「・・・・・」
驚き過ぎると言葉が出て来ないとか言うけど、本当だわ。
あたしは彼が普通のホテルの部屋とは全然違うドアを開けた途端にバカみたいにポカンと口を開けて絶句してしまった。
なにコレ!
なにこの部屋!
なにこの窓の外に広がる夜景は!
す、凄過ぎる・・・
壁一面が窓ってナニ?
それにこのリビング?
広すぎるでしょ?
あたしの部屋どころかウチより大きいんじゃないかしら?
なんでこんなに沢山のバラの花が飾ってあるの?
常備されてるの?
まさか、特別に注文したとかじゃないわよね?
それに、これって・・・シャンパン?
ウェルカムドリンクとか?
ボトルで?
ローテーブルにはオードブルみたいなのまで置いてあるし・・・どれだけ奮発したんだコイツ。
いやいや、スィートだし、これが普通なの?
隅にはバーカウンターまであるし・・・カウンターの中には簡易キッチンみたいなものまである。
ここで暮せそうだわよねぇ。
あら、こっちはバスルームね・・・広っ!
下世話だけど、広過ぎて用が足せるのかしら?
おおっ、こっちはウォークイン・クローゼットとか言うヤツ?
初めて見た。
広い!
ここで寝られるわよ。
すると、あっちのドアがアレか・・・
「沙枝ちゃん」
初めて見るスィートルームの豪華さに、思わず探検をし始めてしまったあたしは彼に呼ばれて我に返った。
そ、そうでした。
あたしはこの部屋を見学しに来た訳ではなくて、彼氏になったばかりのコイツと一緒に夜を過ごす為にここに来た訳で。
彼氏を放って置いて部屋の中を見て回るだなんてどれだけ色気がないのかって話よね。
ちょっと反省しなくては。
「ゴメン」
あたしが謝ると彼は苦笑して「座ったら?」とソファーを勧める。
おずおずと恐縮して座り心地の良い高そうなソファーに座ると、彼はテーブルに置いてあったシャンパンのボトルを取り上げて「飲む?」と聞いてきた。
ちょっと!
「アンタは未成年でしょう?」
未成年の飲酒は法律上禁止されています!
睨みつけるあたしに彼はシャンパンのボトルを元に戻して、慌ててバーカウンターの方へと移動した。
「じ、じゃあジュースでも飲む?それともお酒がいい?沙枝ちゃんは飲めるの?」
バーカウンターの下にあると思しき冷蔵庫から次々と飲み物を取り出し始める。
「あたし、お酒は飲めないからノンアルコールならなんでもいいわ」
きっとお酒が飲めれば、酔った勢いで何とか出来るのかな?と思わないでもないけど、初めてが酔っぱらってっていうのもね、ちょっと悲しいわよね。
折角、こんなに素敵な舞台を用意してもらったんだから。
初っ端からムードを台無しにしたあたしが言うのもなんだけど。
あたしはカチャカチャと飲み物を用意している彼をチラリと見てから目の前のテーブルの上に視線を向けた。
テーブルの上には美味しそうなオードブルが置かれている。
そう言えばあたし、パーティでまだ何も食べてなかった。
お腹が空いて来ちゃったな・・・いや、しかし、ここでモノを食べ始めるというのはどうなの?
色気が無さ過ぎるんじゃなくて?
今更だけど。
でも、美味しそう・・・
じっとオードブルを見詰めていたあたしに、彼は飲み物のグラスを渡しながら気づいてこう言ってくれた。
「食事がまだなら何か取ろうか?」
あたしはオレンジジュースを受け取りながら首を激しく横に振った。
ブルブルブル、取るってルームサービスでしょ?とんでもないわ!
シャンパンやオードブルや冷蔵庫の中身はスィートの場合、部屋の料金に含まれているような事を聞いた事があるけど、流石にルームサービスは別料金でしょう?
これ以上、お金を使ってあたしの寿命を縮めないで頂戴!
「これで十分よ」
オレンジジュースのグラスを持ち上げて引き攣った笑顔を浮かべると、彼は自分のウーロン茶と思しきモノが入ったグラスをカチンとわたしのグラスに当てた。
「ちょっと様にならないけど、一応、乾杯って事で」
ニコって微笑んでいる彼にあたしはドキドキする。
乾杯ってナニに?
二人に?
いやいや、気障過ぎる。
今夜に?
いや〜〜!考えないようにしてるのに〜〜!
もしかして、再会にとか・・・逢ったのは2年ぶりだし。
うん、きっとそうよ!
そうに違いない!
あたしはグラスを傾けてゴクゴクとジュースを飲みほした。
おいし!
でも、あれれ・・・目が回るぞぉ・・・
「沙枝ちゃん!だ、大丈夫?」
彼の驚いた声に、あたしは自分の体がソファーに崩れる様に横になっている事に気付いた。
あれれ?なんで?
身体が重くて起き上がれない。
「ゴメン!緊張してるみたいだったからホンの少しだけお酒を入れてみたんだけど・・・本当に駄目なんだね」
犯人はオマエか!
あたしはホントにアルコールが駄目なのに。
すぐに酔っちゃうんだから。
「熱い・・・」
多分、顔を真っ赤にしているあたしは、彼にソファーにちゃんと座るように起してもらって、ペットボトルの水を貰ってゴクゴクと飲んだ。
空きっ腹に微量でもアルコールはよく効いてしまい、水分をガンガン取らなくては急性アルコール中毒になってしまう。
「ホントにゴメン。酔わせてどうにかするつもりなんかじゃなかったんだ」
彼は土下座する勢いであたしに平謝りする。
解ってるわよ、そんなつもりじゃない事くらい。
あたしは少しぼんやりとした頭で、心配そうにあたしを見ている彼をじっと見つめる。
よく見れば・・・いや、よく見なくてもイイ男よね。
お父さんが外国の人だから顔の堀が深いし、眼鼻立ちがはっきりしていて、好みはあるだろうけどハンサムさんだ。
それに背が高くて体格がいいから、多分オーダーメイドであろうスーツを着こなして、よく似合ってるわよね。
あたしよりも年下だけど、あたしと一緒に入社した同期の男の子達よりもしっかりしているように見えるわ。
子供だった昔とは全然違ってるのよね。
そんな彼が選んだのがどうしてあたしなのか。
解かんないな。
小さい頃に面倒を見てあげたから?
でも、そんな事はパーティでのほんの少しの時間だけだったのよ?
あたし達は幼なじみって訳でもないし、顔を合わせる唯一の機会のパーティは頻繁に行われてた訳じゃない。
1年に4回だけよ。
彼の周りにはお金持ちで綺麗なお嬢様が沢山いて、彼なら選り取り見取りでしょうに。
それこそ彼のお兄さんのように。
何も庶民の美人でもないあたしじゃなくてもいい筈なのに。
それでも、彼はあたしがいいのだと言ってくれた。
さっき中庭で彼が言ってくれた言葉は一生忘れられない。
「ノブちゃん」
小さい頃から呼んでいた名前で呼びかける。
「靖治さん」とかちゃんとした名前で呼んであげた方がいいのかな?
そ、それは少し恥ずかしいわ。
構わないよね、いきなり呼び方を変えなくたって。面倒だし。
あ〜あたし、やっぱり酔ってるのかなぁ。
「あたしもノブちゃんのこと、好きだよ」
ヘラヘラと笑いながらサラリと酔った勢いに便乗して告白しちゃった!
でも、ムードもへったくれもないあたしの告白でも彼は顔を真っ赤にしてくれている。
可愛いなぁ。
キスしちゃおっかな?
チュッ!
「さ、沙枝ちゃん!!」
ビックリして固まってしまった彼に抱きつく。
んふふ〜抱きつき甲斐がある大きな身体だよねぇ。
んん〜、いいニオイがするぅ。
コロンか何か付けてんのかなぁ?
「ノブちゃん、だいすき」
あたしはそう囁いて・・・眠りに落ちた。
リンゴーン、というチャイムにしては荘厳な感じの音にあたしの意識は浮上して・・・頭痛に眉を顰める。
どうして頭が痛いんだろう?
あたしは重たい瞼を無理やりこじ開けて辺りを見渡した。
予想に違わずそこは大きなベッドの上。
ベッドにはあたし一人で、服も昨日のまま。脱いだ気配は微塵もない。
少しホッとしながら部屋を見渡せば、閉められたカーテンの隙間からは日が差し込んでいる。
頭痛を堪えてサイドテーブルを探すと時計は午前8時を示している。
今日は週末じゃないから会社に行かなくてはならないけど、これから家に戻ったら会社には間に合わないわ。
どうしようかと頭を押さえつつベッドから出るとノックの音がした。
『沙枝ちゃん、起きてる?』
彼の声にあたしは慌ててドアへと駆け寄った。
「お、起きてる」
う、あたまがいたい。
ドアを開けると彼が心配そうにあたしを見ながら大きな紙袋を差し出した。
「これ、着替えを用意してもらったから。それと二日酔いの薬もあるから飲んで」
まあ、流石だわ。気が効いている。
でも・・・コレ、下着まで入ってるけど。
じとっと彼を睨みつけると、彼はあたしが言いたい事を察したのか慌てて言い訳を始めた。
「あ、その、隣に姉貴がいて、姉貴が用意してくれたんだ」
お姉さんが隣にいる?
彼のお姉さんってあの美人で頭が切れると有名なマーケティング部の?
あたしはスーッと血の気が下がって一瞬だけど頭痛すらも忘れた。
あ、あの人に知られちゃってるの?
あたしが彼と二人でここに居る事が?
何もありませんでした、って言ってもきっと信じて貰えない
あたしだって信じられませんもの。
あたしは取り敢えず二日酔いの薬を飲んでからシャワーを浴びて、遠慮なく手渡された着替えに着替えた。
昨夜、この部屋に来ると決めた時からそれなりに覚悟を決めていたのに、酔っ払って眠っちゃうなんて。
しかも二日酔い。
彼はどこで寝たんだろう?
ベッドを使った様子はないし、もしかしてソファーで寝かせてしまったとか・・・お坊ちゃんなのに。
何もさせないでベッドからも追い出すってどれだけ酷い女なのよ、あたし。
あ、キスはしたわね一応。
でも、あれは酔った勢いで軽く唇を触れさせただけだし。
あたしにとってはファーストキスだったんだけど、あれでも一応。
支度を済ませたあたしはリビングのソファーに座っている彼の向かいに座った。
ソファーの隅に毛布が畳んである。
やっぱりここで寝たのね。
「ノブちゃん、その・・・ゴメンね」
こんな高いスィートルームまで取ってくれたのに酔っ払って何にもさせなかっただなんて。
おまけにあたしはこれから出勤しなくてはならないからゆっくり二人で過ごす時間もない。
「え?いや、こっちこそゴメン。飲ませちゃったのは俺の所為だし。それに、その・・・」
彼はあたしから視線を少し反らせて恥ずかしそうに小さな声でこう続けた。
「その・・・何も昨夜、どうしても・・・って思っていた訳じゃないし・・・兄貴が女の子はこうすれば喜ぶって言ってたから部屋を取ったけど、告白したのが昨日でそのままってのはいきなり過ぎるよな?」
顔を少し赤くしながらも、彼は逸らせた視線をあたしに戻して、こう言ってくれた。
「昨夜、沙枝ちゃんが俺の事、好きだって言ってくれただけでも嬉しかったよ」
そしてニッコリと笑った。
ノ、ノブちゃん・・・今の笑顔はちょっと心臓に効きました。
あたしの顔も赤くなっている筈です。
は、恥ずかしい。
「俺はまだ学生だし、沙枝ちゃんと結婚したい気持ちに変わりはないけど、結婚出来るまで時間が掛かると思う。沙枝ちゃんにはこれから色々と迷惑を掛けちゃうかもしれないけど、待ってて欲しいんだ。いいかな?」
あたしが結婚したいと言っている訳ではないから、イイも何もないんだけど。
でも、あたしも好きって言っちゃったし、ここは頷くしかないわよね。
頷いたあたしを見て嬉しそうにしている彼には悪いけれど、これだけは言っておかないといけないと思う。
「結婚より何よりまずは男女交際からじゃないの?」
彼はちょっと色々とブッ飛んでいるのよね。
「あたし達はまだお互いに告白しあったばかりだと思ってるから」
それ以上はこれから、まだまだこれからのお話でしょ?
昨夜、覚悟を決めておきながら卑怯な言い方かしら?
でも、彼もいきなりそうするつもりがないなら、それなりのお付き合いをしてから、ね。
「うん、そうだね。でも、これからはもっと俺と逢ってくれるだろう?」
まあ、それは・・・もちろん構わないけど。
「でも、あたしの身の丈に合ったデートにしてね。ノブちゃん金銭感覚がおかし過ぎるわよ」
あたしからすればね。
もっと一般庶民の感覚を身に就けないと、苦労するのは彼だと思うんだけど。
「これから色々と教えてよ、沙枝ちゃんがさ」
ニッコリと無邪気に笑う彼とあたしは連絡先を交換してから出社するべく部屋を出ようと立ち上がった。
「じゃあね」
時間を気にして焦り始めたあたしは不意に彼に名前を呼ばれて引き留められた。
「沙枝」
呼び捨て?
今、あたしを呼び捨てにしましたか?
ビックリして振り返ったあたしは、抱き締められてますます驚いた。
「好きだよ、沙枝」
耳元で低く囁かれて、あたしは眼を見開いたままでキスをされた。
彼の身体があたしから離れても驚きは続いたままで、カチンと固まったままだった。
「気をつけて、いってらっしゃい」
彼はそう言うと額に軽くキスをしてあたしの眼を覚まさせた。
「い、いってきます」
会社に行くんだから、この挨拶はおかしくはない。
おかしくはないんだけど・・・何かヘンじゃない?
あたしは頭の中に疑問符を沢山抱えて一流ホテルのスィートルームを後にした。
都会の雑踏の中に溶け込んだあたしは、足取りが軽く心がウキウキワクワクしていくのが止められなかった。
彼が言ったように、彼はまだ学生だし、卒業するまであと3年以上もある。
教師になるって言っても、卒業して免許を取ればすぐになれるという職業でもない。
少子化が問題になってるご時世だし。
何より、あたしの職も父親の職すらも危ういのではないかという危惧は消えないし。
問題は山のようにあるけれど。
それら全てに眼を瞑って、あたしは浮かれていた。
好きな人から好きだと言って貰えた幸せ。
今だけでも、それに浸っていたっていいじゃないかと思うの。
あたしと彼との恋は始まったばかりなのだから。
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