- 4 -
その透き通ったブルーボトルに、ゾロは完全に虚を突かれたようだった。
ボトルのデザインはシンプルすぎるほどシンプルだ。
ただ、色だけがどこまでも透明に青い。
酒とみればすぐに飲みたがるはずのゾロが、開栓する事も忘れて、ただただボトルの青に魅入っていた。
ナミは、そんなゾロの様子に、内心驚いていた。
さっきも、ナミがサンジにちょっかいを出しただけで、ゾロはたやすく嫉妬を露にした。
その後、“サンジの瞳の色のボトル”の話を聞いた瞬間、ゾロはなんとも表現しがたい顔つきになった。
それはサンジとキスしてる時のゾロのやたらといとおしげな顔とどこか似ていて、なんというか、ナミは、ゾロに悪いと思いつつ、カユクなった。
率直に感想を言うと、「うわー、うわー、うわー」しか出て来ない。
ゾロとナミが、ほんの少しだけ付き合っていたっぽい間のゾロのナミへの態度から、ナミは勝手に、ゾロは恋愛には醒めた男なのだと思っていた。
それがどうだ。
ほんの少し突付いただけで殺気を滲ませるほどの独占欲を見せたり、もう体まで交わしているはずの恋人の瞳に似た色のビンを見て、まるで片思い真っ最中の小娘のように見惚れたり、かわいいっちゃかわいいが、カユイ。顔面をかきむしりたくなるほどにカユイ。
だってゾロなのに! ゾロのくせになのに!
そういえば、ゾロとサンジが付き合うようになる前だって、あまり感情を表に出さないはずのこの男が、実にたやすくサンジの挑発には乗っていたではないか。
ゾロの考えは、表情からは読み取りにくい。
だからナミは、いったいゾロの方はいつからサンジに対してそういう気持ちを抱いていたのだろうと常々不思議だったのだが…。
あれは、サンジのことが気に入らないとか、そういうことではなく?
思いっきり意識していたから?
はっはーん。そう。そういうことだったのー。と、ナミはほくそ笑む。
その一方で、ほんの少しだけ、ちりちりと胸が痛い。
自分じゃダメだったのだ、という事が。
ゾロが、自分じゃなくてサンジを選んだという事が。
今ではゾロを好きなわけでもないのに、心のどこかで、ゾロには自分を好きでいて欲しかったと思っている。
欲張りね、あたしは…。
ゾロも欲しい。サンジも欲しい。
そしてもっともっと欲しいものがある。
欲しくて欲しくて仕方ないのに、大切すぎて手が出せないものがある。
エメラルドでもなく、サファイヤでもなく、…黒曜石が欲しい…
欲張りね、あたしは。と、ナミはもう一度そう思い、小さなため息をついた。
ふと視線を感じて顔をあげると、サンジと目が合った。
それが思いもかけず真摯な目で、ナミは何故かどきりとした。
サンジは、コックという性のせいか、人の心の機敏に聡い。
さっきといい、今といい、らしくもなくこんな時間にラウンジにきているナミに、なにか思うところあるのかもしれない。
ナミは、静かに笑って見せた。
「ねぇ、サンジくん。このお酒で、何かカクテルとか、作れる?」
サンジもすぐに笑い返す。
「もちろん、ナミさん。」
サンジは、まだぼけっとボトルを眺めていたゾロの手からボトルをひったくると、キザな仕草でボトルをくるっと回し、ラベルの女王に軽くキスをした。
「ん。まだ充分に冷えてるな。」
それから、キッチンの戸棚から、シェーカー、メジャーカップ、ミキシンググラス、バースプーンを次々に取り出し、次いで、ワインセラーからワインやらリキュールやらのビンを取り出して、目の前に並べ始めた。
手慣れた仕草で、メジャーカップで、ブルーボトルの酒、オレンジキュラソー、クランベリージュース、ライムジュースを量り、シェーカーに入れる。
そして、鮮やかな手つきでシェーカーを振り始めた。
優雅とすら言えるほどの、無駄のない動き。
それは完全に専門職のそれで、ナミは目を丸くした。
確かサンジはソムリエも出来たはずだ。
コックやって、ウェイターやって、ソムリエやって、おまけにバーテンダーまでできて。
いったいサンジは、バラティエで何役をこなしていたんだろう。
…まぁ、どれも女性客を口説くのに使っていたのは間違いないんだろうけど。
「サンジ君、すっごぉい。」
思わずちょっとときめいてしまうナミ。
横目でゾロを見ると、ゾロも目を見開いてサンジを見ている。
どうやら見惚れているらしい、と分かってナミは顔をぽりぽりと掻いた。
カユイ。
サンジは実にキザな仕草で、シェークしたカクテルをグラスに注ぐと、オレンジピールを飾り付けて、すっとナミの前に出した。
「7月生まれの貴女に。」
7月の誕生石、ルビー色のカクテル。
「ふふ。ありがとう、サンジ君。」
こういう事を平気で出来るのがサンジ君よね、と、思いながら、ナミはグラスを持ち上げた。
甘い柑橘系の香り。
「おいしい…♪」
甘酸っぱい、けれど甘すぎない味が口の中に広がる。
「クソ剣豪にはこれは甘すぎるから…と。」
ミキシンググラスに入れた氷が、軽い音を立てる。
「15、と。そしてオレンジビターを一振り、っと…。」
鼻歌でも歌うような感じで呟きながら、氷の入ったミキシンググラスに並べたワインボトルの中から一本を選び出して、量り入れる。
くるくるっとバースプーンでかき混ぜて、氷を残して全て捨ててしまう。
そこにブルーボトルの酒を入れる。
「ステアが命…っと。」
バースプーンで手早く慎重にかき混ぜる。
「俺にはさっきの奴、しないのか?」
ゾロが口を開いた。
「んあ?」
「さっきの。シャカシャカって奴。」
「これにはしねェ。」
何回か丁寧にステアして、ストレーナーを乗せて、カクテルグラスに注ぐ。
レモンの皮を少し切り、グラスの上で軽く絞って、そのままカクテルに沈める。
そして、ゾロの前にそのグラスを滑らせた。
「飲んでみろ。」
料理に得心がいった時の笑みを口元に浮かべている。
ゾロはそっとグラスを持ち上げた。
「…酒は透明なんだな。」
そして一息に干した。
サンジが「おいおい」と一人ごちる。
「確かにショートカクテルだけどよ。一気に飲み干す奴があるかよ。」
口の中でぶつぶつと呟いていたが、ゾロが、グラスを置き、
「うめェ。」
と一言いっただけで、それは瞬く間に破顔した。
わかりやすいわ…サンジ君…。
それから先は酒盛りになった。
ナミとゾロは、サンジが次々と作り出すカクテルに夢中になった。
ナミは当然、「おいしいわ、サンジ君。」「すごいわ、サンジ君。」を連発してサンジをメロメロにさせ、ゾロも珍しく二言三言「うめェ」と呟いたりしていた。
サンジはすっかりご機嫌になり、サンジ自身も、うっかりナミに勧められるまま、かなりな量を飲んでいた。
たぶん、サンジは忘れていたのだろう。
目の前の二人が、麦わら海賊団の大酒豪の座を二分する二人だという事を。
気がつくと、サンジはもう自力では立てないほどになっていた。
「ほんっと可愛い…。サンジ君。」
ナミのその呟きの、妙に含んだ響きに、ゾロが訝しげな目を向けた。
ナミは、ずっとサンジを見ていた。
こんな風にずっとサンジを見つめたのは初めてのような気がする。
普通にしてればイイ男なのに、どうして女を口説くとなると滑稽なほど崩れるのかしら、とか。
ほんとに白い肌ね。何かお手入れとかしてるのかしら。とか。
表情がくるくる変わって面白いな、とか。
眉毛もぐるぐる回ってて面白いな、とか。
月の光のように冴えた輝きを放つ細い金の髪とか。
海を映したような蒼い瞳とか。
思いのほか品のいい物腰とか。
お酒を飲んでうっすらと上気してくる頬だとか。
首筋とか。
鎖骨とか。
唇とか。
「てめェ…。コック見んのやめろ。」
低い低い声が、自分の意識に入り込んでいたナミを覚醒させた。
「あ?」
サンジは、ゾロは何を言い出したんだ?という顔をしている。
ゾロは苛立っていた。
「どうして?」
すました顔で聞くと、ゾロは小さく舌打ちした。
「目で、犯してやがったろう。」
「なっ…! てめェ!ナミさんになんてことっ…!」
サンジの顔が、酔いのせいではなく、赤くなる。
ナミは少し驚いた。
もう少しごまかした言い方をするかと思っていたのに、ゾロはいきなり確信をついてきた。
ゾロの余裕のなさに気がついて、ナミは笑い出したくなった。
「そんなに大事なの? サンジ君が。」
言うつもりはなかったのに、思ったとたんに口に出していた。
サンジが絶句する。
ゾロの顔が強張る。
「…………………そんなんじゃねェ。」
思いっきり“そんなん”なはずなのに、そんな事を言うのね。
「じゃあ、あたしがサンジ君と寝てみたい、って言ったらどうする?」
2003/11/20