遠雷 14 - 16


(14)
アキラの気持ちなど置き去りにして、行為は続く。
「かたくなな心とは裏腹に、ココは随分解れているようじゃないか」
芹澤が楽しげに囁く。
手が自由になるものならば、耳を塞ぎたいとアキラは思った。
グチュグチュと耳に響く水音が、どこから聞こえてくるものか、考えるだけで死にたくなってくる。
「何本入っているか、わかるかな?」
アキラは答えない。いや、答えられるはずがない。
言葉は奪われたままだ。
「二本だよ。君の肛門は、美味しそうに咥えこんでいる。
物足りないかな。うん、物足りないようだね。待っておいで」
ぬちゃっという音がして、アキラの体内に差し込まれていた異物が、ずるりと抜け出ていった。
ほっと安堵の息をついたのは束の間、更なる質量が少し強引に入ってくる。
――――うあっ!
「そんなに驚くことはないだろう。ココは従順に受け止めているのだから。
三本。わかるかい、三本の指を君の肛門は受け入れているんだよ」
芹澤がゆっくりと押しこんでくる指にアキラは恐怖した。
痛みがない。それが怖い。
吐き気を伴う圧迫感と嫌悪感はあったが、痛みは感じられない。それが怖い。
心はこんなにも反発しているのに、体は既に受け止めている事実が、怖い。
根元まで押しこまれた指が今度はゆっくりと退いていく。
ニチャッと音を立てるのは、クリームだろう。
抜かれた指がまた進む。クリームの助けを借りたその動きに淀みはない。

クチュリ


(15)
抜き差しは徐々に早くなってくる。
無視しようとしても、体の奥で燻る存在を無視できない。
不自然な姿勢が苦しい。
息が上がる。
助けて欲しい。
誰か、誰か、誰か、誰か………
そのとき、アキラの脳裏に浮かんだのはヒカルの笑顔だった。
初めてであった頃の、夏のひまわりのような笑顔だった。
そま面影を求めて、アキラは目を見開く。
しかし、そこにヒカルがいるはずもなく。
見慣れない部屋の高い天井が、アキラの瞳を浮かべる。
―――――泣かない!
自分に言い聞かせる。
こんなことで自分は泣かない。
「素晴らしい自制心だ」
視界に芹澤の整った容貌が入ってくる。
上から覗き込む男は、やはり薄い笑みを浮かべている。
「その点に関しては、私は自分の敗北を潔く認めよう。
だけど、まだ終わりじゃない」
芹澤はそう言うと、深々と捻じ込んでいた三本の指をひきぬいた。
「次に始めるのは、塔矢くん、君からだよ」
謎めいた言葉を残し、芹澤はアキラの視界から消えた。


(16)
アキラは彼の姿を追ったりはしなかった。しかし、どさっと重い物が落ちるような音し、ぎしっと金属が妬きしむ音で、芹澤が椅子に座ったのがわかる。
カチッと音がしたあとで、芹澤がふうと息をつく。
遅れて鼻腔に届く癖のある匂い。
芹澤は煙草を吸っているのだろう。
「ご主人様、なにかお飲み物をお持ちしましょうか?」
男の声。
「私はおまえのような駄犬の主人になったつもりはない」
少し離れたところで交わされる遣り取り。
「失礼いたしました」
アキラは、こんな状況の中、いまだに冷静な自分自身に少し驚く。
足音が聞こえる。椅子の音は聞こえなかったから、男が動いているのだろう。
チンとガラスの擦れる音がしたから、男は自分で言ったとおり、芹澤のために飲み物を準備しているのだろう。
遠くで聞こえるブー―――ンという低い音は、空調の音だろうか。
そちらに向かって空気が動いているから、きっとそうなんだろう。
キュッという音がして、トポトポと液体を注ぐ音がする。
お酒……、ブランデーの匂い………。

そこまで考えて、アキラは不思議に思った。
自分の感覚が妙に冴えている。
ベストコンディションでヒカルと対局するとき、まれに覚える感覚と似ていた。
碁盤の上に広がる宇宙にも似た空間の、その果ての果てまで見渡せるような感覚。
それは錯覚でしかないのだが、互換が研ぎ澄まされたときにだけ訪れる絶対的な感覚。

ぞくりと、アキラの体が震えた。
本当の地獄はここから始まる。
芹澤の指が施したものが、アキラの神経を侵食していく。
それは、静かに始まった。
始まりの合図は、体内に覚える掻痒感だった。



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