黒の宴 11 - 12
(11)
白のセーターと淡いベージュのチノパンに深いグリーンのPコートを羽織ったアキラを少女と見間違えて
「お似合いのカップルね」と耳打ちし合うアベックも居る。そう言う事にアキラは慣れていて気にしていなかった。
ヒカルだって社と並べば女の子に間違えられかねないだろうと思った。
確かに店を出てからも社は心持ち人混みからアキラを庇うように寄り添って歩いた。
アキラに対し興味深気な視線を送る中年の男を社は容赦なくジロりと睨み返す。
社の行動一つ一つに押さえ切れない男気が見て取れる。怖いもの知らずで生意気盛り。
多分社はかなり女の子にモテるだろうな、とアキラは思った。
その時ふと、社が足を止めた。繁華街の店の並びの本屋を気にしている。
「塔矢元名人の詰碁選集、新しいの出たんやろ。まだゲットしとらへんのや、オレ。」
「何だ、それなら、」
碁会所に戻ればあるはずだが、ふとアキラは新しい事務所に寄ろうかと思った。
父の本以外にも参考に出来る本が運んであるはずだ。社に好きな物を選ばせて貸してあげられる。
アキラはその事を社に提案してみた。新幹線の時間の事が気掛かりではあったが。
「ホンマか!?ええんか!?大阪行きなんて遅くまでいくらでも出とる。大丈夫や。」
賑やかな表通りから一本奥まった通りにその建物はあった。
碁会所と同じように八階立てのコンクリートのビルの中の一室。
他の部屋も住居と言うより事務所として借りられているせいかエレベーターであがっても
内部はひっそりと静まっている。
二人は黙ったままやけに足音が響く廊下を歩いた。時間的なものもあるが、これ程人気の無い
場所だとは思わなかった。
アキラは多少後悔する反面、そう思う事が社に対して失礼な話だと自分を戒めた。
(12)
まだなんの表札も掲げていないドアをあけると6帖のフロアーが一つ。真新しい事務机と椅子が並び、
まだ配線をしていないOA機器が机の上に無造作に乗っている。窓の白いブラインド近くに空のスチールの
本棚があり、その下に書籍や書類が詰まった段ボールが置かれていた。
しまった、と思った。とても本を選んでもらう状態ではなかった。
部屋の右側に給湯室とトイレとシャワーが使える部屋があって、もう一間6帖の和室がある。そっちを覗いてみた。
隅に座ぶとんが5〜6枚積んであり、そこにも本棚があった。
そちらには本が既にそろえて並べられていて、アキラはホッとした。
社の方を振り返り、手招きをする。
詰碁集の新刊も何冊かあった。その内の一冊を手に取り、パラパラとめくる。
「これのことだよね。持って行っていいよ。他に何か…」
そう言いながら社にその本を手渡そうとした。
だが、社が掴んだのは本ではなく、本を持つアキラの左手首だった。
「…?」
アキラは掴まれた自分の手首を驚いたように見つめ、それから社の顔を見た。
社は笑顔ではあった。が、先程までの爽やかなものではなく、何かを見透かしたような、
冷ややかに卑下するような笑顔だった。
青白い蛍光灯の明かりのせいではなさそうだった。アキラの背筋に冷たいものが走った。
手を振払おうとしたが逆にもう一方の手首も掴まれる。本が床に落ちた。
数歩引き下がるとすぐに背中に本棚が突き当たった。そのまま社が体を密着させて来た。
社が顔を近付けてきて、あと僅かで唇が触れあうところで止めた。
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