黒の宴 5 - 6
(5)
アキラは目を閉じた。天元に打たれた事によるこれからの展開のイメージを微調整し、目を開け、
社を見つめ返した。社は既に指先に黒石を持っている。
右上の星に白石をおく。社は右下小目に来た。すかさずアキラも右上小目に置く。
天元の石を見据えながら互いの間合いを詰めて行く。
相手の中央への進出を警戒し阻み地を奪って行かなくてはならない。だが社の方も一手目こそ
特異なものであったがその後に緩着はない。焦る程の威圧感はなかったがこちらの変化にも
動揺する気配がない。
アキラは久しくヒカル以外の自分と同世代の棋士と向かい合う事に関心を持てないでいた。
面白い碁になりそうだった。僅差の地を争う事になるだろう。
「…社清春…。」
声には出さなかったが唇を動かし心の中で呟いた。社はそれを見のがさなかった。
その時だった。
「おい、清春、おまえ、5時の新幹線の指定とってたはずじゃないのか!?」
ふいに社の連れの客が思い出したように声を上げ、慌てて口を押さえる。
反射的にアキラは室内の時計を見た。今すぐにここを出れば乗れない事はない。
すると社は舌打ちしてポケットからチケットらしきものを取り出すといきなりそれを破り捨てた。
アキラは驚いて社を見つめると、社は少し恥ずかしそうに頬を赤くし、連れの方を
ジロリと睨み付けた。そしてすぐに盤上に見入る。
saiの事もあって秀策の棋譜を並べる事に特に多くの時間を裂いて来た。
心の中で無意識に常にヒカルに通じるものを選んで来てしまった気がする。
こうしている間でもヒカルは刻一刻と強くっている。自分にとってヒカルが生涯の
ライバルであり意識の中心である事は間違いがない。だがヒカルがそうであったように、社もまた、
自分に新たな囲碁へのかかわり方を指し示してくれる存在になるような予感がした。
(6)
「おい、清春…!若先生だって都合があるかもしれんのだぞ!」
社の行動に焦ったように再度連れの客が声をかけた。社はチラリとアキラを見つめた。
アキラはそんな社を安心させるように少し笑んで首を横に振った。
するともう、社の意識からは盤面と塔矢アキラしか存在しなくなったようであった。
この後の都合があったのは連れの客の方だったようで、ため息をつくと「清春は一度ああなってしまうと…」
と何やらブツブツ言いながら碁会所を出て行ってしまった。
その客の後ろ姿を見送ってさすがにアキラが心配そうに社を見ると、社は盤面を見たまま
「子供やないんやから、見送りはええゆうたのに勝手について来たンや。ここも一人で来るつもりやった。」
と独り言のように呟き指先で黒石を挟むと右下の白石にぴたりとツケて来た。
アキラは黒の連絡を警戒し白石を逃がすべく打った。
「まさか、…ホンマにこうして塔矢アキラと打てるとは思おてへんかったけどな。」
再び白石を追い詰めるように打ち込み、社はアキラの目を真直ぐ見つめて来る。
「あんたはオレを知らへんやっただろうけど…オレはずっと…。」
ふいに社の手が伸びて来て髪に触れられて来るような、そんな錯角が起こるような熱い視線だった。
「…思ったよりは、よく喋る方のようですね。」
それをかわすようにアキラは反対側の黒の地に深く切れ込む。社が小さく唸り、思わず守りに回った
一手を打つ。が立続けにアキラに攻め込まれ後手に回って左側の地を幾らか減らすはめになった。
「危ない危ない。」
撫でようと思ったネコに引っ掻かれて反射的に退いてしまった自分に社は舌打ちする。
アキラは一気に左の黒を墜とすつもりだった。だが社に最小限の犠牲に押さえられた。
敬意を表すつもりでアキラはニコリと笑って社を見返した。
社も笑い返すが瞳の奥では鋭く獲物を狙う光を持っていた。
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