■ 愛される資格 ■

 

【4】

 

「てめェ、見てたんだろ? あん時の俺をよ。」

ん? と、まるで、子供に言い聞かせているように微笑みながら、サンジは小首をかしげる。

 

それがゾロに、底知れぬ焦燥を抱かせている。

 

「あーゆー男だ。俺は。ケツん中も口ン中もぐちゃぐちゃになるほど突っ込まれて、出されて、喜んでるような男だ。」

 

ゾロを好きだと言いながら、柔らかく微笑みながら、サンジはゾロからすり抜けていこうとしている。

音もなく静かに。

 

「…だからやめとけ、ゾロ。」

 

その微笑みは透き通るようで、このまま腕の中のサンジが大気に溶けて掻き消えてしまうような気すらして、ゾロは掴んだサンジの両手を、離すことができない。

 

「わざわざてめェが汚ねェもんに触るこたァねェ。」

 

「汚くなんかねェ!!!」

 

焦りにかられて、怒鳴った。

動転していたかもしれない。

けれどこのまま黙っていたら、このままサンジに喋らせていたら、サンジは一人で結論を出して、一人で終わってしまう。

 

失ってしまう。

このままでは。確実に。

 

失うわけには、いかなかった。

 

「汚くなんかねェ…ッ! てめェは汚くなんかッ…! てめェを汚いと思った事なんか、俺は一度もねェ!」

 

サンジの目はどこか遠くを見ている。

 

どうすればいい。

どうすればサンジに分かってもらえる。

どうすればサンジの目は自分を見る。

 

ひどく焦る。

 

焦る。

 

焦りばかりが先に立って、言葉はどんどんもつれていく。

 

「てめェは汚くなんかない、てめェに触ったって俺は汚れたりしねェ! 汚くなんかッ…、てめェは綺麗だ。誰よりも綺麗だ。」

元々ゾロは自分の気持ちを言葉に乗せるのがそれほど得意ではない。

焦っているせいでそれはもはやたどたどしくすらある。

ただひたすら、「汚くない」を繰り返す。

それ以外何を言えばいいのかわからない。

けれど言わなければサンジはゾロを受け入れてはくれないだろう。

 

綺麗とか汚いとか、触れたら汚れるとか、そういう次元ではないのだと。

ただサンジの心に触れたいのだと。

心に触れるやり方がわからないから、せめてその肌に触れさせて欲しいのだと。

サンジの心を受け止めて、自分の心もサンジに届けたいのだと。

 

そう言いたいのに、そう伝えたいのに、ゾロの言葉は心を上滑りして空回る。

それが酷くもどかしい。

 

「ゾロ…。」

 

サンジが困ったような顔をして笑った。

それがまるで、だだをこねる子供に手を焼いている大人のような、そんな笑みだったので、ゾロは、かっとした。

何で伝わらない。

何で分かってくれない。

 

何で受け取ってくれない。

 

俺を好きだと言ったのに。

あんな真似までして自分を貶めてまで、好きを諦めきれないと言ったのに。

 

焦りは新たな苛立ちを生む。

 

サンジを失うのが怖い。

こんなにも怖い。

 

気が狂いそうなほど、頭が沸騰する。

 

無我夢中で、ゾロはサンジの胸元を鷲掴みにした。

渾身の力で、それを引きちぎる。

 

「ゾロッ!?」

 

破れた布地の下から、なめらかな肌があらわになる。

「やめろ…ッ、ゾロ…!」

俄かに暴れ出したサンジの体を力任せに押さえつけて、ゾロはサンジから服を剥ぎとった。

肌の白さが、鮮やかにゾロの目を射る。

 

「どこが汚ねェんだよッッッ!!!!!」

 

真っ白な磁器のようになめらかな肌。

ぽつんとピンク色に浮かぶ小さな乳首。

無駄な肉のないすんなりした体。

どこか大人になりきれない、少年のようなあやうい造形。

 

「こんなにッ…! こんなに綺麗じゃねェかッ…! こんなにッ…!!!」

 

あらわになった白い胸元に、歯をたてた。

とたんにサンジがのけぞる。

 

「やめ…!」

 

焦る手で、サンジのズボンにも手をかけた。

もどかしく前を外しながら、舌はサンジの乳首を舐める。

 

「ゾ、ゾロっ…!」

 

完全に血相を変えたゾロの様子に、サンジは抗いながら困惑しているようだ。

 

「な、ゾロ…、なあ…やめろって…。」

 

「汚くなんかねェ…! てめェは、綺麗だ。あんなん犯られてても…綺麗だった…すげえ綺麗で…、俺は…、サンジ、俺は…!」

 

見惚れたのだ。あの時。

男達に陵辱されるサンジを見た時。

白い体が、そこだけぼうっと光っているように見えた。

男に貫かれ、喘がされているのに、どこか無機質な透明感があって、そのくせ淫靡で。

まるで瀕死の白鳥がのたうつように、痛々しく美しい姿。

息を呑むほどに。

かっちりと着込んだスーツの下に隠された、しなやかな肢体。

性別を感じさせないほどに優美な肢体。

 

逃げるように船に帰ったあと、ゾロは自分が激しく勃起している事に気がついた。

夢中でそれを擦った。

何度射精しても、胸の昂ぶりが収まらなかった。

あんなにも我を忘れた事はなかった。

あの時、背後から刺客に襲われたとしても、気がつかなかったかもしれない。

そんな自分に、愕然とした。

 

 

 

必死に、ゾロは「綺麗だ」を繰り返しながら、サンジの肌のあちこちにキスを落とす。

そのやたらとひたむきな、必死な様子に、サンジは驚いていた。

 

ゾロはまるで泣き出しそうだ。

 

さっきもサンジの両手を抱きしめながら泣いていたけれど、今は、途方にくれた子供のように泣き出しそうだ。

自分がこんな顔をさせている。

 

…自分がゾロを傷つけている。

 

思いもかけないその事に、サンジは動揺した。

ゾロは…何ものにも傷つかないはずなのに。

ゾロを傷つけるものなど、ありはしないはずなのに。

 

ゾロが性急なほどにサンジを求めている。

 

こんなふうに、この男が自分を求める日がくるなど、思いもしなかった。

だからサンジは戸惑う。

嬉しいよりも先に、戸惑う。

 

ゾロはサンジを欲しがっている。

 

そのことが信じられない。

この男を信じられないのではない。

この現実が信じられない。

 

まだ自分の都合のいい夢の続きを見ているような気がして、サンジは、おずおずと、ゾロの頬に指を伸ばした。

これは本物のゾロだろうか。

触れた瞬間に掻き消える、幻なのではないだろうか。

 

それとも自分はついに気が狂ってしまったのだろうか。

本当の自分は、ラウンジの床でたった一人横たわり、何もない虚空に手を伸ばしているのではないだろうか。

 

そっと触れようとした指は、寸前で熱い手に絡めとられた。

そのままゾロは、自分の頬にサンジの手を強く押し付ける。

ちゃんと触れ、というように。

サンジが驚いていると、ゾロはサンジの指を口に含んだ。

 

ねっとりと熱い粘膜に包まれる感触に、サンジはびくりとした。

指先から溶けてしまいそうに、熱い。

 

ゾロの歯が、サンジの指先を優しく噛んだ。

尖った歯の感触が、サンジをぞくりとさせる。

そのままゾロは、サンジの指を根元まで咥えこんだ。

指の股を舌でくすぐり、サンジの指を一本一本丁寧に根元から舐め上げる。

 

そして、最後に、サンジの手の平にキスをした。

サンジの手に、最大の敬意を払うような、キスを。

 

かあっとサンジの全身が熱くなった。

 

ゾロは床に仰向けたサンジの上に馬乗りになっているというのに、あまつさえサンジの服を引きちぎったというのに、まるで、ゾロに跪かれているような、気がした。

ゾロが跪き、自分に頭を垂れているような。

 

「バっっ……!」

 

いけない、と思った。

とんでもない事をされている。

この男を、汚す行為を。

 

「バカッ…てめェっ…! な、何っ…!?」

 

慌てて手を振り払おうとした。

が、できなかった。

 

ゾロの目が、恐ろしいほど真剣な本気の目が、まっすぐにサンジを射抜いていた。

 

「てめェが欲しい。」

 

─────ああ。

 

「てめェに汚いところなんか一つもない。けど、てめェがどうしても自分が汚いって言いてェんなら、汚くても構わない。てめェの綺麗なとこも汚ねェとこも。俺は全部欲しい。」

 

抗える、はずがない。

 

「ゾロ……。」

 

もう笑顔が作れない。

困惑しきった目で、サンジはゾロを見上げた。

 

「お、れは、コック、だから…、腐ってると分かってる食材を…食わすわけにはいかねェ…。」

 

最後の足掻きのつもりでそう言った。

もはや言葉だけの抵抗だった。

 

ゾロの顔がゆっくりと近づいてきた。

 

「俺の目には王様に食わすようなご馳走にしか見えねェ。」

 

優しく、熱く、唇を奪われた。

 

 

 

舌で荒々しく口の中をかき混ぜても、サンジはもう抵抗しなかった。

少しずつ、ゾロの舌に応え始めてもくる。

 

それでもまだ、ゾロは安心できなかった。

少しでも気を緩めたら、この男はすぐ逃げる。

あんなふうにゾロを見つめ続けてきたのに、あんなふうに必死に愛を告げてきたのに、サンジは逃げる。

きっとたぶん…あの告白も、ゾロから想いが返ってくる事なんて、最初から期待していないものだったに違いない。

最初からゾロに拒絶される事を前提に、この男は想いを告げてきたのだ。

ただ、想いを諦めるためだけの、告白。

そのくせゾロの言葉に、無防備に傷ついていた。

あの呆然と目を見開いた、子供のように幼い顔を思い出すたび、ゾロの心臓は爪を立てられたように痛くなる。

あの時のまぬけな自分を賽の目に切り刻んでやりたい。

もう二度とあんな風に傷つけたり、しない。

もうこの存在をみすみす逃がしてやる気なんか、ゾロにはないのだ。

どこまでも追い続けて、追い詰めて、逃げ場をなくしてしまわないといけない。

逃げようなんて気を起こさないほどに、求め続けないと、この男はわからない。

いっそどこかに閉じ込めてしまいたい。

閉じ込めて、縛り上げて、身動き一つ出来ないほどに、誰の目も触れないところに。

それでもまだ、この男は自分の物にはならないような気がする。

 

早く…早くこの体を自分の物にしてしまわなくては。

早くこの体に、自分のモノを埋め込んでしまわなければ。

早くこの体に、自分の所有の証を刻んでしまわなければ。

 

落ち着け、と思うのに、焦る。

どうしようもなく焦る。

 

欲しい。

サンジが欲しい。

サンジの何もかもが欲しい。

心も体も、全部。

 

たっぷりサンジの口腔を堪能してから顔を離すと、サンジの目は上気して潤んでいた。

その陶然とした色香を含んだ眼差しに、ゾロがごくりと喉を鳴らす。

 

食べてしまいたいとすら。

 

夢中でその体を抱きしめた。

サンジの首筋に顔を埋めると、サンジの匂いがする。

 

たばこの香る、大人の男のにおい。

女性のように花のような甘やかなにおいは全くしないのに、ゾロはサンジのにおいを、甘い、と思った。

サンジは料理人だから、自身にはコロンや香りの強い化粧水などは一切使わない。

だからこの甘さはサンジそのものが香るにおいだ。

甘くふんわりと柔らかくて…。そう、あの、絶え間なくゾロに注がれていた視線のように。

においに導かれるように、サンジの首筋を舐めた。

ぴくん、とサンジの体が震えた。

感じてくれるといい。

自分からの愛撫に。

 

気持ちよくさせたい。

自分のこの手で。

 

首筋を噛みながら、白い肌の上で色づいた乳首を指を這わせた。

頼りないほど小さなそれは、ゾロの指の中で固く浮き上がってくる。

組み敷いたサンジの体が微かに震える。

感じてるんだろうか。

怯えてるんだろうか。

 

感じてるならいい。そのまま感じていろ、と思う。

怯えてるのなら…そんな怯えなど吹き飛ばすほどに感じさせたい。

 

体を起こして、中途半端に脱がされたサンジのズボンに手をかけた。

そこは僅かに兆している。

どうにもいとおしさが募って、ゾロはそれを握りこんだ。

「ふ…ッ…!」

サンジが微かに声を上げる。

サンジの性器を擦りながら、その顔が見たくなって視線を上げて………………

 

ゾロはまた愕然とした。

 

サンジは固く目を瞑り、唇を震わせている。

必死で声を殺し、拳を握り締め………全てを拒むように。

 

ダメなのか?

─────俺では………ダメなのか…?

 

あんな行きずりの男達には全てを与えていたのに。

自ら進んで男達を受け入れていたのに。

 

そうじゃねぇだろう、違うだろう、と思うのに、思考が止まらない。

サンジがあの男達に全てを与えたのは、全てを諦めていたからだ。

サンジが自ら進んで男を受け入れていたのは、わざと汚れるためだ。

わかっているのに…わかっていても…ゾロはそれを止める事ができない。

 

ゾロはあの時のサンジを…見てしまっているから。

 

全身に男達の精液を浴びながら、しなやかな肢体を揺らめかせていたサンジを。

 

あの時ひっきりなしに喘ぎを漏らしていた唇は、震えながら噛み締められている。

あの時淫らにくねらせていた肢体は固く強張っている。

 

受け入れて、もらえない。

 

「なん、で、だよ…ッ…!」

 

ああ、あのイライラだ。

ずっとサンジの事を嫌いだからだと信じていた、ずっとサンジを見るたびに胸の中に凶暴に渦巻いていた、突き上げるような不快感。

 

─────独占欲だ。

 

サンジが他の誰かを見るのが許せなかった。

サンジが他の誰かに見せる笑顔が気に入らなかった。

他のみんなが、サンジに触れるのが気に入らなかった。

 

─────ガキと一緒だ…。

 

惹かれていたのに気づかないで、気を引きたくて憎まれ口を叩いて、わざと傷つけて。

…こんなにも、好きだったのに。

 

サンジの目が開いて、ゾロを見る。

その目を見たくなくて、ゾロは顔を伏せた。

目を焼くほど白い肌に、キスを落とす。

強く吸い上げると、花びらのような痕がついた。

「止まんねぇよ…サンジ…。」

ぽつりと呟く。

「てめェが何を考えてても…俺は止まんねぇ…。」

握ったままのサンジの性器を上下に扱いた。

「ん…っ…! ゾ、ロ…。」

びくびくとサンジの体が反応する。

 

「…ゾロ…、酒…呑まねぇ…?」

 

唐突なサンジのそのセリフに、ゾロの動きが止まった。

顔を上げると、困ったような、泣き出しそうな、サンジの目。

「と、とっときの、あの、いい酒が、あるんだ。俺、あの、買っといてて、前の島で、いい酒なんだ。こ、米の、あ、あの、新酒で、だから…。」

必死で言葉を紡ぐサンジを、ゾロは怪訝そうに見る。

何が言いたい、こいつは。

ふう…と、サンジが息をついた。

躊躇いながら、

「俺、…あの…酔っ払っちまえば…できると思うし…。あの時、も、すげ、呑んだんだ…。だから…。」

とんでもない事を、言う。

 

ゾロの脳天まで上がっていた滾りが、一気に冷えた。

 

 

「バカじゃねぇのか、てめェ。」

 

 

ゾッとするような、低い声が出た。

押し殺した怒りを感じ取ってか、サンジがびくりとする。

 

「ゾ…」

「酒でぶっ飛んだてめェとやって何が楽しい。」

 

腹の底に重く重く冷たい塊が沈んでいく。

 

「それでこれも…酒の勢いにするのか。」

 

ゾロの、想いも。

 

「俺が欲しいのは中身のねぇてめェの体じゃねぇ。」

 

サンジの体を陵辱した、あの男達になりたいわけじゃない。

 

「てめェの心ごと、全部、手に入れなきゃ俺は気がすまねぇ。」

 

ゾロは感情を殺した瞳で、サンジを見ている。

 

「てめェが体しか俺にひらかねぇって言うなら…。」

 

心が、痛い。

 

 

 

 

 

 

 

「俺は何もいらない。」

 

 

 

 

 

 

 

サンジの目が、大きく見開いた。

呆然と。

 

サンジの体から手を離し、ゾロはゆっくりと体を起こした。

手に入らねェか、やっぱ。と思った。

仕方ない。

サンジの心を傷つけた、これがその罰だ。

 

サンジを諦めるつもりなど毛頭ないけれど。

こんなにも強い想いが心の中から消せるとはとても思えないけれど。

 

これ以上押してもサンジは心を閉ざすだけだ。

 

ゾロは奪うやりかたしか知らない。

欲しければ、奪ってきた。

 

けれど今は、奪いたいわけでは、ないのだ。

 

奪う事がサンジを損なってしまうのなら。

 

“酔っ払っちまえば”だと? 冗談じゃねぇ。

てめェはあのとき自分がどんなツラしてやがったか分かってんのか。

自分の誇りを自分で傷つけて。

 

あんなにも痛々しく悲しい瞳を、ゾロは見た事がなかった。

 

どれだけ血まみれになっても、どれだけ傷だらけになっても、決して自分の矜持だけは傷つけさせなかった奴が。

そうさせたのは、自分だ。

 

─────結局俺は、傷つける事しかできねぇのか…。

 

サンジから絶えず注がれていた、柔らかで優しい想い。

あの何分の一かでも、返せたら、と思ったのだ。

サンジによってゾロが癒されていたように、ゾロが想うことで、サンジを癒す事ができたら、と。

 

できる道理など、なかったのに。

 

今まで誰かに何かを与えた事などなかったのだから。

今まで誰かから何かを奪う事しかしてこなかったのだから。

 

おこがましかったのだ。

 

それでも、と思う。

 

与える事などできなくても。

手に入れる事などできなくても。

 

 

想う事は、できる。

 

 

サンジがあんなにも自分を想ってくれていたように。

傷ついてもそれでも尚、大切にしてくれていたように。

 

自分もまた、サンジを想う事が。

 

今までサンジが想っていてくれてた分、これからは自分が想うのだ。

 

まるで自分らしくないその考えに、ゾロは思わず苦笑した。

奪いもせず、触れもせず、ただ想う、だけ。

 

 

それも悪くねぇな、と、ゾロは思った。

 

2005/01/23


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