彼女から色よい返事を貰えた翌日、私は彼に海外赴任の件に承諾の返事をする事が出来た。
「そうか」
そう言った彼の表情からは感情が窺えなかったが、こう尋ねられた。
「行く前に入籍するつもりかね?」
彼女と具体的な話についてまだ相談はしていないが、私としては。
「出来れば」
私の答えに彼は頷いてから
「国際結婚は手続きが大変らしい。君の父上によく相談する事だな」
そうアドバイスされた。
確かに、結婚となれば私の両親に報告しなければならないし、彼女の家族にも・・・難敵だという彼女の祖父母に・・・アメリカまで挨拶に行かなければならないだろうか?
今まで考えた事が無かった訳ではないが、実際に結婚するとなると、日本人同士でも時間が掛かるのに、国際結婚だとどうなるのか?
兄が結婚した時、相手を家族に紹介してから式を挙げるまで、半年は掛かったような記憶がある。
その時ですら『早い』と言われた方だった。
私は自分の浅慮に少し焦った。
赴任するまでに入籍して式を挙げられるのだろうか?
私は法律の専門家である父に報告を兼ねて尋ねた。
海外赴任が決まった事、そして連れて行きたい相手が居る事。
「まあ、お前の年なら当然だろう」
結婚自体に反対ではないらしいが、やはり相手を告げると驚かれた。
「まさかお前、依頼人のお嬢さんに手を出したのか?」
酷い言われ様だ。
どちらかと言えば手を出された様な・・・いや、やはり拙いのか?
考え込んで黙ってしまった私に、父は更に不穏な事を言う。
「ま、まさか・・・既に子供が出来たとか言うんじゃないだろうな?」
「ち、違いますよ!」
そんな事にはなっていない筈です!多分。
「ただ、ロンドンへの赴任が決まっているので、手続きにどれくらいの時間が掛かるか、教えて頂きたいと思って」
あまり時間が掛かるようなら日本での挙式は諦めてロンドンで挙げてもいいかとも思うし。
「そうか・・・そうだな。入籍するだけなら書類を揃えればいいだけだが。彼女とは相談したのか?」
「いえ、まだです」
話が急に決まったから・・・いや、私の決意が遅過ぎたのが原因だろうか?
「なら、これだけは彼女とよく話し合って決めておきなさい。結婚後の苗字について、どちらの姓を名乗るか、婚姻届の提出と同時に決めておかないと、後々苦労する事になるぞ」
父の忠告はこれだけだったが、母は違った。
「日本でお式を挙げるなら、ライラさんの宗派がどうかも確認しなくては駄目よ。それと、もちろん彼女がどういったお式を挙げたいのかも。結婚式は女性の夢ですもの」
そ、そうか・・・宗教・・・それもあった。
彼女が礼拝に行っている所など見た事が無かったが、それでも大切な事だろう。
それに、確かに結婚式に色々と夢を持つ女性は多い筈だし。
出来るだけ彼女の望む方向で夢を叶えてあげたいが。
「それで、ミスター・クリフォードにはもう話したのか?」
父に問われて頷く。
「赴任先での彼女のポストも用意して貰いました」
「そうか・・・彼も彼女が生まれる前に離婚してしまったから、何も出来なかった事に負い目を感じているんだろうが・・・それでも、彼女の事は他の子供達と同じように気にかけている筈なんだ」
だが、彼の態度はあまりそうは見えない。
私は父の言葉に少し疑問を持って眉を顰めると、父はそんな私を見て笑った。
「彼は意地っ張りだからな。あまり表に出さないが、彼女への支援も確かに最初は私が持ち掛けたが具体的な内容は彼が決めた事だよ」
・・・そうだったのか。
「日本で式を挙げるなら、彼にも出席して貰えるんだろう?」
私は頷いた。
私の上司としてでも、彼に出席して貰えればいいと思う。
娘の晴れ姿を彼に見て貰いたい。
私の両親はほんの少しの嫌味と忠告を与えてくれただけで、彼女との結婚についても、当然ながら海外赴任についても反対はしなかった。
結婚については、彼女と色々と話し合わなければならない事が多そうだ。
彼は『美味しいですよ』なんて言った癖に、一口食べた後は手をつけない。
やっぱり駄目だったのかしら・・・
味は悪くないと思うんだけどな。
やっぱり、私にはお料理なんて向いてないのかな?
彼がプロポーズしてくれたし、頑張ってみようと思ったのにな。
ガックリと落ち込みながらビールを飲んでいると、彼が躊躇いがちに話し始めた。
「その・・・先日申し上げた件なのですが・・・」
え?
ま、まさか・・・もうプロポーズを取り消すだなんて言い出すんじゃないでしょうね?
わ、私のお料理の腕があまりにも酷いから結婚は考え直すつもりなの?
そ、それほど酷かったの?
ショック!
コーヒーは上手く淹れられるようになったのに・・・お料理は流石に駄目だったのね。
やっぱり、初めて作った物なんかじゃなくて、もっと自信をつけてからの方が良かった?
「・・・に話をしたのですが」
え?
あ?
聞いてなかった。
「ごめんなさい、何の事?」
いけないわ、幾ら別れ話でも、ちゃんと聞かなきゃ。
笑って、笑って。
「つまり、私の両親にあなたとの事を話したのですが」
彼の視線が私から逸らされてる。
え?彼のご両親?
そ、それって!
「父からは入籍後の姓について良く考える様に言われましたし、母からは式の希望を聞くようにと」
ええ〜〜!!
ご、ご両親に、わ、私の事を話したのぉ?
ま、まだ、ちゃんとご挨拶した事もないのにぃ!
ど、どうしましょう・・・アメリカ人の嫁だなんて、彼のご両親は嫌がっているのかもしれないわ。
国際結婚となると色々と面倒だし、金髪の嫁なんて嫌なのかも。
も、もしかしてご両親に反対されたからこの話は無かった事にしようとか?
「それであなたの意見を聞きたいと・・・聞いてますか?」
膝の上に肘をついて考え込むように俯いた私に漸く気付いた彼が尋ねる。
「・・・イヤよ・・・」
「は?」
「プ、プロポーズを今更無かった事にしようなんて!わ、私は絶対に認めないわよ!」
突然立ち上がって叫んだ私を、唖然とした彼が見上げる。
「・・・どうしてそんなことを?私はただあなたに意見を聞こうとしただけですよ?」
はい?
意見?
「いいですか、もう一度言いますから、ちゃんと良く聞いて下さい。私はあなたとの結婚について両親に話した処、父からは入籍までに苗字について決めて置けと言われ、母からはどんな式にするのか貴方に聞く様にと言われたんです。ですから私はあなたに意見を窺っていたところなんですが」
そ、そうだったの・・・
「ご理解いただけましたか?」
彼の言葉に、気が抜けた様になってしまった私はソファーに腰を下ろしてコクンと頷いた。
私の勘違いだったの?
「それで、どうお考えですか?」
彼が私のお料理を一口以上食べてくれないから誤解しちゃったじゃないの。
やっぱり、恋人の作ったものくらい綺麗に食べつくすのがマナーだと思うんだけど。
「ライラ!」
強い口調で名前を呼ばれて私はビクッとなった。
いけない、また思考の淵を彷徨うところだったわ。
「え、えっと・・・苗字について?と式の希望だったわね?」
苗字・・・と言えば結婚後のファミリー・ネームの事かしら?
確か、日本の法律では・・・
「日本の役所に婚姻届を提出するなら、あなたの戸籍はそのままで構わないんじゃないかしら?これからロンドンに赴任するなら、すぐにアメリカ国籍や永住権を申請する訳にも行かないんだし、その必要もないでしょ?」
私の言葉に彼は唖然としている。
あら、失礼ね。
私はこれでもちゃんと調べたのよ。
「私があなたと日本で入籍手続きを取るだけなら、私が大使館で婚姻要件具備証明書を貰ってパスポートと外国人登録証を見せればいいだけの筈よ。あなたの戸籍謄本を添えてね」
大使館のホームページにちゃんと載っていたもの。
「あなたのお父様が気にしていらっしゃるのは、婚姻届に記入する結婚後の苗字の事でしょう?」
私の問い掛けにも彼は黙ったまま答えない。
いやだわ、ちゃんと聞いていなかったのはどっちの方なの?
「私は将来的にも日本の国籍にするつもりはないから、あなたは今のままの苗字で記入していいと思うわ。アメリカ人の私は日本の戸籍には載らないから、私の苗字もそのままになるし」
日本には5年しか住んでないけど、それなりに愛着もあるしある意味私にとっては聖地だから、日本人になるのが嫌な訳じゃない。
でもそれよりは、彼も私も今まで通りの国籍のままでいた方が良いと思うのよね。
彼の苗字を名乗る事に未練が無い訳じゃないけど。
「日本国籍を取得するには何年も掛かるわ。それに何より、私にはステイツに土地と財産と祖父母を残してるから」
アメリカ国籍を捨てる訳にはいかないのよね。
「その・・・あちらのご家族には?」
あら?彼ったら気にしてくれていたのね。
「電話で知らせるわ」
もしかして、挨拶とかするつもりなの?
やめて欲しいわ。
「でも、その・・・反対とかされませんか?」
彼ったら、妙な事を気にするのね。
「私はもうとっくに成人しているし、私の結婚についてとやかく言う権利は祖父母には無いわ」
そうよ、母の遺産は既に成人した段階で譲り受けてあるんだし、彼との結婚に反対なんかしたらもう二度と逢わないって言ってやるわ。
それよりも
「あなたのご両親は私との結婚に反対なさらなかったの?」
そっちの方が気になるわ。
「さっきも申し上げましたけど、両親が気にしているのは別の事ですよ。それに私はあなたよりもかなり前に成人していますからね」
彼の笑顔にホッとする。
人種のサラダボウルと言われるステイツならともかく、東洋人種に特化している日本では私みたいな外国人は完全なる異邦人だから・・・気にしていたのよね。
「苗字に付いての私の考えはさっき言った通りよ。あなたに異存がなければ」
彼は私の言葉に黙ったまま、考え込んだ。
「すぐに結論を出さずに良く考えてみて」
それと
「私からあなたに聞いておきたい事もあるんだけど」
「・・・何ですか?」
私は真摯な視線で彼を見つめる。
「あなたは将来的にステイツに移住するつもりはあるの?」
国籍を取得するのはステイツでも何年か掛かるし、日本の国籍を捨ててしまう事になる。
でも、永住権なら私と結婚する事で申請する事が出来るわ。
彼がそのつもりなら、グリーンカードだけなら、何れ申請する事も出来る。
「あなたが将来、アメリカに帰国するおつもりなら、考えなくてはならないと思いますね」
私はその答えに嬉しくなった。
それって、私とずっと一緒に居てくれるって事よね?
「移民ビザの申請には、パスポートと同じ名前での申請が必要なのよ。だから、あなたが将来的に申請するつもりなら、入籍した後にパスポートの名前だけでも変えた方が良いと思うの」
彼の戸惑った様子に補足してあげる。
「あのね、日本の戸籍の名前は変えずに、パスポートには別名併記と言うのが出来るのよ。アメリカ大使館にも日本での婚姻の証明を提出する必要があるし、大使館でステイツで通用するマリッジライセンスのサーティフィケートとして公証して貰えるわ。それを見せればパスポートの新規作成か記載事項変更手続きだけであなたの名前に私のファミリー・ネームを加える事が可能なのよ」
ネットには色々な方法が載っていたの。
「そうすれば、あなたはステイツでアクトンを名乗る事も出来るわ。向こうには戸籍なんて無いし」
私が彼の苗字になる事は難しいけれど、彼が私の苗字を名乗る事は意外と簡単なのよ。
「まあ、苗字の件はあなたに結論を出して貰うとして、日本で私達が婚姻届を提出するのは意外と簡単なのよ」
そう、入籍だけならね。
「よくご存じですね。私は全然知りませんでした」
あ、あら、べ、別にあなたと結婚したかったから色々と調べた訳じゃないのよ!
「・・・あなたが不勉強なだけじゃなくて?」
そうよ、弁護士の息子の癖に。
「そうですね。本当に申し訳ないです」
殊勝に頭を下げる彼に、私は思わず得意げになりそうになるけど、彼はそんな事で私と本気で結婚するつもりなのかしらと不安にもなる。
ちょっと調べれば簡単に判る事なのに。
「あと、式の件ですが。何か希望はありますか?」
母はあなたの宗教についても気にしていました、と彼が付け加えた。
宗教ねぇ・・・
「家は一応、代々カトリックだけど・・・ご存じの通り、私の母親は離婚しているし、熱心な信者な訳じゃないわ」
確かに向こうでは教会に家族席とかがあるけど、日本に来てからはミサに行ってないし、今の日本人と同じようなものだと思うのよ、今の私は。
第一、敬虔なカトリック信者なら異教徒と結婚なんて出来る訳が無いでしょう?
・・・今ではそんな人も殆ど居ないらしいけど。
「でも、やはり教会ですよね?」
うう〜ん・・・彼ったら・・・
やっぱり、男の人は結婚について具体的に考えた事なんて無いのね。
「あなたがお望みなら、神前で白無垢でも良くってよ」
確かに白いウエディングドレスは憧れていたけれど、日本の和装も嫌いじゃないわ。
でも、多分、いや、絶対に似合わなさそう・・・私には。
ああいった装いは、やっぱり黒い髪に切れ長の目が似合うのよね。
「我が家は神道ではありませんよ。多分仏教徒ですし」
あら、日本人らしいお答えだ事。
それなら気にしなくてもいいのかしら。
「ただ、日本で式を挙げると準備に時間が掛かるのではないかと危惧しているんです。式場の予約から始まって、何度も打ち合わせをしたりと大変そうですので」
時間ねぇ・・・確かにそんな話を聞いた事が有る様な無い様な。
「いっその事、向こうで落ち着いてからロンドンで式を挙げると言う手もありますが」
との彼の提案に、そうね、それも良いのかもとも思う。
彼の望みは出来るだけ叶えてあげたいし。
「ただ、こちらにはあなたの父上とご兄弟がいらっしゃいますから。私の両親もおりますし。出来るだけ式だけでも挙げる方法を探してみますね」
日本式の披露宴は仰々しいですからね、と彼が苦笑する。
あら残念。
一度、ゴンドラとかに乗ってみたかったんだけど。
ドライアイスをバンバン焚いたり、何度もお色直しをしたり、日本の披露宴って派手で面白いと思ったんだけど。
男の人は嫌がるのね。
無理もないのかしら。
「衣装の手配にも時間が掛かる様ですから、早く準備を始めないといけませんね」
彼はそう言うけれど。
「・・・探せばドレスはレンタルで見つかるし、式場だって1ヶ月後に挙げられる所がある筈だわ」
探したもの。
恥ずかしくって彼には言えないけれど。
だって、こういうものはブライダル・フェアとかに相手と一緒に出向いて探す物なのでしょう?
女が一人でネットで色々と検索しただなんて知られたら恥ずかしいに決まっているじゃないの!
「どこかお目当ての場所でもあるんですか?」
うう・・・彼ったら、こういう時ばかりは察しが良過ぎるわ。
ムスッと口をつぐんだ私に彼が顔を近付けて来る。
い、言わない!
「ライラ」
彼がそっと私の両頬を包んで囁く。
「私はあなたが望む通りの事を出来るだけしてあげたいんです」
ひ、卑怯よ〜!
そ、そんなに色っぽい声で囁かれてキスされちゃったら・・・白状するしかないじゃないのぉ。
「・・・恵比寿にある式場の中に、チャペルがあって・・・そこは1ヶ月後でもOKだって・・・」
ネットで見ただけなんだから!
決して、そんな、探した訳じゃ・・・無い訳無いんだけど。
「嬉しいです」
彼が私の背中に腕を回してギュッと抱きしめてくれる。
「私もあなたと早く一緒になりたいですから」
そう囁いてくれたから、私も彼の背中に腕を回した。
「ライラ」
彼の私を呼ぶ声にうっとりとしそうになったのに。
「ロンドンでの住まいはフラットを借りるより、家を借りた方が良いですか?」
まったく、無粋な人ね。
「皐」
私は彼を睨んでこう伝えた。
「私をマリッジ・ブルーにさせないでね」
結婚の準備でそうなる人が多いと聞くわよ。
「・・・気をつけます」
宜しい。
「心配しなくても大丈夫よ」
私は彼の耳元手そっと囁いた。
もう既に、ロンドンのエージェントに家を探すように伝えてあるから。
後は、彼らの連絡を待つだけなの。
そしてその中から気に入った物件を見つければ良いだけ。
式を挙げるまでに準備が整うようにしておくから。
あなたは私の事だけを考えていてね。
父に「イギリスへの就労ビザの申請があるから籍だけは早く入れておいた方が良い」と言われて、7月17日の大安にアメリカ大使館に近い港区役所へ婚姻届を提出した。
区役所の窓口の人に「おめでとうございます」と言われて彼女が「あ、ありがとうございます」と言った言葉は少し震えてていた。
私も何だか胸が熱くなる。
今日は役所周りだけなので、彼女は白いスーツで私はダークブルーのスーツと普段の通勤とあまり変わらないが、書類上は今日が結婚記念日となる。
慌しくて、実感が湧かないが、今日から彼女は私の妻となったのだ。
移動するタクシーの中で、彼女の手をギュッと握りしめると、力強く握り返される。
膝の上に置かれた彼女の左手には小さなダイヤの指輪。
急いだのでマリッジリングは間に合わなかったが。
「そう言えば、あなたのファースト・ネームはフランチェスカと言うんですね」
恥ずかしながら、今日提出した書類を見て初めて知った。
婚姻届は私が貰って来て、証人欄に両親の名前を記入して貰い、彼女に区役所で記入して貰ったから。
私の言葉に彼女は顔を顰める。
「・・・カトリックはファースト・ネームがクリスチャン・ネームになるのよ」
そうなのか?
「祖父母以外は誰もそんな名前で呼ばないわ」
長いし、嫌いなのよ、と彼女はブツブツと小さな声で呟く。
そうかな?可愛い名前だと思うのに。
「略称のフランはスペイン語だとカスタード・プディングの事だし、日本にもそんな名前のお菓子があるでしょ?」
私はそんなに甘いイメージじゃないし、などと呟く。
フラン・・・可愛いあなたに似合っている名前。
「フラン、と呼ばれるのは嫌ですか?」
耳元で囁いて、ピアスをそっと食む。
今日のピアスは真珠。冠婚葬祭に相応しい物だ。
すぐに赤くなった耳に唇で触れていると、彼女は俯きながら呟いた。
「・・・家族になら・・・呼ばれても構わないけど」
本当に可愛い人だ。
そう、私達は今日から家族。
アメリカ大使館にアポを取った時間に間に合うように食事を済ませて、区役所で貰った婚姻届受理証明証を英訳し、翻訳宣誓書にサインする。
提出書類の確認が終わると、領事の前で宣誓をさせられた。
日本の役所には無いシステムだ。
少し、緊張する。
領事にサインを貰って「Congratulations」と言われ、彼女の顔を見て微笑み合う。
これで、日本でもアメリカでも私達は夫婦となれた事になる。
私の両親は兄夫婦を呼んで祝ってくれると言っていたが、この前の日曜日に彼女を家に連れて行った時の母の反応ときたら・・・思い出すのも恥ずかしい。
彼女に色々と質問し、仕舞いには私の恥ずかしい事までベラベラと喋ってくれて・・・もう二度とあんな思いはしたくない。
あなたの息子はもう30をとうに過ぎているんですから、子供の頃の話なんてやめて下さいよ!
「良かったのかしら?あなたのお父様達のお誘いを断ってしまって」
彼女は気にしているようだが、私は寧ろ二人っきりの方が良い。
「大切な日ですから、誰よりもあなただけと一緒に過ごしたいですね」
私がそう言って微笑むと彼女も微笑み返してくれる。
「でも、少し残念かも。皐のお母様のお話はとても楽しいから」
勘弁して下さい。
タクシーで彼女の・・・いや、今日からは二人の家になる・・・マンションに戻って部屋の鍵を開けながら、ふと思い立って彼女を抱き上げた。
「ど、どうしたの?」
驚く彼女を腕に抱えながら何とかドアを開ける。
「新居に入る時にはこうするものでしょう?」
新郎が新婦を抱えるものだと聞いている。
彼女はそれを聞くと、頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。
そして私の首に腕を回して頬にキスをしてくれる。
彼女の持っている物に引け目を感じて、彼女に打ち明けられずに5年も待たせてしまった。
彼女に相応しくなりたいと感じたばかりに、長い間待たせた事が悔やまれる。
こうして何もかもを慌てて事を運ぶ度にそう思う。
もっと早く彼女に対して素直な気持ちを打ち明けられていたら。
もっと早くこうなっていられたのかもしれないのに。
そんな悔いが彼女に今まで抱いていた拘りを少しずつだが減らしてくれる。
今まで着替えや身の回りの物を置かないように心掛けていた彼女のマンションに住む事もそうだが、彼女が私の姓を名乗らずに私がアメリカで彼女の姓を名乗る事も。
私の荷物は殆どが洋服と本ぐらいで、既に昨日までに運び込んであった。
最も、ここで暮らすのもあと数カ月になるのだろうが。
今日はそんなに暑くはないのに、色々と緊張した所為か汗を掻いている。
彼ったら、部屋のドアの前でいきなりあんな事をするし・・・嬉しかったけれど。
「シャワーを浴びる?」
コーヒーを淹れようか迷ったけれど、彼にそう尋ねると、上着を脱いでネクタイに手を掛けていた彼は。
「一緒に入りますか?」
な、何て事を・・・恥ずかしいし、はしたないけど・・・う、嬉しいかも。
でも、素直に頷けないわ。
「・・・着替えを取って来るわ」
そう言って背中を向けた私に。
「待ってますよ」
だなんて!
キャー!どうしましょう!
今更、裸を恥ずかしがるような間柄ではないけれど、一緒に入るのも初めてじゃないけれど、でもでも・・・
彼からのお誘いって、もしかしたら初めてじゃないかしら?
バスルームであんな事やそんな事をされちゃったら・・・
バスルームは声が響くから・・・
着替えを用意して、お化粧を落として・・・恥ずかしい所為か、モタモタとしていたら、バスルームに入った途端に
「待ちくたびれましたよ」
何て言われて、後ろから抱き締められてしまった。
背中に感じる彼の素肌。
そして首筋に唇の柔らかい感触。
「ダメ、まだシャワーを浴びていないのに」
汚いわよ。
それにくすぐったいし・・・すぐに感じてしまいそう。
すると、彼がシャワーのコックを捻って、暖かいお湯が頭から降り注がれる。
ああん、もう!ちゃんとヘアケアをしないといけないのに!
でも、唇をキスで塞がれて今度は文句も言えない。
キスの間に彼が施す愛撫は、私の身体に瞬く間に火をつける。
「フラン」
彼の囁く名前にドキッ、とする。
どうしてその名前で呼ぶの?
私が『家族に呼ばれるのなら構わない』と言ったから?
私達は今日から家族になったから?
それなら嬉しい。
それに彼に呼ばれるのなら、どんな名前だって構わないの。
「皐」
ねぇ、あまり焦らさないで。
彼の指にすっかり逆上せてしまった私は、彼の名前を呼んで促す。
お湯を浴び続けていた私達は、バスルームから出て、寝室へ移った。
満足に身体を拭かないままにベッドに入った私の身体に、彼の舌が這いまわる。
やだ、きちんと洗っていないのに。
でも、火がついた身体はもっと強い刺激を求めて疼く。
自ら脚を開いて彼を誘う。
もっと、もっとして!
何が欲しいのか、あなたは知っているでしょう?
私の身体の事はあなただけが良く知っているんですもの。
「ああ・・・っ・・・ん・・・そこぉ・・・イイ」
彼の与えてくれる快感に身体を震わせて浸る。
軽いエクスタシーの後に与えられる彼のコック。
「ああっ・・・皐!」
彼を求める様に、腕を上に上げれば、その中に彼の身体が入って来る。
「フラン」
耳元で囁かれると、ダメ・・・すぐにイッてしまいそう。
「ん、ん、んっ・・・ん」
堪えようと無意識に唇を噛み締めていると、彼がその唇を舐める。
「我慢しないで、声を出して。私に聞かせて下さい」
だって、それじゃすぐにイッちゃう。
首を振る私の顎を捕まえて、彼は私の口の中に舌をねじ込む様なキスをして来る。
「んっ・・・」
漸く離れた唇は開いたまま、悲鳴を上げる。
「あっ・・・んん・・・やっあっ・・・イッちゃう!」
「はぁっ・・・イッて・・・私も・・・」
切れ切れの彼の声が、私の我慢を終わらせる。
「やっ・・・皐ぅ・・・」
「くっ」
弛緩した身体に彼が覆い被さって来る。
ああ、凄く幸せ・・・この腕の中の身体は私の夫の物。
ずっと抱いていたいのに、彼はいつものように身体を起こして後始末を始めた。
もう結婚したんだから避妊しなくても・・・そう言えば。
「ねぇ、子供は欲しくないの?」
私は欲しいけど、出来ればたくさん。
そして子供が大きくなったら、日本でもステイツでも好きな国籍が選べるようにしてあげるの。
ステイツでは二重国籍が可能だけど、日本では許していないし。
だから、彼の名前を変えないで置いたのよ。
彼は苦笑しながら答えてくれた。
「それは欲しいですけど、今はまだ駄目ですよ。今、出来てしまうと赴任する時に大変ですよ?」
あ、そうか。
「それに」
彼がまた私の身体を抱き寄せて囁いた。
「もう暫くはあなたの身体を一人占めしたい」
そ、そ、そうね。
もう暫く二人っきりと言うのも良いわよね。
私は赤くなった顔を隠す様に彼の肩に顔を埋めて呟いた。
「我儘な人ね」
心の中と裏腹な言葉が出てしまう癖は、そう簡単には治らないみたい。
彼の私を宥めるような優しい愛撫が、激しいものに変わったのはすぐだった。
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