負荊3






殺伐とした世界だった。
子供が……まだ大人になりきれない子供が居るべき世界ではなかった。

だけど、背伸びしたい時期はそんな事気付きもしないで、大人達の屯する場所へ行きたがった。マセていたのは自覚している。人より少しばかり頭が切れる事も内心誇っていた。

大人達が必死になっても捕らえることの出来ないモノを自分は易々と見破れる。その事実が彼を増長させた。
自分に解けない謎はない。完全犯罪なんてあろう筈がない。

だから、あんな風に世間を騒がせている犯罪者くらい、自分が少し本気になれば容易に捕らえることが出来るだろうと。


捕らえられたのは自分の方だと、気付きもしないで……。









月の光と夜の闇。
その間を縫うように、世紀の怪盗はその手を罪に彩る。

人は彼の犯罪に魅了され、喝采すら惜しみなく贈る。
法を犯した罪人だというのに……。

その存在は幻のように実体をなさないからだろうか。罪の意識は希薄で、だからなのだろうか。

工藤新一には分からない。
彼の存在も、生きている意味も、飄々として罪を犯すその行為の裏に隠された真実も。


その光景は、本当に現実に存在しているのだろうか。新一の脳裏にそんな思いが過ぎった。
とあるビルの屋上で。夜の帳を切り裂くような真っ白な出で立ちの犯罪者が、探偵の目の前に堂々と姿を現す。

頭の上からつま先まで純白に染め上げた泥棒。まるで差し色のように入れられた赤と青のコントラスト。自由気ままに棚引くマントが彼の存在を誇示しているようで。
無機質なモノクルの奥に隠された冷涼な瞳。
そして、余裕ありげに浮かび上がる微笑を向けられて、新一は息をのんだ。

「────!」
身体中に甘い衝撃が走る。髪がざわりと総毛立って、指の先がまるで電流を通したように、ピリピリと痺れた。
どくん。と、心臓の音が大きく高鳴る。
さっきまで普通にしていたはずなのに、突然呼吸の仕方を忘れてしまったように……息苦しくて胸が痛い。

彼を見て……その姿を意識した瞬間、新一の心は囚われた。自分でも分からず何の理由もなく、真実の名も知らぬ、泥棒に。


「ごきげんよう」
泥棒は、そう言って対峙する新一に腰を折った。慇懃無礼なその態度。
だけど、新一の鼓動は不自然に跳ね上がる。
心の何処かに、声をかけてくれたことに喜びだけを感じてる自分がいる。

信じられないくらい、焦がれている。
こんなにも突然襲われた、恋の衝撃。


「今宵は、また珍しい所でお会いしますね」
ポーカーフェイスそのままに、彼にはきっと追い詰められたという意識などないのだろう。
新一も、もう既に彼を捕らえようという意識は消失していた。

中空から照らす月の光が妙に眩しくて、新一は無意識に目を眇めた。

「私を……捕らえにいらっしゃったのですか?」
かつん、と床を鳴らす音がして、彼は一歩新一に近付く。
優雅でいて隙のない身のこなし。しかし、それ以上に彼の存在に囚われてしまった新一には、戸惑う心を必死に押さえ込もうと躍起になってそれ所ではない。

近付く泥棒に制止の声も上げられず、ただその場に立ち尽くしたままで。そんな彼の態度に泥棒はさして怪訝に思うこともなく、ゆっくりと近付いた。

身体が震え出しそうになるのを必死に押し止めて、何とか平静を保とうとその瞳に険を宿して睨み付ける。
探偵が泥棒に圧倒されなければならなくなるなんて、此処に来る時は思いもしなかった。
その気障な出で立ちをした彼の正体を暴いてやろうとすら思っていたのに……。

今では、ただこうして立ち尽くす事しか出来なくて、目の前の犯罪者が近付いてくるのを止める事すら出来ない。

そんな新一の心の葛藤にまるで気付かない彼は、新一の直ぐ傍まで歩み寄るとぴたりと立ち止まった。
「………?」
戸惑う新一を余所に、彼はすっと腕を差し出し、白い手袋を填めた掌の中から、きらりと光るモノを取り出す。

────彼が今夜盗み出したビッグジュエル。

「そ、それは……」
思わず声を上げる新一に、彼は緩やかに微笑んで見せた。
「相変わらず……私には容易に盗み出せましたよ」
警察を小馬鹿にしているようにも、気の毒に思っているようにも取れる口調でそう告げる。

月の光を受けて神々しく反射するその宝石。
ふいに、それを取り返さなければ……と、そう思い至った。しかし、それと同時に彼が素早く動く。
「え……」
ドキリとした。胸の鼓動が高鳴って、息苦しくさえあった。

彼は、新一の無防備に晒されたままの右手をそっと取り、恭しく持ち上げたのだ。
「な……ん……?」
新一の戸惑いを余所に、泥棒は優しくその手を取り上げ、掌を開かせる。
心臓が五月蠅いくらいに跳ねて、頬が熱くなってくるのを感じた。熱が、上がる。

泥棒はそんな新一の態度にほんの少し皮肉気に笑うと、彼の掌の中に今夜奪った宝石を静かに落とした。
そして、その手をゆっくりと自らの掌で包み込む様に閉じさせる。

「まだまだ捕らわれる事は出来ませんから、コレはお返ししますね」
そう言って包んだ新一の指先に、彼の口唇が寄せられた。吐息が、触れる。

「……っ!」
これまでになく劇的な痺れが指先から伝わる。ゾクリとして甘美なそれ。
新一は、慌てて目の前の泥棒が与えた動きに反応してしまった自分に気付かれぬよう、息を詰めた。

泥棒は何も言わなかった。只、少し面白そうに笑みを漏らしただけで、すっとその場を離れると身を翻した。

「あ………」
思わず零れた声に、ドキリとする。行かないで欲しいと、新一の身体はそう訴えていた。しかし、その望みを告げる事など出来ようはずがない。
彼の歩調はゆるむことなく、屋上の端から夜の海にダイブした。

何の躊躇いもなく、潔いまでに鮮やかで華麗に。

「……キッ…」
彼がこの場から居なくなった途端、まるで呪縛から解放されたかのように身を動かす事に成功した新一は、彼が飛び込んだその場所まで駆け寄った。
強い風が吹いて、新一の身体を浚おうとする。それを押しのけるように、そこから下界を見下ろした。

宝石の瞬く夜景を背景にして、白い姿が優美に翼を広げて浮かんでいた。
その小さな固まりのようなそれに視線を向けて……見えなくなるまで見つめ続けた。


目が……離せないのだ。どうしても。


彼に握らされた宝石のずっしりとした重み。それを感じて、新一はそっと手を開く。
普通の人間では到底手に入れることなど出来ぬそれ。高価な宝石は、その価値に相応しい輝きで新一を魅了する。

だけど、本当に魅了されたのは、その価値にではない。


泥棒が新一に渡してくれた。ほんの少し前までは彼が手にしていた。その事実が新一の心を大きく揺さぶっていた。





こんなに激しい気持ちなるなんて。彼に恋を自覚しまうなんて、信じられなくて。その理由が見つからなくて。だけど、どうしようもなくそれは事実で。
身体中の力が抜けて、その場に座り込んでしまうくらい、彼の存在に溶かされて。

血液が蒸発してしまうのではないかと思うくらいの熱が生まれた。


だから……この恋は本物なんだと確信した。






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2002.03.21
Open secret/written by emi

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