128.最後の一般周遊券旅行西唐津・たびら平戸口・加津佐・甘木・太宰府 |
長崎市内のやや北の方にある赤迫(あかさこ)という駅から、南に進んで長崎本線沿いに浦上駅前、長崎駅前を通り、3系統と分離してさらに南に進み、東に進路を変えて新地中華街〜西浜町間で5系統と同じ路線を通り、西浜町で5系統と分かれて東に進んで崇福寺(そうふくじ)に至る路線である。
2009年10月から9年半の間、全区間120円だったが、2019年4月1日に130円に値上げされた。だが、市電1日乗車券の価格は500円のままである。市電1日乗車券は長崎駅前や崇福寺などで売っている。
なお、2020年3月に長崎駅は高架化され、場所が変更になった。そのため、長崎の市電1系統、3系統の長崎駅前までの距離は長くなった。
となりの浦上駅も高架にはなったが、市電停留所までの距離はそれほど変わらないので浦上で乗り換えた方がいいかもしれない。ただし上の128.最後の一般周遊券旅行でも書いている通り、浦上で市電1日乗車券は売っていないので注意すること。
また、新地中華街、崇福寺は、1998年の時点では「築町(つきまち)」「正覚寺下(しょうかくじした)」という駅名だった。このため上記の旅行記では正覚寺下と表記している。
128.最後の一般周遊券旅行西唐津・たびら平戸口・加津佐・甘木・太宰府 |
長崎市内のやや北の方にある赤迫(あかさこ)という駅から、南に進んで長崎本線沿いに浦上駅前、長崎駅前を通り、1系統と分離して東に進路を変え、トンネルをくぐって市民会館で5系統と合流し、蛍茶屋(ほたるぢゃや)に至る路線である。
なお、路線図よりわかる通り、この路線中の「桜町」という停留所以外の停留所はすべて、1系統もしくは5系統のいずれかが停車する。
以前の長崎の市電は各合流点の停留所で「乗り換え券」が発行され、一回分の運賃でどこでも行けた。
しかし、近年乗り換え券を発行する停留所が1系統と5系統との合流点の新地中華街のみになってしまったため、桜町から3系統以外の停留所に行くには、となりの長崎駅前に行くか、一日乗車券を購入するか、といったことが必要になってしまった。桜町のみなので問題になっていないようである。
さらに、2020年3月に長崎駅は高架化され、場所が変更になった。そのため、長崎の市電1系統、3系統の長崎駅前までの距離は長くなった。
となりの浦上駅も高架にはなったが、市電停留所までの距離はそれほど変わらないので浦上で乗り換えた方がいいかもしれない。ただし上の128.最後の一般周遊券旅行でも書いている通り、浦上で市電1日乗車券は売っていないので注意すること。
また、市民会館は、1998年の時点では「公会堂前」という駅名だった。
128.最後の一般周遊券旅行西唐津・たびら平戸口・加津佐・甘木・太宰府 |
長崎市内の南の方、大浦天主堂のそばにある石橋という駅から北に進み、少しだけ海岸沿いを進んで、新地中華街で1系統と合流、西浜町で分離、市民会館で3系統と合流して蛍茶屋(ほたるぢゃや)に至る路線である。
大浦天主堂のおかげでけっこうお客の多い路線である。
なお、新地中華街、市民会館は、1998年の時点では「築町(つきまち)」「公会堂前」という駅名だった。
28.長野電鉄の支線めぐり屋代・須坂・飯山 |
68.飯山線としなの鉄道小出・十日町・湯田中・安中榛名 |
北陸新幹線・信越本線の長野駅のそばの地下にある長野駅から北に進んで善光寺下に向かい、地上に出て須坂、信州中野を通り、温泉街である湯田中に至る、全区間電化されている路線である。
以前はこのほかに信州中野から北東に向かい、飯山線の飯山駅の近くにある木島駅に至る路線や、須坂から南に向かい、しなの鉄道の屋代に至る路線もあったが、信州中野〜木島間はかなり前に、須坂〜屋代間は2012年3月31日に廃止されてしまった。
この路線はそれほど客の多い区間ではなく、地元民は高校生以下がおもな客である。
しかし湯田中は観光名所であり、東京から長野まで新幹線が開通したこともあって温泉客がかなり利用する。
また奥志賀高原へバスで行く客も、奥志賀高原に行くバスは湯田中から出ているので利用が見込まれる。
ほかにも小布施(おぶせ)といった観光地もあるらしい。あまり知らないがけっこう沿線に観光地は多そうである。
93.近鉄特急と大阪の地下鉄松阪・大和西大寺・生駒・コスモスクエア・三ノ宮 |
115.急行砂丘と急行かすが鳥取・福知山・天橋立・門真市・奈良 |
124.ムーンライト八重垣と博多南駅八尾南・南巽・出雲市・宇美・博多南 |
大阪府西部、大阪環状線の大正駅から東に進み、心斎橋、森ノ宮を通り、大阪環状線沿いに北に向きを変えて京橋を通り、北東に向きを変えて鶴見緑地、門真南に至るOsaka Metroの路線である。
この路線に使われている電車は変わった構造をしており、モーターの一部をレールと一体化した変わった車両を使って運行されている。
なんでもこの方式にするとパンタグラフ方式や第三軌条方式より地下鉄用のトンネルが狭くてすむという利点があるらしいが、全国でも珍しい方式で、以前は長堀鶴見緑地線の他は東京の都営大江戸線でしか使われていない方式だったが、最近全国の地下鉄にちらほらと増えている方式である。
(愛知県にあるリニモも似たような方式だが、あちらはHSSTと呼ばれる方式で、かなり違う)
とは言え車内はちょっとだけ他のOsaka Metroの地下鉄より狭く、いごこちが悪いのが欠点である。
なんでも昔、花の博覧会、略して「花博」がこの路線の鶴見緑地駅のそばで開催され、その際の交通手段として京橋から鶴見緑地まで地下鉄が通ったといういきさつがある。
また、「なみはや国体」では終点の門真南駅の近くの競技施設が使われたという話である。
大阪ドームの近くに沿線が延び、大阪ドーム前千代崎という駅が設けられてかつては観客の足になっていたはずだが、大阪ドームを本拠地としていたプロ野球の近鉄がオリックスと合併してしまい、さらに大阪ドーム自体も経営不振で、この路線も地下鉄ともども安泰ではなさそうである。
また、京橋駅はJRの京橋駅とは多少離れており、長堀鶴見緑地線の駅前には「京橋コムズガーデン」という広場があり、たまにアイドルが握手会などのイベントを開催している。
55.八百津の鉄板スパゲッティ美濃市・八百津・桃花台東・尾張瀬戸 |
112.ムーンライト九州と新宮夜行北濃・九頭竜湖・厚狭・新宮・三河田原 |
131.最後の新幹線の食堂車三河田原・関・日本ライン今渡・明治村・金華山 |
高山本線・太多線の美濃太田駅から北北西に進み、関、美濃市、郡上八幡(ぐじょうはちまん)、美濃白鳥(みのしろとり)を通り、北濃(ほくのう)に至る非電化路線である。全区間岐阜県内にある。
JRが国鉄だった時代は、この路線は「越美南線(えつみなんせん)」と呼ばれていた。長良川鉄道になってもこの名前はいちおう線路の戸籍としては残っているらしい。
普通列車のみの路線で、美濃太田に近いほど1時間ごとの列車本数は多いが、北濃に近づくごとに少なくなっている。
沿線は郡上八幡などの観光地があることはあるのだが、岐阜から富山県に至る高速道路が長良川鉄道と城端(じょうはな)線を結ぶルートで建設されており、ついに完成した。
岐阜・名古屋・大阪から郡上八幡にその高速道路経由のバスが通っているので長良川鉄道のお客を奪っていそうである(もっとも郡上八幡のバスターミナルは長良川鉄道から多少離れている)。
逆に、新岐阜から関まで通っていた名鉄路線が廃止されてしまったため、従来名鉄を使っていた客が長良川鉄道に移った可能性はある。
山で囲まれた平野を通るためかなりながめが良い。
4.菅野美穂ちゃんと握手高蔵寺・弥富・桑名・栄 |
23.名鉄ディーゼル路線めぐり名古屋・碧南・西中金・中村区役所 |
54.雛形あきこちゃんと握手豊川稲荷・玉ノ井・勝川・藤ヶ丘・名古屋 |
JR名古屋駅の南西、JR関西本線や近鉄の八田(はった)駅の多少南(海沿い)にある高畑(たかはた)駅から近鉄より北に迂回して名古屋に進み、そこからほぼまっすぐ東に進んで繁華街である栄(さかえ)、千種(ちくさ)を通り、郊外に出て愛知高速交通(リニモ)の藤が丘に至る路線である。
名古屋、千種駅でJRと接続しているほか、いくつかの駅で他の地下鉄と接続している。
八田ではJRとは多少遠い位置に地下鉄の駅がある。
沿線は遠距離交通のかなめの名古屋駅と繁華街の栄を結ぶ路線であるため多少はお客がいるものの、もともと名古屋は道路が広くて自家用車の交通が便利なため、その分どの路線も多少お客が少ない。
それでも遠くから来るお客などのためにがんばってお客を運んでいる路線である。
なお、藤が丘駅は、1995年の時点では「藤ヶ丘」という駅名だった。このため上記の旅行記では藤ヶ丘と表記している。
13.流山と西白井の徒歩金町・流山・西白井・千葉ニュータウン |
京成電鉄の京成高砂(けいせいたかさご)駅から京成電鉄と分岐して北東寄りに進み、JR武蔵野線の東松戸、東武野田線の新鎌ヶ谷(しんかまがや)を通り、進路を南東寄りに変えて京成電鉄の空港第2ビルを通り、終点成田空港に至る電化路線を通称成田スカイアクセスと呼んでいる。
なぜ通称かと言うと、実はこの路線は運行する会社がいくつもあってわかりにくいのでまとめているのだ。京成高砂から新鎌ヶ谷、そしてもうちょっと先あたりまでは「北総鉄道」という鉄道会社が運行しているらしいが、たとえそこを通る電車でも、電車によっては北総鉄道の収入にならないらしい。
京成高砂から空港第2ビルまでは成田スカイアクセスの他、京成電鉄も路線がある。そしてなんと、京成電鉄より成田スカイアクセスの方が運賃が高い。
どうやって区別しているのかというと、空港第2ビルと成田空港ではホームを前後に区切って、片方は京成電鉄(京成成田)経由、もう片方は成田スカイアクセス経由にして、改札も別々にしているのだ。
京成高砂〜空港第2ビル間の所要時間は成田スカイアクセス経由の方がずっと短いので、運賃差があたかも特急料金みたいな感じになっている、というわけである。
成田スカイアクセス経由の電車は、この運賃の差とは別に、特急料金が必要な電車と不要な電車が走っている。
特急料金が必要な電車は京成高砂より西にある京成上野、日暮里(にっぽり)と空港第2ビル、成田空港しか停車せず、その他の駅には停車しない。
特急料金のいらない電車でも成田スカイアクセス全駅に停車する各駅停車はない。どの各駅停車も空港第2ビルの2駅西の印旛日本医大(いんばにほんいだい)止まりとなっており、印旛日本医大と空港第2ビルの間にある成田湯川には、京成高砂〜印旛日本医大間で少なくとも1駅停車しない駅がある電車しか停車しない。
成田スカイアクセスを通る電車のうち、京成高砂を通る電車はすべて京成電鉄に乗り入れており、さらに都営浅草線、京浜急行に乗り入れる電車もある。
行き先のうち一番多いのは羽田空港で、次いで西馬込(にしまごめ)、三崎口(みさきぐち)方面、京成上野となっている。ただし特急料金のいらない成田スカイアクセス経由の電車が京成上野発着となるのは夕方から深夜にかけてに限られる。
京浜急行の新逗子(しんずし)、浦賀方面から成田スカイアクセスへの乗り入れはない。
この路線は一度に全区間が開通したわけではなく、部分部分で開通し、数十年を経て全区間開通に至ったという経緯を持っている。
まず新鎌ヶ谷近辺から千葉ニュータウン中央方向に開通し、その後京成高砂と新鎌ヶ谷近辺がつながり、さらに印西牧の原まで開通、印旛日本医大まで開通し、印旛日本医大までの開通後約10年かけて全区間開通した、という経緯となっている。
そして運賃については、最初に開通した時は他の私鉄とそれほど運賃は変わらなかったものの、開業区間が延伸するごとに運賃がうなぎのぼりに上がっていき、印旛日本医大まで開通した時点でとても高くなり、全区間開通した時はそれより多少安くなったという経緯がある。最初から運賃がとても高かった東葉高速鉄道(とうようこうそくてつどう)とは違った経緯である。
この路線は京成上野から成田空港を結ぶという使命があるため、成田空港がなくなりでもしない限り存続するのではないかと一応思われるが、途中駅の利用客が低迷する場合、京成高砂と空港第2ビル間の全駅が廃止になる可能性はあると思う。
もちろん他の路線と同様に自然災害、大きな事故には気をつける必要があるし、さらに京成上野と成田空港を結ぶ特急の運賃が京成電鉄の収入となり、北総鉄道などの収入にならないという問題もあるため、以前は成田空港がらみの事件もあったこともあり、そういった事件で成田スカイアクセスが通行不能になる可能性がごくごく少ないものの残されているんじゃないかと思う。
沿線住民のためにも残してほしい路線である。
なお、成田スカイアクセスという通称は最後の開通区間である印旛日本医大〜空港第2ビル間が開通してから使用されるようになったものであり、1994年の時点では使用されていなかった。
このため上記の旅行記では北総鉄道の1994年当時の名称である北総開発鉄道という名称で書いている。
92.智頭急行と北越急行鳥取・小郡・甲浦・岩瀬浜・秋田 |
大阪府中部、Osaka Metro四つ橋線の住之江公園(すみのえこうえん)から海方向(西方向)に進み、Osaka Metro中央線のコスモスクエア駅に至る新交通システムである。
経営としてはOsaka Metroの経営になり、運賃としては住之江公園およびコスモスクエアの前後で通算してキロ数を計算し、キロ数に応じた運賃となる。
沿線は大阪南港のもより駅、フェリーターミナル駅があるため港に行く客が利用する他、住宅なども建っておりベッドタウンとなっているため住民の足ともなっている。
コスモスクエアに行く通勤客その他の客が利用することもあるかもしれないが、コスモスクエアにはバスも通っているので、もしかしたらバスの方がお客が多いかもしれない。
なお、最近までこの区間は、住之江公園〜中ふ頭間はニュートラムと呼ばれており、中ふ頭〜コスモスクエア間は第三軌条の地下鉄区間であるコスモスクエア〜大阪港と合わせて大阪港トランスポートシステムという大阪市営地下鉄(Osaka Metroの以前の名称)とは別の会社の路線だった。
しかし大阪港トランスポートシステムが解散し、ニュートラムの区間と合わせて新交通システム区間は大阪市営地下鉄が経営する南港ポートタウン線と呼ばれることになり、Osaka Metroに引き継がれたわけである。
なお、上記の旅行記はニュートラムと呼ばれていた時代の旅行記なので、路線インデックス以外ではニュートラムと表記している。
111.青森・十和田ミニ周遊券旅行七戸・十和田市・津軽中里・大畑・三厩 |
東北本線の野辺地(のへじ)駅から南に進み、数キロ離れた七戸駅に至る非電化路線であった。
とても古いディーゼル車を利用しており、しかもお客がたくさん乗ると車体のバネが客の重みを支えきれなくて動けなくなるという欠陥があった。
あまりお客のいない路線であったためそんな車両でも新しい車両に更新されることなく運行されてきたのであるが、客が少ないため廃止すると発表されたとたん、どこからともなく鉄道ファンがおしかけ、上記欠陥により乗れない客が続出したとのことである。
実は廃止される前から七戸にはバスが通っていて観光用のいごこちのいいバスであった。
そんなこともあって廃止されてしまった。とても鉄道ファンに愛された路線であったと言えよう。
88.新潟・山形の私鉄めぐり五泉・月潟・ガーラ湯沢・利府・荒砥 |
越後線の関屋駅から多少歩いたところにある東関屋駅から、ほぼ信濃川に沿って進み、月潟(つきがた)駅に至る電化路線であった。
以前は月潟から燕(つばめ)まで延びていたり、東関屋側も新潟の市街地まで延びていたりしたらしいが、廃止直前は東関屋〜月潟のみの営業であった。
新潟の県庁所在地の新潟市をめざす路線であったので、それなりにお客はあったものと思われる。
しかし時代とともにお客が減ってしまっていたのであろう、1999年4月に廃止されてしまった。
102.寝台特急はやぶさ往復旅行広島・三段峡・広域公園前・宮島・錦町 |
岩徳線の川西駅から北西に進み、山陽新幹線の新岩国駅のそばにある清流新岩国(せいりゅうしんいわくに)駅を通って山あいを進み、終点の錦町(にしきちょう)に至る非電化路線である。
以前は国鉄岩日(がんにち)線と呼ばれていたが、赤字のため国鉄末期に第三セクター化され、今に至っている。もともと岩日線の「日」は山口線の日原(にちはら)であり、もともとは錦町から日原まで路線を延ばすつもりだったと思われる。
現在の列車間隔は1時間半〜3時間であり、お客は一部の時間帯を除いて少ないものと思われるが、観光用の団体列車が山陽本線から乗り入れることもあり、やっていけるのかもしれない。
なお、1996年の時点では、清流新岩国駅は御庄(みしょう)という駅名だった。だから上記の旅行記では御庄と記述している。
65.最後の往復割引航空券日生中央・武庫川団地前・西田原本・浜寺公園・汐見橋 |
以下の路線から構成されている。
(1) 阪急電鉄の川西能勢口(かわにしのせぐち)駅から北東に進み、妙見口(みょうけんぐち)駅に至る路線。
(2) (1)の路線の山下駅から(1)の路線と分かれて北に進み、日生中央(にっせいちゅうおう)に至る路線。
大阪から宝塚にかけては平野が狭い地形であり、この路線はそんな狭い平野の北の山のふもとを走る路線である。
山のふもとなので終点の妙見口近くは住宅がそれほど建っておらず、客も少ない。
日生中央も駅からして団地の近くといった感じであるが、通勤客はともかく通勤以外の時間帯はお客が少ないようである。
65.最後の往復割引航空券日生中央・武庫川団地前・西田原本・浜寺公園・汐見橋 |
能勢電鉄の妙見口(みょうけんぐち)から2キロほど歩いたところにある黒川というケーブルの登り口の駅から、ケーブル山上まで通じているケーブルカー路線である。
周辺は兵庫県と大阪府の県境近辺にあり、妙見口は大阪府だがケーブル路線は黒川も山上も兵庫県である。
ケーブル山上には何かの施設があるようだが、ケーブル山上から急な斜面を200メートルほどのぼったところにリフトの登り口があり、そこからリフトに乗るとさらに高い所に行ける。
もっともリフトをのぼった所にはどこかからバスが来ているらしい。残念ながら時刻表にはそのバスは掲載されていない。
リフトの登り口からさらに500メートルほど歩くとお寺がある。
やっぱりケーブルカーがのぼった先にはお寺か神社がふさわしいものである。
95.輪島・蛸島・永平寺輪島・蛸島・三国港・永平寺 |
七尾線の終点の1駅手前の七尾からほぼ北に進んで、穴水に至る路線である。
七尾〜和倉温泉が電化されているほかは非電化である。
以前は穴水から東の方に進んで、珠洲(すず)、蛸島(たこじま)まで路線が延びていた。
さらに以前は穴水から北にも路線が延びていて、輪島まで通じていた。
さらにさらに以前は、のと鉄道の上記路線はすべて国鉄の七尾線、能登線であった。
今はとても短い路線であり、地元客、高校生などが使っているものと思われる。
観光客はほとんど金沢から直通する特急バスを使うようになってしまった。
なお、七尾〜和倉温泉はのと鉄道でもあり、JR七尾線でもある区間である。
常磐線および東京地下鉄千代田線の北千住〜綾瀬間と似たようなものだと言えばわかりやすいだろう。