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ドカッ! ガタガタドシャーン!
ナミがラウンジのドアを開けた瞬間のサンジの反応といったら、劇的ですらあった。
サンジは、ドアを開けたのがナミだと悟った瞬間、己が身をかき抱いていた愛しい恋人を、力いっぱい蹴り飛ばしたのだ。
ゾロの体はキッチンまで吹っ飛んでいった。
サンジくんたら、まあ可愛い。
そう思ったがもちろん、それはおくびにも出さない。
「あら、お邪魔だった?」
にっこりと微笑みながら、ナミは言った。
当然だ。
邪魔するためにドアを開けたのだから。
「ナミさんっ♪ とんでもない♪ あなたの事を邪魔だなんて♪ どうしたんです? こんな時間に。小腹でもすいた? それとも何か甘いものでも?」
乱れたシャツを慌ててズボンに押し込みながら、サンジは極上の笑みをナミに向けた。
「てめェ… ナミ… この魔女が…。」
キッチンの隅に吹っ飛んだ緑の腹巻から、押し殺した呪詛のような声が聞こえてくる。
「クソ腹巻! ナミさんにそんな口きくんじゃねェ!」
もう、昼間と同じ、サンジだ。
極上の笑みをナミに向けてはくれているが、剣士の腕の中にいた時の、あの、甘えるような熱っぽい雰囲気はどこにもない。
それがナミには、少し面白くなかった。
何故かあの眼差しを自分にも向けてもらいたくて仕方なかった。
サンジをゾロに取られた、という子供っぽい独占欲なのかもしれない。
何より、さっき見た二人の様子が頭から離れなかった。
あの、ぞくりとするほど艶かしかった、サンジの姿が。
欲情…してるのかもしれない。サンジくんに。
「ちょっと眠れなくて。────ゾロ、なに食べてるの?」
テーブルの上のつまみを覗き込む。
だが、サンジは、ナミが漏らした「眠れなくて」の一言に、一瞬、眉を顰めた。
「サンジくん、これなぁに? お魚?」
それに気がつかないふりをして、ナミはテーブルの上の、桃色の液体に浸かった、何か灰色の物体を、ゾロの箸で突っついた。
サンジはすぐに柔らかく破顔する。
「青魚をショウガとネギと青ジソ混ぜて叩いたものを梅酢に漬けたもんだけど、そんなもんより、ナミさんにはもっとおいしいものを作ってあげるから座ってて♪」
やんわりと、ナミから箸を取り上げて、皿をずらす。
「あら。」
ごまかされるようなナミではない。
「なぁに? あたしにはこれ、食べさせたくないの?」
ゾロ専用だから? と、これは言葉にはしなかったが、目だけでサンジには通じたようだ。
白い顔が、みるみる真っ赤に染まる。
「ななななな何言ってるんだ、ナミさんっ! そんな、そんなわけねェってっ! 何で俺が、そんな…。あ、あの、そう! ほら! これ、食いかけ! 食いかけだからっ! あんなクソ腹巻のマリモマンの食いかけ食ったら、ナミさんにマリモが移るからっ!」
必死で訳の分からない言い訳をするサンジがおかしくて、ナミはくすくすと笑った。
ほんとに可愛いわ。サンジくん。
「確かに、ゾロと間接キスはイヤね…。」
間接どころか、過去にはベッドイン寸前までいった事があるんだけどね、と、ちらりと思いつつ、そ知らぬ体で言う。
「でしょ? だろ? でしょ? ああ、ナミさん。俺の女神。マリモと間接キスするくらいなら、ぜひ、俺と、炎のように熱いベーゼを、いざ♪」
「まぁステキ♪ サンジくん」
「これぞまさしく、キッス・オブ・ファイヤー♪ ささ、ナミさんっ…♪」
サンジの目はもう完全にハート。鼻血を吹き上げそうな勢いですらある。
「……ざけんじゃねェぞ、てめェら。」
ゆらり、と、部屋の隅から恐ろしい殺気が立った。
見ると、魔獣と呼ばれた男は、まさしくその名にふさわしいほどの物騒な気を纏ってこちらを睨みつけている。
頭に例のバンダナを巻いてないのが不思議なほどだ。
「あァ? まだいたのかよ、てめェは。」
サンジが、ナミの肩をそっと抱くようにしてさりげなく後ろに庇いながら、あんまりなほど冷淡な言葉を吐く。
「俺はこれからナミさんとラブラブはっぴっぴお楽しみタイムだ。マリモはとっとと酒かっくらって寝ろ。」
さぁ、ナミさん、いざ二人の愛のパラダイスへ♪ と、サンジはナミに向き直る。
「待て、クソコック。」
ドスのきいた声がそれを制止する。
ただでさえ三白眼なのに、もはや凶悪犯の顔だ。
さっきまでエロづら晒してたくせにその豹変した態度はなんだ、とか、てめェの恋人は俺なんじゃねェのか、とか、堂々と浮気とはいい度胸じゃねェか、とか、ナミが本気で誘うわきゃないだろう騙されてんのがわかんねェのかこのバカが、とか。
口から出るのは獣のような歯軋りと唸り声だけだが、禍々しいオーラが全てを雄弁に語っている。
その手が鬼徹を掴んでいる。
今にも抜刀しそうだ。
「姦夫姦婦を重ねて四つ」という言葉がナミの脳裏を掠めた。
この場合、どっちが姦婦なんだか。
重ねて四つに斬られちゃたまらん。ナミは、肩を掴んだサンジの手からするりと抜けて、ゾロに近寄った。
「ナミさん?」
口元に、ゾロが魔女と称した笑みを浮かべる。
にやり。
「ゾロ? これ、なんだかわかるー?」
例の青い酒の入ったクーラーボックスを、ゾロの鼻っ面に突きつける。
「さっきねぇ、サンジくんがくれたの。“っナミすゎん、俺からの愛のプレゼント♪”って。おいしい、お・さ・け。」
ゾロの物騒なオーラが強くなった。
気のせいか、ぐるるる…という唸り声すら聞こえる。
てめェは、俺にはろくによこさねェくせにナミには酒をくれてやってたのか、とか、言いたいらしい。
「いい子にしてるってお約束できるんなら、あんたにも飲ませてあげる。」
「ナミさんっ?」
「…………………誰が魔女の誘いなんぞ受けるか。」
「あら、そぅお〜?」
ナミの目が、ここぞとばかりに邪悪に光る。
「おいし〜いお酒よぉ? あんたがいつも飲んでる大吟醸とかとはまた違ってね。なんていうのかしらぁ、コレ。 きりっとした味ってこういうのを言うのね、きっと。凛としてるって言うのかしら。 すごく複雑な香りがしてね、香りは華やかなのに、味はドライなの。繊細なようでいて一本芯が通っててね。まるで“誰かさん”に飲ませたいみたいな味のお酒なのよね〜。」
ゾロの殺気が緩む。
目を丸くしている。
打って変わってサンジはうろたえている。
「な、何、ナミさん、何言って…、んなの、ナミさんに飲ませたいに、決まって…。」
そんなサンジの様子にも満足して、ナミはゾロの耳元に口を寄せた。
「それにね、ボトルの色が綺麗なブルーなの。サンジくんの瞳とそっくりな色なのよ。」
ちょっと言葉を切って、わざとゆっくりと、囁く。
「綺麗な、透き通った、透明な、ブルー。」
はっきりと、ゾロの顔が変わった。
「見てみたくない?」
にんまりと、ナミは微笑んだ。
まさしく魔女の笑み。
「いい子にする?」
「…………………わかった。」
ゾロが、持ち上げかけていた鬼徹を下ろした。
「ナミさぁぁぁ〜ん…。」
サンジが世にも情けない声を出す。
「おつまみよろしくね♪ サンジ君♪」
にっこり。
「はぁい… ナミさん……。」
がっくり。
サンジが、ぶつぶつと文句を言いながらも、背を向けてキッチンに立ったのを見て、ナミは、ゾロの皿をつまみ食いする。
「てめェは喰うな。」
「あら、いいじゃないの。」
魚の旨味がねっとりと口に溶けて、梅酢の酸味がさっぱりとする。
本当においしい。
だが、いつものサンジの料理とは、少し趣が異なる気がする。
何しろ、色が地味すぎ。
少なくともこういう料理が、いつもの食卓に上った事は一度もない。
ゾロの為の料理…。
ゾロだけの為の、料理。
確かにこれをつまみに大吟醸を飲んだら、さぞうまかろう。
「おい。」
ゾロが低い声で言った。
「てめェ、何考えてる?」
目が思いっきり警戒している。
「何よ、あたしがあんた達をお酒に誘っちゃ悪いの?」
「ふざけるな。てめェが下心もなしにそんな事言うわきゃないだろう。」
ま、確かに下心はあるけどね、とナミは内心思う。
怪しんだゾロがなおも言い募ろうとしたとき、いきなり脳天に衝撃がきた。
「クソマリモ、ナミさんに何ガンくれてやがる。」
コックのかかと落としが炸裂していた。
「………クソコック……!」
ゾロは激痛に頭を抱えた。
それをサンジは意にも介さず、
「どうぞ、ナミさぁん♪」
と、ゾロへのつまみとはうってかわって綺麗に可愛らしく盛り付けられたカナッペの皿を、ナミの前へと置いた。
「ありがとう、サンジ君。」
礼を言って、一つ摘まんで口に入れ、「おいしい♪」とナミ。
「どういたしまして♪」とサンジ。
きゃらきゃらとした雰囲気の中、いきなり、
「ナミ」
不機嫌を露にした声がする。
まったくもう。無粋ねっ。と、ナミはゾロを振り向いた。
「もったいぶんな。それ、早く出せ。」
クーラーボックスを顎で指す。
やれやれ、とため息をついて、ナミはクーラーボックスを開け、とん、と音を立ててゾロの前にそのボトルを置いた。
2003/11/08