若先生は柳腰 16 - 18


(16)
 アキラの話題となると市河はやけに反応が速い。
恐らくアキラに関する情報をいち早くキャッチする超高性能センサーでも内蔵しているのだろう。
「ああ。鴨せいろを美味そうに食べてたよ。実を言うと蕎麦焼酎もちょっとだけ飲んだんだぜ」
 緒方の言葉に北島が驚きの声を上げた。
「若先生が酒を!?」
「ええ。まあほんの少し舐める程度ですがね。アキラ君はああ見えて結構酒に興味が
あるようですよ」
「舐めるって誰かのをッ!?」
 北島と市河は同時に緒方に詰め寄った。
2人とも妙に息が荒いが、それが酒のせいでないことは一目瞭然である。
緒方は空のコップの縁を爪先で軽く弾くと、しれっと言ってのけた。
「オレのだが……それが何か?」

「…………」
 北島と市河は唇をへの字に結んだまま、すっかり押し黙ってしまった。
だが緒方に向ける2人の熱い眼差しは間違いなく羨望に満ち満ちている。
(そうか。そんなに羨ましいか、フフ)
 緒方は悠然と味噌田楽を箸で摘み上げた。


(17)
「市ちゃん、すっかり潰れちまったなァ……」
 鴨せいろをすっかり平らげ、コップに半分程残っていた吟醸冷酒を一息にキュッと呷った市河は、
そのまま座卓に突っ伏してしまった。
緒方と北島が見守る中、赤い顔で酒臭い息を吐き出しながら、ひたすら爆睡している。

「なんだかんだ言っておきながら蕎麦焼酎もかなり飲んでましたしね……」
 緒方は肩をすくめて苦笑した。
「緒方先生の分、市ちゃんに相当飲まれちまったでしょう。ワシのがまだ残ってますから、どうぞ」
 北島は朗らかに笑いながら焼酎の徳利を緒方に差し向けた。
「じゃあ遠慮なく。しかし、すっかり市河さんのペースに巻き込まれましたね……」
「まあ可愛いモンじゃないですか。毎日碁会所でワシみたいなオヤジを相手に市ちゃんも頑張ってるんだ。
こういう形で慰労してあげるのも悪くないでしょう」
「そうですね。……そういえば、北島さんには娘さんがいらっしゃるとか……」
 好奇心は自制心に勝るのだろう。
一瞬躊躇はしたものの、緒方は思わず切り出してしまった。


(18)
 北島は「おや?」と小首を傾げはしたが、すぐに合点が行ったようだ。
「市ちゃんから聞きましたか?」
「ええ。指導碁の後、北島さんがおっしゃってたことがなんとなく気になりまして、つい……。
すみません。お気を悪くされましたか?」
「いやいや、そんなことはないですよ、緒方先生。あの時はみっともないこと言っちまって
……いやはやお恥ずかしい限りで」
「とんでもない。じゃあ、あれはやはり娘さんのことで……?」
 北島は少し寂しそうに笑った。
碁会所で見せた寂寥感漂う表情と、それは同じだった。
だが自分を見つめる緒方の胸中を察して、北島はすぐに普段と変わらぬ快活な笑みを取り戻した。
「そんな顔するモンじゃありませんよ。……さて、市ちゃんも寝ちまったことだし、
男同士の方が何かと好都合だ。緒方先生、お嫌でなけりゃ年寄りの愚痴に付き合って
もらえますかねェ?」
 緒方とすれば望むところだ。
「勿論ですよ。私でよければいくらでも」
 そう言って笑うと、緒方は北島に徳利を差し出した。



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