storm 19 - 20
(19)
加賀は果てたアキラの身体を半ば抱きかかえるようにして、その身体の上に身を重ねた。
重ね合わせた胸の下で、荒い息遣いと、激しい鼓動が、次第におさまっていくのを感じて、加賀は軽
く身を起こし、アキラの顔を眺めた。
彼は目を伏せ、唇を軽く開いて息をついている。
記憶の中ではいつも真っ直ぐ引き締められていた唇は濡れて僅かに開き、甘い息遣いが耳に届く。
厳しく光る黒い瞳は今は瞼に隠され、白い顔を縁取るように真っ直ぐ流れる黒い髪は汗で濡れて額
に、頬に張り付いている。この美しい顔がこんなにも間近にあるのが信じられないと思った。
目を閉じたアキラの無防備な顔は、加賀の幼い頃の遠い記憶を呼び覚ます。
「負けようか?」と同情された。無邪気に、そして残酷に自分のプライドを打ち砕いたあどけない顔。
その顔に、進藤を見ていた憧れに満ちた眼差しが重なる。「美しい碁だった」と。
そして、ついほんの少し前には、素直に傷付いた腕を差し出し、何の疑いもなく自分を見つめていた
黒い瞳。「ご存知なんですか?」だって?ああ、知ってるよ。よく知ってる。ちょっとでも囲碁をやる奴
だったら「塔矢アキラ」を知らない奴の方が珍しいだろう。ましてやオレの可愛い後輩が鎬を削るライ
バルとあってはな。ただの「ライバル」だけじゃないらしいが?
だがその瞳の色を変えたのは、変えてしまったのは、自分だ。不意のくちづけに当惑した目。闇の中
で光る瞳。そして、燃えるような怒りを込めて、殺さんばかりに睨みつけていた眼差し。そして更に妖
しく誘い込む深い欲望の色。
様々な色の中で、けれど、目をそらさずに真っ直ぐ対象を見つめる視線は、それだけはいつも変わら
ない。その眼差しこそが塔矢アキラなのだと、加賀は思った。
自分の腕の中で、微かに眉を寄せ目を閉じている白い顔は、今日、最初に見た塔矢アキラ―物理的
に身体を叩いた衝撃に意識を失っていた―と、同じようにも見え、けれど全く違っても見えた。
(20)
唇を重ねようと顔を近づけていった気配を感じてか、アキラが目を開けて加賀を見たので、それ以上
近づく事が出来ずに、加賀はただ、アキラを見返した。
しばしそうしていた後に、アキラはふっと小さな息をついて、それからするりと加賀の腕の下からすり
抜けた。そしてすっと立ち上がると、そのまま加賀の視界から消えた。
彼の行動を、思いを、探る事も追う事も出来ずに、ただそこに取り残された加賀の耳に水音が響く。
ああ、シャワーを浴びているのか、と思い、それからすぐに、停電しているなら湯は出ないはずなの
に、と思い至る。だが塔矢アキラなら、水など苦にもしないのかもしれない。そんな風に思ってしまっ
た自分を、加賀は哂った。
水音が止むのを見計らって、加賀はバスタオルを手に洗面所へ向かい、アキラにそれを差し出す。
そのタイミングのよさにか、彼は小さく目を見開き、それから「ありがとう」と言って受け取った。
それが何だかあんまりにも自然な事だったので、加賀は小さく笑いをこぼしてしまった。それに気付
いてアキラが小さく笑い返した。
渡されたバスタオルで身体を拭きながら洗面所から出てきたアキラが、加賀に言った。
「悪いが服を借りて行ってもいいか。さっきので構わないから。とても着て帰れるようなものじゃない。」
そう言いながら、先に脱ぎ捨てたスーツを指差した。放置されたままのそれは濡れたままだったし、
確か袖は破けてしまっていた筈だ。
「ああ…構わないぜ。」
「ありがとう。」
そういうと彼は髪を拭きながら、加賀の横を通り抜けてすたすたと部屋へ歩いていった。
その呆気ない態度に軽く戸惑いを感じながら加賀は彼の後を追った。
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