琥珀の月



カレンダーを見て気付いた。
そして手帳を出して確認した。

遅れてる・・・

私は先日の彼の言葉を思い出してヒヤリとする。

『ナマでやっちまって孕ますってのはどうだ?』

まさか・・・まさか。
彼はちゃんと避妊してくれていたはず。
でも、完全な避妊方法はないとも聞いた。

彼に任せっきりで自分では何もしていなかったのがいけなかったのだろうか?
幾つかの方法を併用するのが一番確実だとも聞いたし。

でもピルなんて・・・産婦人科で処方してもらうのも・・・
いつも定期的にキチンと来ていたから、不順を理由に処方してもらうのも難しいだろうし。

薬を買って検査してみるべきだろうか?
まだそうだと決まった訳ではないし。

ネットで色々と調べてみる。
友人たちから聞いただけの知識では不安だし不確かだから。

排卵日と妊娠しやすい時期について・・・これは該当しないと思うけど確実性は少ないかも。
妊娠の初期症状について・・・熱っぽくはないし風邪を引いた様な症状もないし、当然悪阻もない。
検査薬も2週間遅れていなければ使えないのか・・・まだ予定日から1週間しか遅れていないから使えない。

ただ遅れているだけなのだろうか?
でも、今までそんな事はなかったのに。

もし、出来ていたら・・・生むの?
まだ学生なのに?

学校は辞めなくてはならなくなるし、両親も反対するだろうか?
堕ろすしかないの?

彼はどうするだろう?
喜んでくれるだろうか?
それとも・・・迷惑になる?
それは確実。
彼の未来をメチャメチャにしてしまうもの。

私を嫌いになる?
それとも彼を繋ぎ止めておく事が出来る?

まったく・・・私はどこまで卑怯になれるんだろう。




今日は曇り。
梅雨が近づいている所為か湿度が高くてイライラする。
気候の所為だけではないのだろうけど。

彼と逢うのは月曜日と水曜日。
毎日では妹が寂しがるし、彼は金曜日が忙しいらしいし、私は週末は家族と過ごすから。

今日は水曜日、彼と出会って3週間目。

「んで、今日はどうする?この天気じゃドライブってのもなぁ」

彼は大概いつもどこか行きたい場所を聞いてくれる。
初めて行ったカラオケは鬼門になってしまったけれど、それ以外では車で近くの海まで行った事もある。
大抵はホテルになってしまうのだけど。

「・・・ゲームセンターに行ってみたいです」

ホテルは今は拙いと思った。

「へ?めずらし〜イイけど」

彼はあまり疑問を抱かずに車を走らせる。

ホテルへ行った方が良かったのかも。
そして彼を繋ぎ止めておくためにも妊娠を確実にして?
そして彼に嫌われるの?

それは少し怖い。



「見てろよ!今度こそ名誉挽回!ナンかほしーモンある?」

彼は張り切って色々なショーケースの中に入っているぬいぐるみを指差す。
私は色々と見て回ったけれど、よく知らなくて戸惑う。

「あ、これ」

妹が私にくれたキーホルダーと同じキャラクターグッズがあった。

「え?コレ?」

彼は私が足を止めたショーケースを覗いて少し驚いた様だったが。

「ああ、そーいや鞄に付けてたな。コレ」

覚えててくれたんですか。

「妹が好きで貰ったんです。妹はこの赤いのが一番好きみたいで」

私には緑色のをくれた。
ショーケースの中は緑色をしたものが多い様な気がする。
一番人気があるのだろうか?

「んじゃ、緋菜ちゃんの為に赤いの狙うか」

彼はそう言ってコインを投入する。

「妹の名前、教えましたか?」

どうして知っているんだろう?
ああ、でも彼は私の名前も知っていたし。

「前、携帯で話してたろ?そん時、名前言ってたじゃん」

彼はショーケースの中のアームを動かしながらそう答えた。
赤いものは数が少ないように見えるけど、取れるのかしら?

「ん・・・よっしゃ!」

彼は上手に紐をクレーンに引っ掛けて取り上げた。
そしてそのままストンと穴に落として獲ってしまった。
たった一回で。
この手のものは難しくて何回もチャレンジしなくては駄目な事を聞いていたのに。

「どうよ?」

得意げな彼から赤いぬいぐるみを受け取って私は今度こそ素直に称賛した。

「凄いです。お上手なんですね」

これを見せたら妹は喜ぶだろうか?
手の中の小さなぬいぐるみを見ながら妹の笑顔を思い浮かべる。

「コ、コレっくらい、いくらでも取ってやるぜ!も、もっとほしーか?」

彼は何故かどもりながら再びショーケースに向かってアームを動かした。
これは3回まで出来るらしい。
ストンストンと彼は3回ともぬいぐるみを上手に釣り上げた。

「こんなに・・・ありがとうございます」

妹は驚くだろう。歓声を上げるかもしれない。
よく見ると3つの赤いぬいぐるみは表情や恰好が微妙に違っている。

「もっといるか?葵は何が欲しい?」

ゲーム機にコインを投入しようとする彼を私は慌てて止めた。

「もう結構です。充分ですから」

あまり沢山持って帰っても妹に説明するのが難しくなる。

「そっか・・・」

彼はコインを持ったまま残念そうに呟いた。
心なしか顔が赤い様な?

「ゲームとかしてみっか?」

派手な音を立てている機械が並んでいるコーナーを彼が指し示すけれど、私にはよく解からないしゲームは正直あまり得意ではないし。

「いえ」

首を振った私の肩を抱き寄せた彼が耳元で囁いた。

「じゃあさ、ご褒美ちょーだい?コレの」

私の手の中にある3つのぬいぐるみを指差して。

私達は車に戻っていつもの場所へと向かった。





「シャワー先使う?」

問われて頷いた。
こういった場所にもすっかり慣れてしまった。

服を脱いで髪を上げて汗を流す、ちゃんとボディソープを使って。
初めに浴びる時は匂いなど気にしなくても構わないから。
むしろ、綺麗にしておきたいと思うから。

まだ始らない。
シャワーを使いながら私は少し憂鬱になる。
いつ始まっても構わないように準備をしているのに。

「お先に失礼しました」

バスタオルだけを巻いた恰好はまだ少し恥ずかしくて未だに慣れないけれど、上げていた髪を下ろして彼に浴室を使う様に促そうとしたけれど、彼はベッドに座ったまま私をじっと見ている。
このまま始めるつもりだろうか?

「葵、ナニ悩んでんの?」

彼の言葉に、彼の真剣な眼差しにドキッとさせられる。
そうだ、彼は鋭いのだった。

「別に・・・」

まだはっきりしないのに言う訳にはいかない。
気の所為かも知れないし、間違っているのかもしれないのだから。

「ウソつけ!」

彼は私の言葉を即座に否定した。
そして、私を優しく抱きしめる。

「なぁ、心配事があるならオレに言ってくれよ。つまんないコトでもさ。話せば楽になるかもしんないだろ?」

彼の暖かい手に背中を優しく撫でられて、私は涙が零れそうになった。
誰にも相談など出来なかった。
怖くて。

彼に言ってもいいのだろうか?
言っても嫌われたりしないだろうか?

「な?話してみろよ。どうしたんだ?」

彼は私にとびきり優しい笑顔を見せる。
話したら本当に楽になるのだろうか?
彼の優しさに甘えてしまってもいいの?

私は黙って首を振った。
俯いた頬に涙が零れ落ちる。

「困ったヤツだな・・・ナニがあった?」

溜息を吐いた彼が優しく促すけれど私は黙って首を振り続けるしかない。
言えない、絶対に。

「・・・もしかして・・・来てないのか?せーり」

彼の言葉に私はビクリと大きく反応してしまった。

「あ、やっぱり・・・そーじゃないかと思ったけど、ビンゴか」

「・・・ど、どうし・・・」

私は涙で声が詰まって上手く言葉に出来なかったけれど、彼は察してくれたようだ。

「ん、だってさ。ふつー気付くだろ?オレたち5日と開けずにヤッてんだぜ?もう一カ月近くも。その間、オマエがせーりでダメだったコトなんてないじゃん」

そ、そうですけど。

「どのくらい遅れてんの?」

「・・・1週間ほど・・・」

「そっか、いつもはきっちりくんの?」

彼の問いに黙って頷く。
彼は・・・彼はどう思うんだろう?

「ん・・・じゃあ、不安だったろ?ゴメンな?一人で不安にさせて。これからは大丈夫だからな?オレが付いてっから。二人で一緒に考えよ?」

彼はとてもとても優しい言葉を掛けながら私の身体を優しく撫でてくれた。
私を安心させるように。

「・・・い、嫌じゃありませんか?」

こんな事になって。

「イヤって・・・あのな。コレってオレたち二人のコトだろ?責任は二人っつーより全面的にオレにあるよな」

彼はそう言って苦笑する。

「ま、そりゃ予定よりチト早いケド、出来てたらオレだってちゃんと覚悟決めるぜ。生んでくれんだろ?」

彼に問われて私が言葉に詰まる。
生んでもいいの?

「ん〜葵に一番負担が掛かるからなぁ・・・イヤか?」

私は言葉に出来ずにただ首を振る。

「うん、それならよかった。大丈夫だ。オレが働いてちゃんと食わせてやっから」

ポンポンと彼が優しく私の背中を叩く。
でも、働くって・・・

「まさか、大学を辞めてしまうつもりですか?」

「うん、だって葵もガッコーに通えねぇだろ?アソコはおじょーのガッコーだし。大丈夫、司法試験は働きながらでも受けられるし」

時間は掛かっケドね、と彼は笑った。

「大丈夫、心配しなくったって!ラッキーなコトにオレたちもう籍入れられるじゃん?あ〜でも、葵の両親に許可もらわねーとダメか・・・親父さんからの一発は覚悟しないとダメかな?」

彼が顔を顰めて顎を擦る。
そ、そこまで考えなくても。

「まだ出来ているかどうか判りませんけど」

思わず先走る彼の考えにストップを掛けようとしたけれど、彼の言葉はとても嬉しかった。
彼は本気で私との事を考えてくれているのだと。

「ま、出来ていてもいなくてもどっちでもイイけど。オレとしては」

そう言って彼は私をベッドに押し倒した。

「これからはオレに何でも言えよ?一人で抱え込まねーで」

優しく青い目を細める彼に私は小さく頷いた。

「よし、イイ子だ」

小さい子供にするように私の頭を撫でる。
それはとても安心させてくれる仕草。
私はやっと身体の力を抜いてホッとする事が出来た。

しかし、彼は私の額に軽くキスをしながらニヤニヤと厭らしそうに笑った。

「ガキが出来りゃ、葵はオレだけのモンになるしな」

私はモノではないと言った筈なのに。
さっきまでの頼もしい発言が台無しです。

私が呆れながら彼を睨みつけると、彼はその視線を跳ね飛ばす様に大きな声で笑う。

「アハハハ・・・そうそう、元気出せよ!落ち込むと身体のガキにもよくねーし」

もしかして励まそうとして?
どこまで本気なのか彼は掴み処がなくて良く解からない。

「ま、取り敢えず、今日は大丈夫ってコトで」

彼が私のバスタオルを剥がそうとする。
断る理由はない。
私は彼の背中に腕を回して抱き寄せる。

「葵・・・」

名前を呼ばれて胸がときめく。
目を閉じてキスを待つ。

柔らかい彼の唇と舌が私を酔わせて、暖かい手が身体に触れて私を熱くさせる。
ああ、彼のこの優しい愛撫がとても好き。

胸を焦らすように触って先を甘噛されると背中と腰の奥が痺れるような気がする。
これはその先の行為を期待しているから?

「なぁ?妊娠すっと胸がデカくなるってホントなのか?これ以上デカくなったらどーする?」

彼が突然言い出した言葉に私は陶酔から覚めて呆れてしまった。
私はそんなに胸が大きくないのに、彼は大きいと思っているのだろうか?

「母乳が出るようになったら飲ましてくんない?」

私は彼の髪を掴んでツンと引っ張って睨む。
無粋な事を言って中断しないで下さい!

「あ、わりぃわりぃ」

本当にもう!
雰囲気が台無しです!

「そう怒んなって」

彼が私を宥める様にキスを仕掛けてくる。
そんな事で誤魔化されると思って・・・誤魔化されてしまいそう。

だって彼はよく知っているから。
私がどうすれば感じるのか。

「ホラ、葵。イッて」

いつもいつも簡単に私を高みに昇らせてしまう。
少し悔しく感じるほどに。

「かーいー、葵」

息を整えるために呆然としている私に彼はそう言って身体を擦り寄せてくる。
私も彼の顔に両手で触れてキスを促す。

唇を軽く触れ合せていると、彼の手が私のお腹を撫で回す。

「この子が驚かないようにしてやんねーとな」

それなら本当はこんな事はしない方がもっと良いのだろうと思うけれど、私も止めてしまうつもりはなかった。

「んんっ・・・」

グッと挿り込まれて圧迫感が増す。
ゾワゾワと快感の予感に震える。

全身を揺さぶられて声が上がる。
敏感になっている身体がまたすぐに高く昇りつめようとする。

「やぁっ、やっ・・・ああっんん・・・」

2人の動きが止まって荒い息だけが部屋に響く。
私の上に一瞬だけ身体を投げ出した彼がその身体を引き起こした。

「うわっ」

彼の驚いた声に吃驚して私は重い身体をゆっくりと起こすと。

「・・・コレって始まったってコト?」

彼が血のついた指を気まずそうに私に見せた。

「いや!」

私は恥ずかしさのあまり、彼の手をその場に在ったバスタオルで覆ってしまって握りしめた。
顔は真っ赤になって俯いたまま、とても上げられない。

「・・・気にすんなよ・・・ってもムリか。しょーがねーじゃん。こんなのはコントロール出来るモンじゃねーんだし」

彼は私の背中を優しく撫でながらそう言ってくれた。
でも、恥ずかしさが減る訳ではない。

「それよか、ちゃんと持ってんの?用意とか?へーき?」

私は俯いたまま頷く。
彼にシーツごと抱え込んで貰って浴室に連れて行って貰った。
手を洗った彼が出ていってから、私はシャワーを浴びて支度をしてからタオルやシーツの汚れた部分だけをざっと洗う。

来た。
8日遅れで。
経験したことや精神的に色々とあったから遅れたのだろうか?

彼はああ言ってくれたけど、生理が来て私は正直ホッとした。
だって、やはりリスクは大きいから。

若くして子供が出来たから結婚したカップルの破綻する率が高いと聞いた事があるし。
彼に夢を諦めさせて私に縛り付ける事が出来てもずっとそれが続けられるとは思えない。
私は学校を中途で辞めて世間に後ろめたさを感じて生きていくのは嫌だし、彼にもそんな思いはさせたくない。

これは警告なのだろうか?
不用意に快楽に溺れてしまうなという。

でも、それは・・・これからは気を付けていれば大丈夫なはず。
基礎体温を記録して排卵日を自覚すれば・・・

ああ、もう。
私は既に溺れきっている。

快楽と彼に。




「大丈夫か?」

心配そうな彼に、まだ恥ずかしさの残る私は視線を合わせないようにして頷く。

「そっか・・・残念なのか、良かったのかわかんねーけど・・・ま、よかったのかな?今回は」

私は彼の言葉にもう一度頷いた。
そう、彼だって早過ぎると言ってたし、本当に良かった。
でも、彼の決意はとても嬉しかったし忘れられない。

「おいで、葵」

ベッドの上の彼に呼ばれて、私は彼の腕の中に包まれる。

大きな溜息を洩らす彼に、そんなに妊娠していなかったのが残念だったのかと思っていると。

「始まっちまったなら、もう出来ねーな」

来週もお預けか?と呟く彼に私は怒りが込み上げて来て、思わず彼の股間を強く握り潰した。

「っ!ナニすんだよ!使えなくなったらどーしてくれるんだ!」

少しは反省して下さい!!
暫くは使えなくなった方が良いんです!





帰りは黙ったままの私の機嫌を窺いながら彼が家まで送ってくれた。
あまりにも腹が立ち過ぎてそのまま家に入ってしまおうかと思ったけれど、やっぱり彼の車が見えなくなるまで見送った。

そして、ハザードランプが一度・・・ではなく5回?
私の機嫌を取るために数を増やしたのだろうか?
でも、なぜ5回も?

理由は判らなかったけれど、その合図が嬉しいのはいつもと変わらない。
私は少し帰り道での態度を反省した。

そして彼がいつも言っている『一度くらい週末に一日中デートする』事を考えてもいいと思った。
今週は無理でも来週とか・・・何か上手な理由を見つけて・・・友達と遊びに行くとか。

今なら試験もない時期だし、いいかもしれない。
私は少し浮かれて家の門をくぐった。



「わぁっ!お姉ちゃんスゴイ!これどうしたの?」

妹は案の定、3つもあるぬいぐるみに狂喜してくれた。

「お友達に貰ったのよ。緋菜、これ好きだったでしょう?」

貰った人の事は言えないけれど、とても嬉しそうな妹の表情に私が獲った訳でもないのに得意げな気持ちになる。

「うん、大好き!ありがとう!お友達にもお礼を言ってね」

私は妹の言葉に強く頷いた。
そう、彼にも妹が喜んでいた事を伝えなくては。



「あら、緋菜。いいもの持ってるわね」

今日は久し振りに早く帰宅出来た両親も夕食に顔を見せた。
家族が全員揃うのは週末以外にはとても珍しい。

「うん、お姉ちゃんのお友達に貰ったの」

妹はぬいぐるみを甚く気に入って夕食の席にまで持ち込んだ。
私は少し落ち着かなかった。
彼との事が判るはずもないのにドキドキして。

「そう・・・葵、どんなお友達?」

母に問われて、内心ではドキドキしながら落ち着いた振りを必死で装う。

「クラスメイトよ。なんでもゲームに熱中し過ぎてたくさん獲ったからって分けて頂いたの」

「そうなの」

私の答えに母はそれ以上追及してこなかった。
ただ、食事の後に話があると言われた。



その話とは。

「え?お見合い?」

「そうよ、この前してみるって言ってたでしょ?先方からもお返事を頂いたのよ。日取りを決めたいと言われてね」

で、でも、それは・・・無くなった筈では?
彼の弟さんには好きな人が居るって・・・

私は困惑して何も答えられなかった。
今さら私から断る事は出来ない。
両親には受けると言ってしまったのだし。

「ねぇ、葵」

母は黙ったままの私に優しく声を掛ける。

「本当にいいの?このお話をお受けしても?前にも言ったでしょう?無理に引き受ける事なんて無いのよ?あなたはまだ若いんだし、それに・・・」

母が言葉を一瞬、戸切らせた。

「好きな人が居るんじゃないの?お付き合いしている人とか?最近、帰りが遅いようね?」

確かに、夕食に間に合うように帰ってはいるけれど、以前は授業が終わると帰宅していたのだから、それに比べたら私の帰りはずっと遅くなっている。
いくら両親が忙しくて平日は帰宅が遅くたって、妹や家政婦さんから私の帰宅時間について何も聞かされていない筈がない。

彼の事を母に伝えるべきなのか?
でも、何て説明するの?

彼は今度お見合いする筈の相手の兄で、法律家を目指して勉強していて、婿養子にはなって貰えそうもない人ですって?
そして、私はそんな彼と毎回のようにホテルに行って爛れた関係を築いていますって言うの?
さっきまで妊娠しているかもしれないと怯えていましたって?

言えない!
全てを話す必要がなくても、言えやしない。


何も答えずに俯いたままの私に、母は低い声で更に聞いてくる。

「まさか、あたし達に話せない様な人と付き合っているんじゃないでしょうね?その・・・妻帯者とか援交とか?」

「そんな事はしてません!」

母の言葉に私は思わず顔を上げて首を振る。
時々母は思考が飛躍し過ぎる。
けれど、それだけ心配させてしまっていると言う事だ。

「そう、それならいいけど・・・本当にお見合いの話を進めていいのね?」

私は頷いた。
だって、彼は言っていたもの『弟は断るだろう』って。
きっと、まだその話が彼のお父様に通っていないのかもしれない。

「青華、肝心の話がまだですよ」

今まで黙っていた父が母に優しく伝える。
父はいつも脱線しがちな母の言葉を遮らずに静かに話を導く。

「あ、そうそう。大切な事を忘れてたわ!実はね、お見合いの相手が変更になっちゃったのよ。ええっと・・・そう、岳居杜也クン17歳ピチピチの高校2年生!葵と同じ年ね」

え?タケイモリヤ?
私は渡された写真と釣書きを唖然としながら受け取った。
確かに前に見せて貰った人とは全然違う。

「ど、どうしてですか?」

この人は誰?

「それがねぇ・・・実は・・・気を悪くしちゃ駄目よ?葵は悪くないんだから。その・・・最初のお相手には好きな人が居たんですって、それでその弟さんではどうだろうか?って言われたんだけど・・・イヤ?」

私を窺うように母が説明してくれる。
けれど弟って・・・

「波生さんではなくて岳居さんですか?」

苗字が違う・・・あ、でも波生は彼の母親の姓だと聞いたから。

「そうなのよ〜困った事に、彼らの父親は結婚してないから母親が違うと苗字が違うのよね〜ったく、クリフォードのヤツってば女癖悪くってしょうがないヤツだわ!ま、認知はしてるみたいだけどね」

「青華、葵の前ですよ」

父の窘めにも母の口は止まらない。

「だってさ、最初に結婚した人とも娘が一人でしょ?次があの波生って人と息子二人に娘が一人、その上にこの岳居って息子が一人って五人もいるのよ〜ウチは娘が二人だけなのに!」

「何を競っているんですか?」

呆れた様な父の言葉に母は「だって悔しいじゃないの!」と叫ぶ。

「お母様はこの・・・ウェルナー・クリフォードと仰る方とお知合いなんですか?」

彼らの父親はアメリカ人だと釣書きにも書いてある。
彼の父親が母の知り合いだからこの話が来たのだろうか?

「そうよ、あら?言ってなかったかしら?あたしが留学していた先で知り合ったのよ。とっても優秀なヤツでね、正直あたしなんて足元にも及ばないようなヤツだったけど、いつもあたしの事バカにして、なんか腹が立つ奴だったわ!」

「・・・初めて伺いました」

私はポツリと呟いてから、憤慨している母の隣に座っている父を見た。
父は私と視線が合うと困ったような笑いを浮かべる。

そう、そうなのか・・・それで何となく話が判る様な気がする。

彼が私の苗字を聞いてとても驚いていた理由が。
彼の父親が何度も縁談を持ち込む理由が。

彼の父親は私の母が好きだったのかもしれない。
母はそう言った事には鈍いからと父が零していた事もあったくらいだから、母は知らなくても。

もしそうだとすると、彼の母親と父親が結婚しなかった理由が母にあるのかもしれない。
それを知った彼は私の母を恨んでいるかもしれない。
その娘である私も恨んでいるのだろうか?

推測にすぎないけれど、そう考えれば納得出来る事が多々ある。


「それで、葵。どうしますか?」

父に促されて私は自然と俯かせていた顔を上げた。

「そうだったわ!どうするの?嫌なら断っても全然問題ないのよ?大体、見合いの相手を変えてくるなんて失礼な話なんだし!」

母はまだ怒りが治まらない様で憤慨したまま私に尋ねてくる。

「お受けします」

私はそう答えて日取りは両親に任せる事にした。
両親は二人とも高校生だから、夏休みに入る頃が良いのではないかと言っている。

私は黙って頷いたまま部屋に戻ろうとすると、母が心配そうに声を掛けてくる。

「どうしたの?本当に話を進めても構わないのね?」

優しい母が私をとても愛してくれているのを私は知っている。

「お願いします。ちょっと頭痛がするだけです。月のモノが始まってしまったので、その所為かと思います」

「そう?」

両親に無理やり作った笑顔を見せて私は自分の部屋へと戻った。

ドアを閉めた途端に涙が零れ落ちる。


私は私をとても愛してくれている優しくて快活で美しい母を誇りに思う事があっても憎む事など出来ない。
母が彼と彼の兄弟と彼の母親を苦しめたとしても。

でも、彼はどうだろうか?
母を憎んでいるのだろうか?
母の娘である私を憎んでいるだろうか?

彼の優しさや愛情だと思えるものが偽物だとは思えないし、思いたくない。
彼が私を欲しがってくれている事を信じたい。

だって彼は今日、子供が出来たらオレだけのモノに出来るって言ってくれた。
子供が出来ていたらちゃんと両親にも許しを貰ってくれるって・・・

それは私が母の娘だからではないのでしょう?

彼の言葉を信じたい。
彼が私を好きだと言ってくれた事を信じたい。

信じたいのに・・・信じられない自分が居る。

あれはきっとまやかし、ただ私を籠絡する為の。
娘の私を夢中にさせて彼の母親と同じ思いをさせる為の。

違う!違う!彼はそんな人じゃない!

彼はとても優しい人だ。
そんな酷い事が出来るわけがない。

でも、それならどうして彼は彼の父親と私の母親が旧知の仲だと私に言わなかったの?

彼は知らなかったのかもしれない、私も知らなかったし。

でも、それならどうして『成島』の名前にあんなに反応したの?
彼は知っていたんじゃないの?
だから私をホテルに誘ったんでしょう?

ホテルについていったのは私。
後悔しないかと彼は聞いてくれたのに。

最後までして欲しいと言ったのも私。
自棄になるなと彼は言ったのに。

私を傷付けるだけならそんな事は言わないはず。

でも、それも彼の手の内だったら?

私は、私は、私は・・・

彼を信じきる事が出来ない自分自身が一番憎くて許せない!

きっと、こんな私は彼には相応しくないんだろう。

だから何度も彼との弟の縁談が持ち込まれるのだ。

私は疑り深くて醜い人間なのに、家族の前ではいい子を演じている偽善者だし。


私は彼に相応しい人間じゃない。

だから彼との子供も授からなかった。

丸身に掛ける月が私を笑っている。

お前には彼の子供の母親になる資格などないと。







 

































 

Postscript


すわっ、妊娠か!と思いきや、ただ遅れてただけ。
和晴はアレでもちゃんと毎回付けてますし、葵も実は危険日ではありませんでしたし、今まで毎月来ていても精神的な事で遅れる事はよくありますから。

ゲーセンで和晴が気合を入れてゲットしたのはカエル型の地球外生命体(大笑)
緋菜ちゃんはツンデレ好みの様です(私も赤いのがスキ)
ふ、古いだろうか?いや、でも今でもOAしてるはずだし・・・私はもう見なくなってしまったけど。

やっとまともに登場しました葵の両親、そして知らされる過去。
鈍いのって罪ですよねぇ。
でも、青華は小さい頃から世界が狭かったので他の男は目に入らなかったらしい・・・

やっと出せました和晴の父親の名前。
ポッと浮かんだのが「プラネテス」というアニメに出て来た冷酷な天才科学者ウェルナー・ロックスミス。
彼の名前とソレに出ていた愛人と子供がたくさんいる連合のクリフォード議長からいただきました。

そして悩んだ和晴の異母弟の名前・・・名前考えるの苦手なんです。
今回も名前だけで終わるのか?ちゃんと見合いまでするのか?
葵ちゃんは勢いで承諾してしまいました。

前半ラブラブだったのになぁ・・・
どうなるんでしょうか?うふふ・・・


2009.7.23 up

 


 

 

 

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