若先生は柳腰 11 - 15


(11)
 エレベーターの中で市河がやや非難めいた口調で呟く。
「緒方先生ったらお酒の話なんかして……。今日お車じゃないんですか?」
「生憎車検に出していてね。帰りはタクシーだ。市河さん、車は?」
 市河は肩をすくめる。
「それが……先週細い道で電柱に脇を擦っちゃって……。今、修理に出してるんです」
「そうか。じゃあ市河さんも大手を振って飲めるよな?」
 ニヤリと笑って尋ねる緒方に、市河は苦笑混じりに頷いた。
「よし。そうなると、問題は何を食べるかだな。市河さん、ご希望は?」
「あっさり和食系がいいかなぁ……。お蕎麦なんかどうですか?軽すぎるかしら?」
「蕎麦か。北島さん、どうです?」
「蕎麦とは嬉しいねェ。ワシの大好物なんですよ!」
 1階に着き、エレベーターの扉が開く。
市河と北島に先に出るよう促しつつ、緒方は2人に提案した。
「取り敢えず新宿に出ませんか?蕎麦も酒も美味い、いい店を知ってるんでね」

 新宿駅西口から5分程歩いただろうか。
3人は、大型家電量販店や雑居ビルが所狭しと立ち並ぶ街中にある小さな蕎麦屋に到着した。
「老舗っぽいお店だけど……こんな所にあるなんて意外な感じですね」
「この辺は一見ゴチャゴチャして汚いんだが、美味いものを食わせる店が多いんだぜ。なにせ
オフィス街だからな。ここは昼時にはサラリーマンで一杯になる人気店さ」
 市河にそう言って笑うと、緒方は店員に話しかけた。
「3人だ。奥の座敷がいいんだが、空いてるかな?」
 若い女性店員は「はい、どうぞ」と愛想良く頷くと、3人を奥へ通した。


(12)
 純和風の落ち着いた雰囲気を醸し出す店内は、中高年の客の比率がやや高かった。
店内の中央に位置するガラス張りの調理場には木製の蕎麦打ち台がどっしりと構えており、
いかにも本格的な手打ち蕎麦屋らしい。

「取り敢えず中ビン2本とコップ3つ頼むよ」
 靴を脱いで座敷に上がると、緒方はすぐさま店員に注文を出した。
「緒方先生……」
 呆れる市河を「まあまあ」と宥める緒方の横で、北島がコートを脱ぎながら冷やかしを入れた。
「市ちゃん、なんだかんだ言ってかなりいけるクチなんじゃねェか?最初、大人しそうに
猫被ってるヤツってェのは、酒が入るとよく大虎に化けるからなァ!」
「北島さんっ!!」
 頬を膨らませて怒る市河に、緒方と北島は笑いを隠せない。
緒方と北島が向かい合う格好で通路側の席に、市河は緒方の隣にそれぞれ腰を下ろすと、
間もなくビール瓶とコップが運ばれてきた。
緒方はコップを2人に持たせると、早速ビール瓶を傾ける。
「それじゃあ乾杯しましょう。北島さん、先に一品料理を幾つか頼みませんか?
市河さんも好きなものを言ってくれよ。まずは少し摘んで、それからメインの蕎麦を注文しよう」
 そう言って緒方は自分のコップにもビール満たす。
もう1本の瓶に手を伸ばした北島が、その様子に慌てて口を開いた。
「緒方先生、そんな手酌で……。ワシらに気を遣ってばかりじゃないですか」
「いいんですよ、北島さん。さあさあ乾杯だ。市河さんも遠慮せずに飲んでくれよ」
「遠慮も何も……ちょっとだけですよ」
 ビールの泡が弾けるコップを緒方と北島のコップにカチンカチンとぶつけながら、
仕方なさそうに頷く市河だった。


(13)
「……市河さん、やたらとピッチが速くないか?かなり顔が赤いぞ」
「え〜っ!そんなことないですよ〜。だってホラ、まだ中ビン1本空けただけじゃないですか〜」
 やたらと語尾が延びている市河に、緒方と北島は苦笑した。
「市ちゃん、緒方先生は中ビン2本頼んだんだ。そのうちの1本を全部市ちゃんが空けちまったって
ことはだなァ……」
「2人がちまちま飲んでるだけでしょ〜?あっ!この味噌田楽スッゴク美味しい〜!そうそう緒方先生、
だし巻き玉子と地鶏の南蛮漬けって頼みましたっけ?」
「ああ。もうすぐ来るだろう……」
 緒方が言い終わらないうちに、だし巻き玉子と地鶏の南蛮漬けが運ばれてきた。
ほろ酔い加減で若干トロンとしていた市河の瞳が俄然輝き出す。
緒方は市河の前に皿を置いてやった。
(碁会所で『夜は軽くしないと太りそう』なんて殊勝なことを言ってたのは、一体どこのどいつだ?)

 左手にコップを持ったまま、箸を持つ右手をせわしなく動かす市河の健啖ぶりに呆れつつ、
緒方は僅かに残ったコップの中身を飲み干した。
(もうビールも終わるか……。そろそろ蕎麦も頼まないとな)
 緒方は板わさを口の中に放り込むと、品書を開いた。
その横で、市河は幸せそうに新香を頬張っている。
なんの恥じらいもなくバリボリ新香を噛み砕くその姿に、北島は思わず失笑せずにはいられなかった。


(14)
 北島は市河とは対照的な緒方の様子がもどかしいのか、手にしていたコップを置いて、
ビール瓶を緒方に向けた。
「緒方先生、ワシなんかに合わせてないでどんどん飲んでくださいよ。市ちゃんを見習ってホラ!」
「いや、私より市河さんの方に。彼女のコップ、もう空ですから」
 すかさず市河がコップを北島の前に突き出した。
「北島さ〜ん、それちょうだい!」
「市ちゃん……もう少し遠慮ってモンがねェのか?」
「『遠慮せずに』って緒方先生が言ってたじゃな〜い!ホラホラ、注いで注いで!!」
 北島は渋々瓶の中身を全部市河のコップに注いでやった。
市河はアッという間にそれを飲み干すと、嬉々としてだし巻き玉子に箸を付ける。
北島は半ば揶揄するような口調で呟いた。
「……こんな大虎ぶりを若先生が見たら、どう思うかねェ?」
 だし巻き玉子を飲み込もうとした市河が勢い噎せ返った。
「フッ、大虎か……アキラ君には見せられない市河さんの真の姿ってところかな?」
 緒方はニヤリと笑うと、胸を叩きながらゲホゲホ咳き込む市河にお冷やのコップを差し出した。
お冷やを一気飲みする市河を横目に、緒方は北島に品書を指し示した。
「さて、そろそろ蕎麦を頼みましょうか。ここは鴨せいろが特にお薦めですよ。
酒も切れたし、好きなものを追加してください」


(15)
「鴨せいろ2つと重ねせいろ1つ。あと、吟醸冷酒1つと蕎麦焼酎の蕎麦湯割り2つ頼む」
 注文を終えた緒方は地鶏の南蛮漬けを口に運んだ。
「蕎麦焼酎の蕎麦湯割りって……どんな味なんです?初めて聞いたわ。焼酎は癖が強いから、私どうも苦手で……」
 だし巻き玉子を喉に詰まらせたことで酔いが覚めたのだろう。
市河は怪訝そうな表情で緒方に尋ねた。
「…………」
 口に物が入っている緒方は、まともに返事もできない。
その様子を見かねて北島が助け船を出した。
「それが結構癖が無くて飲みやすいんだよ、市ちゃん。蕎麦湯で割るから味に丸みがあるのさ。
ワシは蕎麦屋じゃ日本酒よりこっちを頼むねェ」
「へえ〜、そうなんだ。でもなんだかオジサン臭い感じ」
「……『オジサン臭い』とは心外だな。前にアキラ君と芦原を連れて来たときもこれを頼んだが、
芦原なんかすっかり気に入ってガブガブ飲んでたぜ。まあ所詮アイツは何を飲ませても同じことだが……」
 ようやく口を開いた緒方に、市河はすかさず詰問した。
「アキラ君とここに来たんですか!?」



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