない。
管理人の目には、目の前の剣士が実は人間などではないのではないかと言う警戒心も見て取れた。
そんな管理人とは裏腹に、村人たちは、邪眼を封じられたエルフに、歓喜の声をあげていた。
「邪眼さえなけりゃ、こっちのもんだ!」
無造作に、背に突き立った矢を引っこ抜く。
肉を抉る生々しい音がして、血まみれの矢じりが抜かれた。
返しには肉片がこびりついている。
エルフは、喉の奥で低くうなったが、悲鳴はあげなかった。
だが、剣士からは、蒼白な顔で歯を食いしばるエルフの痛々しい顔が、はっきりと見えた。
「さんざんてこずらせやがって。」
「今のうちに邪眼を抉っちまおうぜ。」
「ああ、ブルーの義眼を入れれば、充分エルフとして売れる。」
「おい! 魔封じをもってこい!」
村人達がよってたかってエルフの体を押さえつける。
エルフは必死でもがくが、その両手は、再び魔封じで縛められる。
「ケツはどうなってる。あのにーさんが相当無茶したらしいぜ。」
その一言で、エルフの纏った薄衣が剥ぎ取られる。
力任せに双丘を割り開かれる。
エルフの体が跳ねた。
「ああ、ひでーもんだ。」
「具合が良くなって丁度いいんじゃねぇか?」
下卑た、笑い声。
エルフの顔は、屈辱と苦痛ですっかり色を失っている。
その蒼い瞳だけが、怒りにぎらぎらと燃えている。
傷つけられ、男達の手によって組み伏せられ、犯された傷痕を晒される。
それは、誇り高く貞操観念が強いというエルフにとって、どれだけ屈辱なのであろう。
剣士の中に、なんともいえない不快感がこみ上げる。
それが何故なのか、剣士にはわからない。
わからないから、剣士は立ち尽くしたまま、拳を握る。
「あ〜あ、中まで裂けちまってるぜ。」
「おい、あまり弄くるなよ。」
「へへ…まぁいいじゃねぇか。どうせ売る前に俺たちも楽しむんだろう?」
「当然だろう。てこずらせてくれた見返りはきっちりもらわんとな。」
「ああ。邪眼にやられたあいつらにも顔がたたねぇしな。」
男達の息が、だんだんと邪な臭気を撒き散らし始める。
エルフを押さえつけていたはずの手が、だんだんと、その体をまさぐり始める。
「や…めろ…ッ!」
ついにエルフが拒む言葉を口にしたが、それは男達の欲望を、よけいに煽った。
「おい。」
不意に、低い押し殺したような声が、男達を制した。
びくり、と場が震える。
振り向いた一人が、声の主が剣士だと気づいて、
「ああ、あんたか。」
と、薄笑いを浮かべた。
「そのエルフ、俺に売れ。」
剣士のその言葉に、男たちはいっせいに欲望に血走っていた目を剣士に向けた。
「何、言ってるんだ? にーさん。」
剣士が無言で、何かを男達に向かって投げた。
草むらに転がるそれを見て、男達がざわめく。
「ジュエル……!」
売れば、100万ベリーになる。
「そのくらいあればダークエルフの代金としちゃあ、魔封じや護符の代金を差し引いても釣りが来るぐれぇ高いだろう。」
男達が顔を見合わせる。
あの狩猟小屋の管理人が、一歩前に出た。
「にーさん…今の俺達の話を聞いていたろう?」
へへ、と卑屈な笑みを浮かべている。
「俺達はこいつをエルフとして売るつもりなんだ。エルフとして見たこいつが、どれだけ上物か、あんたにはわかるだろう? ジュエルが足りないんじゃないのかい?」
管理人の言葉に、剣士は、軽く片眉を上げた。
「素直に受けとっときゃいいと思うがな。」
すらり、と腰から剣を引き抜いた。
両手に一本ずつ持ち、口にもう一本を咥える。
「剣、三本…?」
村人達が息を呑む。
突然、一人が、あっ、と叫んだ。
「こいつ…ゾロだ!
村人達がざわめいた。
「ど、
「そ、それで、黒竜に…!」
もはや村人達は全員腰が引けている。
狩猟小屋の管理人もびくついて、震えている。
「あ、あんた、本当にそうなのか? あの、今までに竜を100匹狩ったという…?」
「嘘か本当か、その身で確かめてみるか?」
右手に持った剣を、村人達に向ける。
元より戦士でもないただの村人に、本気の剣を向ける気などなかった。
脅かすことができれば、それでいい。
案の定、剣先を向けられた村人達は、びくりと飛び上がった。
駄目押しに、剣士が付け加える。
「なあ…。金と、てめェの命と、どっちが大事だ?」
「わかった!! わかったよ。このエルフはジュエル1つであんたに売る。」
わめくように管理人が言い、それをきっかけにして、村人達は我れ先にと逃げ出した。
もちろん、ジュエルを拾っていくことは忘れない。
後には、倒れたエルフと剣士だけが残された。
剣を収め、ゆっくりと、エルフに近づく。
エルフは倒れたまま、その蒼い目で剣士を睨み付けていた。
「なん、の、つもり…だ。」
剣士は黙ってエルフの魔封じを外し始める。
「……いい、のか? そ、れを外したら…、俺は、てめェを殺すぜ…?」
くくっ、と剣士が低く笑った。
「やってみろ。お前との決着はまだついてねェ。」
こんなにも傷ついて尚、まだいっぱしに睨みつけてくる、エルフのこの気の強さに、ぞくぞくした。
殺す、と言ってはいるが、恐らくこのエルフはもう立てまい。
さっき剣士を襲った攻撃が、己の余力も何も考えない、限界の力だったに違いない。
だからこその研ぎ澄まされた殺気。
迷いのない蹴り。
あれはそういう攻撃だった。
それを遮られ、あまつさえ新たな傷を負わされ、もうこのエルフには立つ力すら、残っていない。
エルフ自身とて、分かっているはずだ。
にもかかわらず、エルフの瞳は少しも力を失っていない。
並みのエルフではない。
純血のエルフに、この気の強さはありえない。
ハーフエルフゆえの、強さなのだろうか。これは。
魔封じを外す。
以前のものよりもずっと強い縛めだったのだろう。
今しがたつけられたばかりだというのに、エルフの手首はじくじくと膿み始めていた。
前につけられた魔封じの傷痕も治っていないので、白い肌に、それらの傷はただただ痛々しかった。
「…殺すと言ったのに、何故外した…?」
小さな声で、エルフが呟いた。
「…何故助けた…。」
その問いに対する答えを、剣士は持っていなかった。
何故なのか、己でもわからなかったからだった。
憐憫、だろうか。
人間にいいように蹂躙されるこの魔物を哀れに思ったのだろうか。
…違うような気がする。
憐憫や同情、といった感情をこのエルフに向ける事は、そぐわない。
それはエルフのプライドを傷つけこそすれ、救う事にはなりえないだろう。
剣士には、エルフの矜持が理解できる。
ならば、なぜ…?
不快だったからだ。としか、いいようがない。
だが何故不快なのかといえば、その答えが見つからない。
「…きまぐれだ。」
それもあながち間違いではなかった。
エルフが唇を噛み締め、剣士を睨みつけてくる。
強い瞳だ。と思った。
片方だけ見える蒼い蒼い瞳は、ギラギラと強い光を放って剣士を見据えている。
硬質な冷たいメタルブルーの瞳が、炎が燃えるように熱を湛えている。
「礼は言わない。…てめェには“エルフの護り”を奪われた。てめェを殺して“エルフの護り”を返してもらう。」
エルフは静かにそう言うと、剣士を押しのけるようにして立ち上がった。
膝が力を失ってがくがくとわなないている。
白い足を鮮血が伝う。
剣士の心にまた、訳のわからない衝動が走る。
僅かな痛みを伴って。
その時だった。
別の者の気配がした、と思った瞬間、ばうん!と爆音がして、剣士の視界は煙に包まれた。
「…ッ!?」
咄嗟に飛びのいて、間合いをとる。
剣を抜いて、低く構え、思い切り払った。
剣の周りにつむじ風が起きて、瞬く間に煙が掻き消える。
視界が開けた時、剣士は慄然とした。
エルフの姿が、消えていた。
2004/09/02