storm 6 - 10


(6)
「停電…?」
どくん、と心臓が嫌な感じで脈打った。
風が木々を揺らす音が、地面に、屋根に、窓ガラスに、激しく雨が叩きつけられる音がする。
エアコンが止まり、オーディオの電光も消え、薄暗がりの中で時計の文字盤だけが妙に光って見える。
息が詰まる。ぴくりとも身体を動かすことが出来ない。
突然フラッシュがたかれたように閃光が窓から室内を照らし、耳を劈く轟音がバリバリと空気を引き
裂き、地面すら揺らしたように感じた。
思わず瞑ってしまった目を開けると、室内は相変わらず薄暗く、その中で、彼の白い上半身だけがぼうっ
と浮き上がって見える。
手を伸ばそうとしたのと、彼が逃げようとしたのと、どちらが先だったのかわからない。だが手はその
まま逃げる獲物を追い、肩を捕らえて、乱暴に身体を組み伏せた。
白い閃光が室内を真昼に戻す。その瞬間、自分を刺すように鋭く光っていた漆黒の瞳が目に焼きついた。
肩を床に押さえ付けると、痛苦に彼がうめき声を漏らす。
それでもその身体は押さえつける力から逃れようと激しく暴れる。
蹴り上げようとする足を避けて、身体をうつぶせに倒し、下着ごとジャージを剥ぎ取り、暴れる身体を
脅しつけるように身体の中心を握りこむと、声にならない悲鳴が上がる。
そして握りこむ力を弱め、慰撫するように擦り上げると、押さえつけていた肩が弱く震えるのを感じる。
背に顔を寄せ、濡れた髪の張り付くうなじにくちづけすると、彼の身体がまた、ぴくんと反応する。
「塔矢、」
耳元で囁いた声が、彼の耳に届いていたのかはわからない。
暴れるな。大人しくしてくれれば、痛いようにはしないから。
そんな手前勝手な思いを込めて、彼の名を呼ぶ。
運が悪かったんだ。おまえのせいじゃない。恨むんなら天気を恨め。嵐のせいだ。
だから嵐に歯向かっても敵うはずがないんだから、嵐が過ぎるまで大人しくしてくれ。


(7)
油断した。
自分を見る目は好意的だったし、親切な人だと思った。
電車の中などで遭遇する、あからさまに性的な視線を向けてくる輩の、粘りつくような目付きは感じ
られなかった。
この男の精悍な風貌――特に勝負師めいた眼差しには、同属の匂いを感じてか、どちらかと言えば
好感を持った。
けれどそれが逆に、今の自分がこの男にとっては狩るべき獲物に見えるのだろうと気付いて、アキラ
は戦慄を感じた。力ではかなわない。どう見ても体格で負けている。ましてや、先程の打撲で既に自分
が弱っている事を感じている。
かなわないと感じてしまう事が、圧倒的な力の差に初めから敗北を感じてしまう事が、屈辱的だった。
だからこそ余計に、流されたくないと思った。
それなのに。
抵抗は無意味だ、そんな声が意識の片隅にある。
せめて快感ではなく痛みに意識を集中させようと努力しても、身体の中心に与えられるダイレクトな
刺激に、身体は反応してしまう。流されそうになる。
耳元で名を囁かれると、背筋がざわりと粟立つ。
身体を押さえつけられる痛みと、耳にかかる荒い息が、過去の恐怖を呼び戻そうとする。
だがその恐怖と屈辱感が逆に反撃の意思を奮い立たせる。
決して意のままにはならない。流されない。
戦いは自分とこの男ではなく、むしろ自分の意思と、肉体の感覚との戦いだ。


(8)
混乱の中にも疑問はあった。
なぜ彼はこんな風に自分の名を呼ぶのだろう。
「やっぱり覚えてないんだな。」と言った時の、この男の表情が目に浮かぶ。呼び声はその声にも
似ている気がする。自分にとっては見ず知らずの男が、なぜこんな声で自分の名を呼ぶのだろう。
「塔矢、」と呼ぶ声は知らない声だ。だがその声の質は知っている。それはきっと誰の声でも同じ質
のものだ。声にこもる熱と切羽詰った響きは変わらない。
呼び声が錯覚を呼び、混乱を増幅させる。
「塔矢、」と呼ぶ聞き慣れない声。
「愛してる、アキラ、」と告げる、甘いバリトンの囁き声。
そして、まだ僅かに稚さの残る声。「好きだ、塔矢、好きだ…」
「進藤…」

呟いた声が聞こえたのか、身体を探る手が、動きを止める。そしてその次には激しく荒々しく身体
を探る。まるで今自分が漏らした呼び声を非難するかのように。
なぜだ。
そしてもう一度疑問を繰り返す。
この男は誰だ。
どこかで見た事がある。最初からそんな気がしていた。
囲碁教室で一緒だったと言っていたが、そんなに昔の事じゃなく、どこかでこの顔を見た事がある。
どこだったろう。
身体に与えられる感覚から逃れるために必死に頭をめぐらせた。
「うんっ…!」
ダメだ。
それでも身体は与えられる刺激に抗いきれず反応してしまう。
考えようとすると抵抗がおろそかになる。そもそもコントロールなんてできたためしがない。
負けたくない。この手から、呼び声から、この男から、逃れなくては。
「あっ…ああ…っ…」
それでも、多分、行為に夢中になっているのだろう、身体を押さえる力は弱まってきている。
視界の端に何か光るものを見て、アキラはそれに手を伸ばした。


(9)
反抗していた力を抜いて、愛撫に応えるような息を漏らし始めた彼が、抵抗を諦めたと思ったのは
大きな間違いだった。
押さえ込んでいた体が突然大きく跳ねた。腕を何かが掠め、それが喉もとに突きつけられた。
「手を、放せ。」
低い声で彼が言った。
「ボクから、離れろ。」
稲光が室内を照らし、突きつけられたものがギラリと光った。
身を守るようにハサミを突きつけたまま、こちらを睨んでいる。睨み付けたまま身を起こし、少しずつ、
後ろに下がって行く。断続的に光る雷が、ストップモーションのように両者の動きを断片化する。
射るように睨み付けていた彼が、自分の顔を見て、一瞬息を飲んだような気がした。
「思い出した。」
低い声でぼつりと言った。その声色に背筋がぞくりとした。
「どこかで見たような気がしてたんだ。
そうだ。進藤と一緒にいるのを、見た事がある。確か葉瀬中の囲碁部の…」
言いかけて、彼の顔色が変わったように見えた。
「か…が?もしかして、キミが加賀か?」
「…そうだよ。」
ハサミを持つ手に力がこもったように見えた。
彼の全身を暗い怒りが支配するのを感じた。
「殺してやればよかった。脅しなんかじゃなく。手加減なんかしないで。」
黒い瞳が燃え上がる。黒い炎が塔矢の全身を包むのが見えるような気がした。
「ずっと、殺してやりたいと思ってたのに、まさか逆にこんな目に合うとはね!」


(10)
殺意を向けられる理由は知っている。
そうか。おまえは知ってるのか。あの事を。
オレがおまえの恋人を抱いた事を。
あいつが言ったのか。おまえに話したのか。
あの時オレは、これでオレはもう二度とおまえに会えなくなる、そう思った。
こんな形で会うことになるとは、まさかオレも思わなかったぜ。
……ヘンだな。なんでオレはこんなに妙に冷静なんだ。
コイツを、オレの前で殺意を隠そうともしない塔矢を目の前にして。

「どういうつもりだ。彼を…そして、なぜボクを……」
怒りに震える声で問いかける。ギリギリと殺意のこもった目でオレを睨みつけている。
だがこんな視線に負けるほどオレはヤワじゃねぇ。
同じように睨み据えて、言ってやった。
「泣き付いて来たのはあいつの方だ。泣かせたおまえが悪いんだろう。
他人の恋人をわざわざ慰めてやったのに、責められる筋合いはねぇぜ。
……っていうか、そんな大昔の話を今更持ち出すな。」
「…だったら、だったらどうしてボクを…っ!」
「無防備に男の部屋に上がるんじゃねぇ。肌を晒すんじゃねぇ。
おまえが進藤だけのものだって言うんなら、進藤以外になんかおまえを見せるな。
男の目におまえの身体がどんなに美味そうな餌に見えるのか、ちっとは自覚しろ。」
「美味しそうな餌をぶら下げられりゃ、飛びつかないほうがおかしいって言うのか。
理性も何もあったもんじゃないね!」



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