storm 7 - 8
(7)
油断した。
自分を見る目は好意的だったし、親切な人だと思った。
電車の中などで遭遇する、あからさまに性的な視線を向けてくる輩の、粘りつくような目付きは感じ
られなかった。
この男の精悍な風貌――特に勝負師めいた眼差しには、同属の匂いを感じてか、どちらかと言えば
好感を持った。
けれどそれが逆に、今の自分がこの男にとっては狩るべき獲物に見えるのだろうと気付いて、アキラ
は戦慄を感じた。力ではかなわない。どう見ても体格で負けている。ましてや、先程の打撲で既に自分
が弱っている事を感じている。
かなわないと感じてしまう事が、圧倒的な力の差に初めから敗北を感じてしまう事が、屈辱的だった。
だからこそ余計に、流されたくないと思った。
それなのに。
抵抗は無意味だ、そんな声が意識の片隅にある。
せめて快感ではなく痛みに意識を集中させようと努力しても、身体の中心に与えられるダイレクトな
刺激に、身体は反応してしまう。流されそうになる。
耳元で名を囁かれると、背筋がざわりと粟立つ。
身体を押さえつけられる痛みと、耳にかかる荒い息が、過去の恐怖を呼び戻そうとする。
だがその恐怖と屈辱感が逆に反撃の意思を奮い立たせる。
決して意のままにはならない。流されない。
戦いは自分とこの男ではなく、むしろ自分の意思と、肉体の感覚との戦いだ。
(8)
混乱の中にも疑問はあった。
なぜ彼はこんな風に自分の名を呼ぶのだろう。
「やっぱり覚えてないんだな。」と言った時の、この男の表情が目に浮かぶ。呼び声はその声にも
似ている気がする。自分にとっては見ず知らずの男が、なぜこんな声で自分の名を呼ぶのだろう。
「塔矢、」と呼ぶ声は知らない声だ。だがその声の質は知っている。それはきっと誰の声でも同じ質
のものだ。声にこもる熱と切羽詰った響きは変わらない。
呼び声が錯覚を呼び、混乱を増幅させる。
「塔矢、」と呼ぶ聞き慣れない声。
「愛してる、アキラ、」と告げる、甘いバリトンの囁き声。
そして、まだ僅かに稚さの残る声。「好きだ、塔矢、好きだ…」
「進藤…」
呟いた声が聞こえたのか、身体を探る手が、動きを止める。そしてその次には激しく荒々しく身体
を探る。まるで今自分が漏らした呼び声を非難するかのように。
なぜだ。
そしてもう一度疑問を繰り返す。
この男は誰だ。
どこかで見た事がある。最初からそんな気がしていた。
囲碁教室で一緒だったと言っていたが、そんなに昔の事じゃなく、どこかでこの顔を見た事がある。
どこだったろう。
身体に与えられる感覚から逃れるために必死に頭をめぐらせた。
「うんっ…!」
ダメだ。
それでも身体は与えられる刺激に抗いきれず反応してしまう。
考えようとすると抵抗がおろそかになる。そもそもコントロールなんてできたためしがない。
負けたくない。この手から、呼び声から、この男から、逃れなくては。
「あっ…ああ…っ…」
それでも、多分、行為に夢中になっているのだろう、身体を押さえる力は弱まってきている。
視界の端に何か光るものを見て、アキラはそれに手を伸ばした。
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