最愛
俺は酒を飲むと理性が飛ぶと忠告してやった筈なのに。 あの女ときたら、面白がって俺に何度も酒を飲まそうとする。 そんなに足腰が立たなくなるまで抱かれたいのか? それとも、この俺の本性が見たくて? 何れにしてもバカな女だ。 酔うと俺にワケの解らない質問をするのも変わらない。 「恋の成就」と「恋の終わり」だと? んなもの知るか。 本人が納得出来れば成就したとも終わったとも言えるんじゃねえか? 人其々だろう? 基準なんてあるものか。 俺の場合は、そうだな。 この女が俺とずっと一緒に居る事を受け入れた時が成就で、終わりはこの女が死んだ時かな? おそらくこの女が考えている答えとはかけ離れているだろうから言わないが。 死んだらそれまでなんだよ。 それをこの女は理解しちゃいねえ。 未だに父親が亡くなった事をピーピーと泣く。 「お父様は私の事を最期に少しでも思い出してくれたかしら?」 とまで言い出す始末。 筋金入りのファザコンだぜ。 俺がずっと一緒に居てやるって言ってんのによ。 俺に素直に抱かれる様になったし、一緒に暮らしている事に不平や不満は無い様だが、結婚には渋る。 バカな女だな。 俺がいつまでも大人しく待っていると思うなよ? 三十路になる前に初産を迎えなきゃ自分が大変になるだけなんだって知ってるだろうに。 俺も来年には前期研修を終えるから、その時に籍を入れるのがタイミングとしては丁度良いんだが。 親が反対すれば後期研修は海外にしたっていいんだし。 無理に父親の病院に戻る必要もない。 俺があの女の家に居ると、母親に知れた時にそう言ってやったら流石に黙った。 もう二度と、親に俺の事に口出しをさせたりはしてやらない。 前期研修もあと半年を残すだけとなった頃、あの女が荷造りをしているのを見つけた。 「どこかご旅行ですか?」 と尋ねると、アメリカにいる姉の所に行くと言う。 姉って・・・ああ、あの男が最初に結婚した時に出来た女の事か。 確か、日本人の男と結婚してあの男の跡を継いだ奇特なヤツだったよな。 「お父様のお墓参りもするの。あなたも来る?」 あの女は冗談半分で尋ねたつもりだったんだろうが、俺はコイツを一人で海外に行かせるつもりはなかったし、目的があの男絡みなら尚更だ。 きっと、コイツは父親の墓の前でまた泣くんだ。 ピーピーと見っとも無い顔をして。 一人で泣かせられるかよ。 俺は病院に親が危篤だと言って休みをもぎ取った。 あの女は流石に呆れていたが。 「誘ったのはあなたでしょう?」 と言えば黙ったが、幾度となく「本当にいいの?」と聞いて来る。 飛行機に乗った後になってまで聞いて来るんじゃねえよ。 空港にまで迎えに来たこの女の異母姉は以前見かけた時と変わらずイイ女だった。 年増だが美人でスタイルが良い。 半分とは言えこの女と血が繋がっているとは信じ難いほどだ。 一緒に居る俺に酷く驚いていたが、当然だろう。 俺があの男の子供ではない事は、この異母姉も知っている筈だから。 空港からの車の中では女二人が喧しい。 異母姉の子供の事とか、この女の将来についてとか。 この女は選りにも選って俺の前で 「私もお姉様のジュニアの様に金髪の可愛らしい子供が欲しいですわ」 などとぬかしやがった。 バカが。 オマエは俺の子供を産むんだよ。 遺伝子の確率に賭けてみるだけで我慢しろ。 異母姉の家に行く前に、あの男の生家だと言う家に立ち寄った。 この女の兄と弟に譲られたあの男の不動産は異母姉が全て買い取って管理しているらしい。 ご苦労なこった。 ファザコン女は長時間のフライトを事ともせず、感慨深げに家を見て回っていた。 ただの古い家だろうが。 見る価値なんてあるのか? そう思いつつも、俺は黙ってあの女に付き合った。 俺も大概お人好しだよな。 そして、その家にほど近い場所にある墓地へと向かった。 「着いたばかりで疲れているかもしれないけれど、これが目的で来たのですものね」 異母姉はそう言って車を停めた。 確かに墓参りが目的なんだろうが、着いた早々かよ? 俺は疲れ切った事実を笑顔で隠してファザコン女の後に付いて歩いた。 いい加減にしてくれ、と心の中で叫びながらも。 そして『Wernher Clifford』と刻まれた墓碑の前で立ち止まる。 ああ、こっちじゃ一人ずつ墓があるんだったな。 名前と生年と没年だけが刻まれたシンプルな墓。 その前にあの女は花を添えた。 俺はいつコイツが泣き出すのかと内心、ハラハラしながら見守っていたが、そう簡単に泣き出したりはしない様だ。 だが、異母姉がこの女に声を掛けた言葉に俺は驚いた。 「静香、彼が手紙で知らせた方よ」 見れば、異母姉の後ろには戸惑った顔をした中年の男が立っていた。 『あの・・・初めまして』 その男に対して、アイツは驚きもせずに微笑んだ。 『父の最期を看取って下さったそうで、ありがとうございました』 丁寧に一礼したアイツにその男は恐縮していた。 『いえ、お助けする事が出来なくて申し訳ありませんでした』 そして頭をガリガリと掻きながら、言葉を続けた。 『私が駆け寄った時にはもう意識があまりなくて・・・何もする事が出来ませんでした』 アイツはその男が話す言葉にただ黙って耳を傾けている。 『私はただ偶然事故現場に居合わせただけで・・・医療の知識も何も無くて』 そりゃそうだろ。 その男は医者にも看護師にも見えない風体をしている。 『ただ、最後に一言だけ・・・「シズカ」と言われたのが聞こえまして・・・こちらの方がそれは娘さんの・・・あなたのお名前だと聞いたもので・・・』 その男は異母姉をチラリと振り返ってそう言った。 それを聞いたあの女はその場に膝をついて、案の定泣き崩れた。 やれやれ、コイツはこれを聞く為にここまで来たのか? 『あ・・・ありがとう・・・ございます』 それだけを言ってアイツはボロボロと泣き続けた。 あの男の最期を看取ったと言う男と異母姉は泣き続けるコイツを置いて立ち去った。 異母姉は俺にも何か言いたそうにして見ていたが、結局何も言わずにその場を離れた。 多分、コイツを一人にしてやれと言いたかったんだろう。 そんな事が出来るか。 俺はコイツを一人で泣かせない為にここまで付いて来たんだからな。 「お父様・・・」 コイツは泣きながらそう呟いて・・・いつまで経っても泣き止まない。 いい加減にして欲しいぜ。 泣いてどうなる? あの男が生き返るってのか? 俺は無性に腹が立って来た。 あの男の墓石に蹴りを入れるように片脚をガツンと掛けた。 「・・・な・・にするのよ」 泣き過ぎで息が整わないこの女はそう言いながら俺を睨みつけた。 相変わらず見っとも無くて醜い泣き顔だぜ。 「酷い顔ですね」 ホントに最悪だ。 「余計なお世話よ」 だからそんな顔で睨んだって滑稽なだけだって。 「最愛のお父様に最期に名前を呼んで貰ったのがそんなに嬉しかったんですか?」 俺は嫌味ったらしくそう言ってやった。 バカ癖ぇ。 何で、選りにも選ってこの女なんだよ! 実の父親に、死んでしまった父親に、いつまでも思いを残している様な女なんて。 惚れたって嫌な思いしかしねぇのに。 俺はもう泣いている女の顔なんて見たくなくてアイツに背を向けた。 すると、背中に何か固い物が当たった。 振り返ると、アイツが俺に向かって小さな石を投げて来る。 命中率は低いが。 オマエはどれだけ運動神経が無いんだよ。 呆れた俺に向かってアイツは泣きながら叫ぶ。 「父親が亡くなって悲しいのは当り前でしょう!」 何年経ったって悲しいものは悲しいのよ!と叫ぶ。 「アンタはファザコンだからな」 俺が呟くと、アイツは剥きになって言い返して来た。。 「悪い?お父様は素敵な方だったんだから!あなたなんかよりもずっと!」 そうかよ! 俺は不毛な言い合いになりそうな気配にうんざりしていた。 カレコレ日本を出てから24時間近く経っている。 疲れで頭が朦朧としそうだ。 休んでスッキリとさせたい。 再び背を向けた俺に、尚もアイツは石を投げつける。 このやろう! 「なによ!この嘘付き!根性無し!私とずっと一緒に居てくれるって言った癖に!」 醜い泣き顔を曝しながら叫んだ女の言葉に俺は驚いた。 酔っている時に言った言葉を覚えているとは・・・ いや、それよりも・・・ 「俺に傍に居て欲しいのか?」 てっきり邪魔なのだとばかり思ってたぜ。 「そう聞こえないなら、あなたの耳がおかしいのよ!」 オマエの言い方が素直じゃないからだろ? 俺は可笑しくなって笑いそうになった。 いや、我慢せずに笑ってやった。 「なに笑ってるのよ!」 俺が笑ったのが気に入らないのか、女は脹れっ面をしている。 「オマエが笑える顔をしてるからさ」 ホント、ヒデェ顔だ。 俺の指摘に女は真っ赤になりながら涙で濡れた顔を拭い始めた。 あ〜あ、地面に付いた手で顔を拭くと顔まで泥だらけだぜ。 俺はゲラゲラ笑いながらハンカチを出して顔を拭いてやった。 「いい年をして鼻水まで垂らすなよ」 そう言った俺の手からハンカチを取り上げた女は、俺のハンカチで鼻を咬みやがった。 コイツ! まったく、可愛くない女だぜ。 そんなヤツを愛しいと思う俺は終わってるな。 俺は女を抱きしめて囁いてやった。 「俺が死ぬ時にもお前の名前を呼んでやるよ」 この俺様の最大の口説き文句に、この女は腹を立てやがった。 「ふざけないで!」 なんだと! 「あなたの方が年下なんだから、私よりも長生きしなきゃ許さないわよ!」 なんだ、その理屈は? 男と女の平均寿命を考えれば俺達の年の差なんて・・・? 「そうしたら、私が死ぬ時にあなたの名前を呼んであげてもいいわ」 そう小さい声で呟いた女は俺の胸に顔を埋めた。 その所為で顔は見えないが、恥ずかしいのか耳が赤いのが判る。 俺は腕の中の小さな身体を思いっきり抱き締めた。 やっと、手に入れた。 俺の女だ。 俺は異母姉の家に泊まると言う女をホテルに泊まらせた。 「『お姉様』の家で俺と一緒のベッドで寝れるのか?」 と言ってやったら黙って付いて来た。 それでも、ホテルのベッドでこの女は俺に向かって煩く文句を言い続けた。 「慰め方がなっていない」とか「優しくない」とか言いやがる。 「オマエがファザコン過ぎんだよ」 と突っ込めば 「20年も一緒に暮らしていたんだから悲しいのは当り前でしょう!」 厳しく返してくる。 そんなもんかね。 「俺には理解出来ねぇ」 正直に呟くと、コイツは呆れた顔をして呟いた。 「あなたって最低」 『好きだ』とも『愛してる』とも言わないし、などとブツブツぼやき出す。 「俺は自分の気持ちを押しつけるような事は言わねぇよ」 バカな事を言い出す女だ。 そんな事を言ってどうなる? 俺達は所詮他人だ。 血が繋がっていたとしてもお互いに全てを判り合える事なんて絶対に無い。 俺と母親がそうであったように。 俺は自分の母親がコイツの父親に自分の気持ちを押しつけ続けるのを見て来た。 だから、自分の感情を伝える事に意味はないと思っている。 愛しているから愛されるとは限らないんだからな。 自分の感情は自分だけのものであって、相手と分かち合う事など出来ないものだ。 「オマエは俺とずっと一緒に居てくれれば、それだけでいい」 俺が望んでいるのはそれだけだ。 女は俺の言葉を聞いて呆れていた。 「あなたって・・・バカだったのね」 なんだと? 「それとも可哀そうなヤツなのかしら?」 失礼な物言いをする女だな。 俺は腹を立てそうになったが。 「私もあなたに一生、そんな事は言わないから安心して」 ニッコリと笑ってそう言ったコイツに俺は暫し呆然としてから・・・キスをしてやった。 もちろん、ベッドの中に裸でいるのだから最後まで、しっかりと中に出してやった。 ああ、言葉なんかいらないんだ。 ずっと一生、こうしてこの女を抱いていられるなら。 「お姉様、色々とお知らせして下さってありがとうございました」 帰りも見送りに来た異母姉にアイツはそう言って礼をしていた。 俺からすれば余計なお世話だったが、結果的には悪くない事になったから、俺もニッコリ笑ってこう付け加えてやった。 「僕たちの結婚式にもご都合が付けばぜひご出席下さい」 その言葉に異母姉は唖然として「え?」と言ったきり言葉を無くすし、静香は真っ赤になって手を振り上げた。 だから、そんなへなちょこパンチが俺に通用すると思うのが間違ってんだよ。 俺に右手を掴まれた静香は慌てて取り繕う様に 「あ、手続きがありますので、私達はこれで・・・お姉様、本当にお世話になりました」 そう言って俺を引っ張って異母姉から離れた。 「恥ずかしがるなよ」 俺はニヤニヤ笑いながら素直に引き摺られてやったのに、静香は真っ赤な顔をしたまま怒鳴る。 「時と場所を考えてよ!」 考えてやっただろうか。 ちゃんと別れ際まで黙っていてやったし、いきなり結婚式の招待状が届くより事前に知らせてやった方が親切ってもんだろう? 何より、あの『お姉様』とやらだって薄々感づいていたようだし。 それに今からそんなんじゃこれからが大変だぜ。 「俺は自分の親に話すだけで手一杯だから、オマエの兄弟には自分から話しとけよ」 あいつ等に会ったり挨拶したりなんて御免だぜ。 「本当に最低な男ね、あなたって」 呆れた静香の言葉に俺は肩を竦めて見せた。 「反対されたら二人だけで式を挙げれば済む話だろ?俺達はとっくに成人してるんだ」 他の奴等に邪魔なんてさせるもんか。 静香は憂鬱そうに溜息を吐いた。 「時期は俺達の移動が決まる前の春先かな?それともジューンブライドに未練でもあんのか?」 静香は意外と少女趣味だからな。 結婚は考えた事が無くても、何か夢を持っていたりするんだろうか? 式や披露宴は女の為のものだと言うしな。 「別に・・・お父様とバージンロードを歩けないのだから何でも・・・」 ケッ、また『お父様』かよ。 オマエはクリスチャンでもバージンでもない癖に。 「教会がイイなら兄貴に手を引いて貰えよ」 俺が投げ遣りに呟くと 「イヤ!カズ兄が父親代わりなんて!」 我儘な女だな。 「じゃあ神前だな。ドレスはお色直しで着りゃいいだろ」 チビなコイツに白無垢が似合うとも思えないが。 「う〜ん・・・」 なに悩んでんだよ。 「さっさと覚悟を決めとけ」 帰ったら、まずは指輪か? 結納なんて面倒だしな。 半年前から動き出せば春には間に合うと思うが。 「峯下静香は悪くないと思うぜ」 波生や岳居はバカな女の名前だからな。 「・・・新婚旅行がてらに、また墓参りに来てやってもイイ」 俺としては最大の譲歩だと思う。 なのに静香は苦笑してこう言いやがった。 「新婚旅行にお墓参りは変じゃない?」 そうか? 「でも、俺達の思い出の場所になったよな」 そうだろ? 「お目出度い門出にしては変よ。やっぱり」 クスクスと笑う静香に俺は嬉しくなった。 静香は俺と新しく前に進もうとしているんだと知って。 「好きな場所を考えとけよ」 俺は静香の手をギュッと握り締めた。 それしか出来ないのは仕方ない。 なにしろ飛行機の中じゃな。 そして3月22日日曜日大安。 籍は静香の誕生日に入れておいたので挙式と披露宴だけを行う日だ。 「馬子にも衣装ですね」 俺は静香の白無垢姿を見てそう言ってやった。 思っていたよりも似合ってるじゃねェか。 「その言葉、そのままそっくりお返しするわ」 ニッコリと笑う静香は白塗りの顔に赤い紅が映えて大きな瞳が際立つ。 「分厚く塗ると皺が隠れて益々若く見えますよ」 コイツは本当に童顔だからな。 俺より年上にはとても見えねぇくらいだ。 来年早々に三十路を迎える女には見えないよな。 「いやだわ、杜也さん。あなたが老けていらっしゃるのよ」 コロコロと笑う静香は俺に嫌味を言い返した。 俺は老けてねぇよ。 「僕は年相応なだけですよ」 「私だってそうですわ」 嘘吐け! 「・・・新婚夫婦の会話じゃねぇな」 呆れた声に振り替えると、そこには静香の兄弟が揃っていた。 「本日は態々ありがとうございます。和晴さん、靖治さんも」 そしてその連れ合いもな。 「キミに『お義兄さん』と呼ばれなくてホッとしたよ。杜也クン」 仏頂面のヤツに俺はニッコリと笑って答えてやった。 「ご安心下さい。僕もあなたにそんな呼び方をするつもりは生涯ありませんから」 誰がお前を『お義兄さん』なんて呼ぶもんか。 俺は昔からお前が大嫌いなんだよ。 あの男に似ているそのツラを出来れば金輪際見たくねぇのに。 静香の実の兄貴じゃ式に呼ばない訳にはいかねぇから仕方なくなんだよ。 「そりゃよかった」 俺の愛想笑いを平然と受け流してヤツは仏頂面のままそう言った。 「兄貴、お目出度い日なんだから、もう少しにこやかに・・・杜也くん、本日はおめでとう。静香を宜しく」 相変わらず人の良さそうなツラしてるなコイツは。 俺は内心、呆れながら静香の弟(実は弟だと聞いて吃驚した)の言葉に笑顔を返した。 「ありがとうございます、靖治さん。こちらこそ宜しく」 お前等とは宜しくしたくはねぇけどな。 「静香ちゃん、すっごく綺麗よ!」 「とてもよくお似合いです」 こいつ等の連れ合いが静香に近寄って褒め称える。 女が3人寄ると姦しいとはよく言ったもんだ。 きゃあきゃあと騒がしい。 寒い空気を醸し出す俺達とは雲泥の差だ。 頃合いかと控室を出ようとした俺を母親が呼びに来た。 やな組み合わせだな。 「杜也、そろそろ・・・あら?」 まあ、流石に顔を合わせない訳にもいかないか。 結納や家族の顔合わせと言ったものは省略したが、式ともなればな。 「これは岳居さん・・・ではなく、今では峯下さん、でしたね。ご無沙汰しております。この度は奇妙なご縁で」 静香の兄貴の棘のある言い方に俺は笑い出しそうになった。 確かに奇妙な縁だ。 「ええ、本当に。あなた方とこんな形でお会いするとは夢にも思っていませんでしたよ」 母親の口元が引き攣っている。 「大体、式を挙げる前に子供が出来るなんて。そんな娘は杜也の相手に相応しいとはわたくしは今でも認めていませんけれどね」 俺の母親も大概諦めが悪いな。 式の当日になってまで、そんな事を言い出すとは。 しかし、静香の兄弟達には初耳だったらしい。 「子供?本当なのか?静香」 静香の兄貴が怖い顔で詰め寄って来た。 「ええ、3か月に入ったばかりだけど。入籍は2か月前に済ませているのだし問題は無いでしょう?」 妊娠が発覚してから俺の母親はそればかりを詰るから、静香も慣れたらしく俺の母親の言葉を気にも留めない。 「・・・だからって・・・」 俺の母親に詰られるのが不快らしい静香の兄貴は俺を睨みつけた。 「第一、私がピルを飲み続けるなら偽薬とすり替えてやるって脅したのは杜也さんなんですもの」 それをここで言うか? 「早く僕の子供を産んで欲しかったんですよ。静香さんはもうあまり若くは無いのですから」 オマエも最後は納得した癖に、脅したなんて言うなよ。 「てめぇ」 ホラ、オマエの兄貴が怒り出しただろう? 「やめて、カズ兄!彼に不当なヤツ辺りはしないで。子供の事は私と彼とで決めた事よ。お兄様に口を出す権利はどこにもないわ。もちろん、杜也さんのお母様にも」 静香はニッコリと笑って自分の兄貴だけでなく、俺の母親までも牽制した。 「わ、わたくしは杜也の母親ですよ。口を挟む権利は・・・」 「ええ、そうですわね。ご自分の為にご自分の子供を不当な立場に長い間おかせたご立派な母親ですわ」 うろたえながらも言い返す母親に、静香はニッコリ笑って反撃した。 面白い見ものだ。 「し、失礼な!わたくしは・・・」 「杜也さんはご自分の様な立場に自分の子供を置きたくないと仰ったのですから、これも杜也さんのお母様のご教育の賜ですわね」 さすがですわ、と言って口元を押さえて笑い出す。 俺の母親も歯向うのをやめとけばいいものを、静香に適う筈もないんだから。 「杜也!あなたも自分の母親が馬鹿にされて何とも思わないの?」 それを言い出すとは、呆れ果てた母親だな。 自分の母親ながら反吐が出そうになる。 「お母さん。僕も自分が選んだ人に失礼な物言いをする方を母親だと思いたくはありませんね」 自分が言い出した事ぐらい自分で責任を取れよ。 息子をあてにするんじゃねぇ。 「あ、真理さん。杜也君は?」 俺に冷たくあしらわれた母親は憤慨して、のそのそと現れた父親に泣き付いた。 「あなた!杜也もあの娘もわたくしに酷い事を!」 今にも泣き出しそうにヒステリーを起こしている母親を父親は訳も知らないのに宥める。 「どうしました、真理さん?折角の綺麗な顔が台無しですよ」 あの年になって平然とあのセリフが言える父親は大したヤツだと俺はいつも思う。 「あ、杜也君。そろそろ時間だから、花嫁さんに見惚れるのも程ほどにね」 俺は父親に指摘されて言葉に詰まり、ただ頷いた。 相変わらず恍けた顔をして鋭いヤツだ。 俺の結婚に関しても、猛然と反対する母親を 「僕達は杜也君の意思に反対する資格はありませんよ」 の一言で母親を黙らせ、賛成してくれた。 俺が静香に誑かされていると母親が詰れば 「杜也君はそんなに愚かじゃありませんよ。自分達の息子を信用しましょう」 と言ってくれた。 優しいだけで気弱に見えるが、意外としっかりしている。 誰にも言った事は無いが、俺は密かに父親を尊敬している。 女の趣味が悪いとは思うが。 「アレがオマエの父親?」 唖然とした静香の兄貴の言葉に、そう言えばこれが初対面になるのか?と思い当った。 「そうですが」 なにか文句があるのかよ? 「いや、なんか・・・色々とスゲェな」 コイツは言語障害でもあるのかよ? 語彙が乏しいな。 「ええ、僕の実の父ですから」 お前等の父親なんかより、よっぽど立派だろうが。 言外の俺の言葉を察したのか、静香はニコニコと笑って 「そうですわ、お兄様。何と言っても、あの方はこの杜也さんの実のお父様で、あの杜也さんのお母様とご結婚なさった方ですもの」 色々と意味を含めた物言いをして来やがる。 ケッ。 「光栄ですね、僕も静香さんがあの母と対等に渡り合える方で嬉しいですよ」 にこやかに笑い返せば、何故か静香の兄弟達は俺達から一歩引いた。 オッと、時間だったな。 「それではまた、式の時に」 俺はそう言って花嫁の控室を出たので、その後に静香の兄弟達が何と言っていたのか聞いたのは披露宴が終わった後だったが。 「・・・杜也くんて・・・静香とお似合いだよな」 弟がそう呟いて 「ああ・・・オレも初めてそう思った」 兄貴も賛同したらしい。 「今更何を仰っているんですか?お二人とも絵になる様なお似合いのカップルではありませんか?」 呑気に兄貴の連れ合いがそう言ったのを 「いや、でも・・・色々な意味でお似合いだわ」 弟の連れ合いがそう言ったと静香から聞かされた。 どういう意味なのかしら、と静香は憤慨していたが。 まあ、奴等の目も節穴じゃなかったって事だろ? なんにせよ、周りから認められるのは悪い事じゃない。 俺の母親は別にしても。 神前の式は滞りなく済んだ。 三三九度の前に「酒は飲むなよ」と忠告したら「諄いわよ」と怒られたが。 ドレスとタキシードに着替えて、披露宴の会場に入る直前、静香は蹌踉けた。 「なにしてんだよ」 危なっかしい奴だな。 「だって、ハイヒールが・・・」 履き慣れている筈だろう? ったく、しょうがねぇな。 「っやだ!」 うるせえ! 「転ぶよりマシだろ?」 俺は恥ずかしがる静香を抱き上げて入場する羽目になった。 仕方ないだろう? コイツは妊婦なんだし、まだ安定期に入っていないんだから。 「過保護よ」 と静香は言うが 「念には念を入れて置け」 気が抜けねぇんだよ。 オマエは変な所でポカをやりそうだからな。 産婦人科での研修中に色々と見聞きした事が不安になって押し寄せるんだからしょうがねぇだろう。 出産も、傷が残っても痛みが少ない帝王切開にするべきじゃないかと言えば呆れられた。 「あなたって・・・」 なんだよ。 母体を心配すんのは当り前だろう? 無論、子供の事も気にしている。 外科ではなく、静香と同じ小児科を選ぶべきだったかと思うくらいには。 さすがにそこまでは、口に出しては言わねぇが。 「俺様が親馬鹿になるとはね」 なに言ってんだ。 そう言うオマエだって、家事が出来ねぇくせに編み物を始めたのを俺は知ってんだぞ。 あれを編み物だと言っていいのか疑わしいくらいの腕前しかない癖に。 「お互い様だろ?」 俺達は意地っ張りで、表と裏を使い分ける様な人間だが。 それでも、お互いに似合いで、一緒に居て幸せだと感じられる。 過去は碌なモンじゃなかったが、未来は悪くない、と思う。 奇跡の様な巡り会わせ、ってのはあるもんなんだな。 |
Postscript
このタイトルになったのは「愛せなくていいから、ここから見守っている」の歌詞の所為です。 杜也は静香に愛して欲しいとは思っていない事にしようと(酷) 杜也からの視点だけではなく、静香の気持にも当て嵌まる歌詞だな、とも思ったので。 このシリーズを思い描いた時に、浮かんだのは温室のアレと当直のアレと親父の墓の前でのシーン。 今際の際に最愛の人の名を呼ぶ。 親父にとって静香は最期まで捨てないでいてくれた女性でした(苦笑) 彼の人生の救いだったのだと思います。 そしてファザコンからの脱却。 肉親を亡くした事のない杜也には理解出来ない事かも知れませんが、親を亡くした悲しみは何年経っても癒えるものではありません。 アダルト色を強く意識して、と日記で言っておきながら今回はない(イヤ、やってる事はやってますが描写が殆んどないのでアダルト指定を外しました) ヤル事よりも二人の会話や他の方々との会話を入れようと、重点を逸らしたので。 偽薬も本当は騙して使うつもりでしたが、入籍を早めて静香に選択させる事にしました。 怒った静香の復讐が怖かったのか?杜也(笑) あまりにも素直に静香が承諾したと思われますか? 私としては前回のお話でそれなりに前振りをしていたつもりですが・・・あれだけでは駄目かな? 初めて出ました、杜也の父親(苦笑) 彼も実はダメな人ですが、あの母親と一緒に居られるのですから、実はまあそれなりに食えない人(笑) あの杜也が跡を継いでも良いと思う程尊敬する人ですから、ラスボス級?(大笑) 披露宴で抱きかかえてご入場とはどれだけバカップルなのか(苦笑) おまけに両方とも親馬鹿の気配。 将来が楽しみだ(笑) ラストが締まらないような気がします・・・が、取り敢えずエンドマーク(こればっかりだな) 2009.8.30up |