storm 21 - 22


(21)
アキラは床に落ちていた服を拾い上げ、無造作に着込む。そして濡れた髪を手櫛でかきあげながら、
加賀を振り返った。加賀の視線を問うように軽く首を傾ける。
「…何か?」
「…いや、何でもない。」
何か、言いたいような気もしていたが、それを言葉にする事が出来なくて、そう答えるしかなかった。
そして何も言う事が出来ずにただ黙ってアキラを見ている加賀を、アキラもまた黙って見返していた。
加賀と同じように言葉を選んでいるかに見えたアキラが、不意に引き締められていた顔をほころばせ
た。それから加賀に近づいて、笑みを浮かべたまま加賀の顔を覗き込むように見上げた。
「随分と邪魔をしたようだが、これで失礼させてもらうよ。色々と世話になったと、言うべきかな?」
咄嗟に一歩引いてしまった加賀を見て、アキラはまた笑い、
「それじゃ、」
と言うと踵を返し、玄関へと向かった。

一瞬、取り残された加賀がアキラを追い、呼びかけた。
「塔矢!」
靴を履きかけていたアキラが振り向いた。
だがやはり何も言えずに動きを止めてしまった加賀に、アキラはなぜかにっこりと笑いかけて手を伸ば
した。引き寄せられるように、加賀がアキラに向かって足を踏み出すと、アキラの手が加賀の肩をぐい
と捉え、唇が加賀の唇をかすめ、去っていった。
そしてアキラは加賀に背を向け、ドアを開けて出て行く。
呆然としている加賀の目の前で、ゆっくりと玄関のドアが閉まった。


(22)
加賀はゆっくりと部屋に戻り、それから力な床にく座り込んだ。
どれだけそうしていたのかわからない。唐突に電気が復旧し、蛍光灯の明かりに目を瞬かせる。
それから軽く頭を振って立ち上がり、窓を開けると、ざあっと湿った空気が吹き込んできた。
窓の外は、雨は既にやんでいて、空を見上げると白い月がぽっかりと浮かんでいた。

―加賀、オレのこと、好き?
突然、自分を見上げた大きな瞳を、明るい色の前髪を思い出した。
―塔矢は特別なんだ。
オレに抱かれたすぐ後のくせに、真剣な目で何度もそんな事を言ってたな。
悪いな、進藤。おまえの特別をいただいちまったよ。
(何となくオレの方が食われた気がしないでもないけどな。)
だが、オレには一度きりで充分だ。あっちもそう思ってるだろうけど。
やっぱ、ただもんじゃねぇよ、塔矢アキラは。何だかわかんねぇが、狐にでも化かされたような気分だ。
あんなバケモノに付き合い続ける気力はオレにはねぇ。

オレは……オレは月が欲しいなんて言わねぇ。オレにとっては、月はただそこに輝いていて、時々見
上げて、今夜も月がきれいだぜ、って思うだけで、それだけでいい。それだけで充分だ。
おまえみたいに、実際に月を取りに行こうなんて思わねぇ。普通の奴は、思わねぇもんだ。あの月が
手に入れられるものだなんて。本気で自分のものにしようなんて。
おまえぐらいのもんだよ、進藤。本気で月を追いかけて、ついには本当に追いついてしまえるのは。

時折、その輝きを隠すように、嵐の名残の黒い雲が月の上を走っていく。
加賀は立ち尽くしたまましばし月を見上げていたが、やがて嵐の去った草むらに虫の声が響き始め
ると、その音色に小さな笑みを浮かべ、音をたてて窓を閉めた。

(完)



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