遠雷 11 - 13


(11)
「塔矢行洋の息子という立場は、君にとってどんな意味を持つのだろう?」
疑問の形で結ばれてはいたが、答えを求めていないのは明らかな言葉だった。
「あの、塔矢名人の息子というだけで、温室育ちのお坊ちゃんと思われているのは、君にとって幸運なのかな。
 君の天才を、名人の薫陶ゆえと過小評価する者も多い。
 実際、対局すればわかるのだがね。君の碁は、力強い。
 力と力がぶつかれば、双方が傷つくのは必至だ。私は、そんな危険を犯すつもりはない」
芹澤はにたりと笑うと、アキラの耳元で囁いた。
「君は知れば知るほど魅力的だ。覚悟しなさい」
声だけ取り沙汰すれば、とても甘い口調だった。
それは、芹澤の宣言だった。
芹澤は、サイドテーブルからチューブを取りあげると、たっぷりと指にとった。
そして小一時間に及ぶ直腸洗浄で、わずかに綻んでいたアキラの後孔に、ゆっくりと差し入れていた。
――――ウッ!
アキラの全身が揺れる。
シャワーホースより幾分細いとはいえ、意思を持って動く指は、痛みよりも生理的な嫌悪感をもたらす。
いまだに声を奪われたままのアキラは激しく首を振った。
その動きで、なめし皮が摩擦熱を持ち、アキラの柔肌を熱で焼く。
だが、その熱よりも今アキラを苛むものは、アキラの体内にもぐりこむ異物。
芹澤の指が、円を描くように腸壁を撫でまわす。
ぬるりと冷たい感覚が、悪寒となってアキラの背筋を這い上がる。


(12)

      イヤダ! 気持ち悪い!!
      助けて、誰か!
      お父さん、お母さん……ヤダ、ヤダ!
           

      イヤダ!

脳裏に閃く言葉の数々は、声となることはない。
追い詰められた小動物のように、全身を小刻みに震わせて、必死になって抗うアキラに、芹澤は囁いた。
「このクリームはね、ただの潤滑剤じゃないんだよ。
 君を素直にする、甘い薬が入っているんだ。催淫剤、聞いたことはあるかい?」

アキラは、思わず瞼を開けていた。
驚くほど近くに、芹澤の整った顔があった。
その男らしい美貌に、冷たい笑みがある。
それは、残酷で危険な微笑だった。


(13)
拷問にも煮た直腸洗浄で、刺激に過敏になっていた肉壁が、ぬるりと侵入してきた指にわななく。
アキラの脳裏に芹澤の指が浮かんだ。
黒石を挟む長い指は、爪の先まで手入れが行き届いていた。
対局のたび、何気なく眺めていたことが、いま改めて思い出される。
疲れ切った体には、恥しらずな指を拒む力はもうなかった。
無駄だとわかってはいたが、もう長いこと咥えさせられているギャグに歯を立て、必死に堪える。
――――うぅ、うー
耳に届く獣めいた唸り声が、自分が発しているものだと信じたくはなかった。
芹澤の指が、ぐるりと内部で動いた。
思わず、全身に力が入る。
再び閉ざした瞼の裏に、芹澤の凶悪な笑みが浮かんでは消える。
尊敬していた棋士の、もう一つの顔にアキラは戦慄を覚える。
どうしても信じられない。
静かな佇まいで、碁盤をにらんでいた彼の姿に、憧れに近い感情を持っていた。
彼の碁には品格があるといっていたのは誰だったろう。
父ではなかった。
森下さんだったか、桑原さんだったか……。
誰が言った言葉だったかは思い出せなかったが、自分もそのように理解していた。
芹沢は、品のある美しい碁を打つ、と。
自分もそのような碁打ちになりたい。
アキラはそう思っていたのだ。
そんな人物が、いまこのような愚劣な行為で自分を苛んでいる。
アキラにはどうしても信じられなかった。



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