【9】
「ねぇ、“おかんなぎ様”って何?」
サンジは、ふと思い出して女官に聞いてみた。
島を回っている間、何度か“巫女様”以外にその呼称も耳にした。
「“かんなぎ”は巫女の古い呼び名です。“神和ぎ”の意味で、“神と和合する者”の事ですわ。“おかんなぎ”は男の巫女様の事です。女の場合は“めかんなぎ”と呼ばれます。」
「ふうん…。」
神和ぎ。
神と和合する者。
和合ってのは要するにアレか。セックスの事か。
しかし、『荒ぶる神はまろうどを宙に繋ぎ、これと交わった。』という神話からは、とても“和”という雰囲気は感じられない。
相手を繋いで犯る、って、そのシチュエーション、全然合意じゃないし。
そういうのは強姦っつうんじゃねぇのか、と思うのだが、神話なんて、多かれ少なかれそんなものなのだろう。
実際、サンジ達が儀式を穢してしまった時だって、巫女は四肢を繋がれて立ったまま後ろから犯されていて、とても“和合”という様子には見えなかった。
だからこそ、助けてしまったのだ。
「“和ぎ”には、鎮めるという意味もあります。“神を鎮める者”ですね。戦神は、月神によって怒りを静められ、癒されましたから。」
「ふぅん…。」
繋がれて、無理やり強姦されても尚、相手を癒したという月神は、どれだけお人よしなんだろうなあ、等と、思うともなしに思った。
それとも…。
それとも、月神も、実は戦神を愛していたり、したんだろうか。
もしかしたら、繋がれたりしなくても、戦神を受け入れたのだろうか。
「月神によって癒された戦神は、永遠の愛を月神に誓ったんです。ですから、戦神と月神は、夫婦や恋人達の神でもあるんですよ。」
「…え?」
「戦神が鎮まった後、月神は戦神の伴侶となりました。この島の者は、結婚をする時には、月神と戦神の夫婦神に愛を誓います。」
女官の口調は柔らかで、どこか夢見るように甘い。
サンジの胸が、ずきりと痛んだ。
結婚する時には戦神と月神に愛を誓う。
この娘はどんな気持ちでそれを口にしたのだろう。
島で最も祝福された二人になるために、戦神と月神をその身に降ろして愛を誓おうとした…そのせつない乙女心を、…麦わらのクルーは汚してしまった。
「…ごめんね…。」
思わずサンジの口から詫びがついて出る。
女官は小首を傾げている。
「俺達が…邪魔しなきゃ、君はあの彼と結婚…できたんだよね…。」
サンジの言葉に、女官は柔らかく笑う。
「どうぞもうお気になさらないでくださいまし。臥月祭の巫女にはなれずとも、結婚はできますもの。…きっと私達はまだ、巫女と戦士として至らなかったのでしょう。それゆえに責務をまっとうできなかったのですわ。」
「そんなことねェよ!!」
サンジは叫んだ。
「君の儀式を汚したのは俺達だ。君は何にも悪くない…。俺達が何も知らずに君を傷つけたんだ。君がふさわしくないなんてそんなことない。君は誰よりも綺麗だったよ。俺なんかよりずっとずっと巫女にふさわしい。すごく綺麗だった。とっても…!」
必死で言い募るサンジに、女官は、少し驚いたように目を見開いて、それからまた、やわらかく微笑んだ。
「ありがとうございます。でもどうか、ご自分を“なんか”等とおっしゃらないでくださいな。こんな成り行きとはいえ、あなた様は選ばれた巫女様。どうぞ、巫女様としておふるまいください。」
だけど…、と尚も言葉を継ぎそうになるのを、サンジは堪えた。
微笑をたたえる女官の目は、まだ赤く腫れていて、痛々しい。
きっと昨夜は泣き明かしたのだろうと、容易に窺える。
昨日、あんなにも取り乱してサンジ達に感情をぶつけてきたのだ。
それを笑顔に変えるのは、どれだけ辛い事だったろう。
女官の話によれば、結婚そのものは、巫女になるのとは関係がないらしい。
けれど、巫女と戦士に選ばれて結ばれた恋人達は、より深い結びつきをするのだという。
来世でもまた再び結ばれることができると、信じられている。
だからこそ、島の娘達は、皆、月神の巫女に憧れる。
永遠の、変わらぬ愛を信じて。
麦わらのクルーに儀式を穢されてしまったこの娘は、この先、本当に幸せになれるのだろうか。
例え、あの若者と結婚したとしても、「来世での愛」は失われてしまった。
その心の傷を、この先この娘は、癒していけるのだろうか…。
心から申し訳ないと思う。
「でも…いっぱい泣かせちゃって…ほんとにごめんね…。」
もう一度詫びると、巫女の笑みが少し困ったようになった。
「ほんとにもう…お気になさらないでくださいな…。」
巫女の目はサンジをまっすぐに見ている。
「サンジ様。」
不意に女官が、“巫女様”ではなく、サンジの名を呼んだ。
「月神は間違いを犯しません。選ばれるべきでない者は、決して月神の巫女には選ばれません。
それがどんな成り行きであっても。」
突然なにを言い出したのだろうと、サンジは訝る。
「私ではなく、あなた様が巫女に選ばれたということには、きっと意味があるはずです。
この島の長い歴史の中で、月神が間違いを犯した事は、ただの一度もありませんから。」
きっぱりと、そう言う。
「だ、けど…。」
言うまい、と思っていた疑問が、サンジの口をするりとついて出る。
「毎年毎年、君達のように恋人同士が選ばれたわけではないだろう?
中には意に染まない相手に姦られなきゃならないレディだっていたろう?」
「…あなた様のように?」
澄んだ瞳で問い返されて、サンジはぐっと詰まった。
女官は慈愛の色を瞳に浮かべたまま、小さく息をついた。
「…戦神の寄坐は、それを選ぶ聖なる戦いによって決められます。
戦いの勝敗のみが戦士を決めます。そこに巫女の意向は介在しません。
ですから、確かに、必ずしも巫女の思う者が戦士に選ばれるとは限りません。」
静かに言う。
「臥月祭は夫婦和合の祭りです。祭が終わった後の戦士と巫女はそのまま夫婦になるのがこの島では当たり前となっています。思う者ではない相手と契った巫女も、大抵は契った相手に添います。けれど。」
信念を語る、瞳。
「けれど、その後不幸になった者は一人もおりません。」
「…愛してもいない相手にあんなふうに犯されても…?」
この島に生まれ育った者ならば、厚い信仰心からそのように思えても、よそ者であるサンジに、「思う相手ではない者と交わることになってもそれは間違いではない」とは、思えない。
ましてやサンジは男だ。
儀式の後、サンジを犯した島の人間に嫁ぐ気など、もちろんない。
この島が男の嫁さん、なんてものまで認めているのかどうかまでは知らないが。
「愛してもいない者と体を繋ぐ者など、この島にはおりません。」
今まで柔らかだった女官の口調が、きっぱりと言い切った。
その凛とした響きに、サンジはどきりとする。
「まろうど方には奇異に思われるかもしれませんが、月神と戦神に選ばれるのは、永遠の愛を誓う者達です。
例えそれ以前にそれぞれに思う者があり、契る相手が、思う者と異なる相手であったとしても、契る相手こそがお互いの真実の相手なんです。」
ならば、これからサンジが犯されなければならない相手も、サンジの真実の相手だと言うのだろうか。
サンジにはとてもそうは思えなかった。
「儀式が始まれば、サンジ様にもきっとお分かりになります。」
女官が慰めるように言った。
「月神は全ての恋人達を導く神です。自らが恐れもせず、戦神への愛に生きたように。」
その言葉に、サンジは思わずうつむきかけていた顔をあげた。
「…月神は…戦神を愛してたの…?」
「もちろんですよ。」
女官がにっこりと笑って答えた。
不意にサンジは腑に落ちた。
そうか。
繋がれても、強姦されても、月神が戦神を癒したのは、月神が戦神を愛していたからだ。
もしかしたら、月神は、最初から戦神を愛していたのかもしれない。
だからこそ、怒りにかられて世界を焼き続ける荒ぶる神の元に、恐れもせず一人で向かったのかもしれない。
ともすれば、自分だって荒ぶる神の業火に焼かれたかもしれないのに。
きっと月神は、戦神を止めることに何の見返りも求めなかったに違いない。
ただ愛する人を鎮めたい一心で。
体の自由を奪われても。力ずくで犯されても。
尚揺るがない、一途な想い。
だからこそきっと、戦神も癒されたのだ。
そして、月神に永遠を誓ったのだ。
そんな戦神だからこそ、そんな月神だからこそ、島の人々は熱い信仰心を持つのだ。
自分とは違う…。
欲しい欲しいとないものねだりをして、分不相応な欲を持て余している自分とは違う。
自分もそんなふうに。
そんなふうに、ただ一心に、ただ好きなだけでいられたらよかったのに。
ただ、ゾロを好きなだけの自分でいられたらよかったのに。