最初のキス
快斗とキッドがこの世に誕生した時も、宇宙はそれまでもこれからも変わりないように見えた。
現実に、さして変わっていないのだが。
どかんどかんと、少し五月蠅い星を見回し、快斗は空を見上げた。すると、とても近い所に白く光る星が見えた。
キッドの星だ。
彼の星は、乳白色の、まるで真珠のような綺麗な光沢を放つ星だった。その星は、爆発して散ってしまうまで、人々に『真珠星』と呼ばれた。
快斗の星は、彼とは逆に真っ黒だった。漆黒の星。黒真珠星と呼ばれている。……それはきっと、この星が消滅するまで呼ばれ続けることだろう。
星は誕生すると同時に星人も生まれる。一つの星に一人、言うなれば星の分身、星自身である。星人は、誕生して暫くの間は眠って成長する。
その眠りの間に、星は核を安定させるのだ。
快斗とキッドも、最初は眠っていた。そして、時期が来て目覚める。流石双子星らしく、彼等は目覚めた時も同じようだった。
二人は目覚めてすぐに、互いの存在を知り認め合った。まず、快斗がキッドの星を訪れ、それから二人で空を見上げた。
すぐ近くに快斗の星が瞬いている。
「真っ黒で艶やかで、とても綺麗だ」
キッドはそう言った。
「お前も、真っ白で滑らかで、すごく綺麗だった」
外から見た時の事を思い浮かべ、快斗もそう言った。
二人の星は、色こそ異なっていたが、形も大きさも、その質感すら全く同じだった。
そんな風に他愛もない会話をしながら、二人仲良く空を見上げていた時の事だ。
少し遠くで、突然光が瞬いた。
「何か光ったよ」
快斗が言う。
「星の光だろう?」
キッドが答える。
だけど、二人とも、何かが引っかかる。
その、一瞬きらめいた光はとても綺麗な蒼い光を放っていて。もちろん、そんな色を放つ星などいくつもあるのだが、二人は何かを感じたのだ。
「もしかしたら、新しい星かも知れない」
キッドが言った。
「オレ達と同じ、生まれたばかりの星なのかな」
快斗は呟く。
「ちょっと行ってみようか」
そう誘ったのはキッドの方だ。
「友達になれるかも知れないね」
嬉しそうな頷いたのは快斗だ。
二人は手を繋ぐと、ふわりと舞い上がり、二本の光線となって、真珠星を飛び出した。
それは、とても綺麗な蒼の星だった。
あまりにも濃くて深い色を湛えている蒼に、二人は暫く星の周りを飛び回った。
「綺麗だね。すごく綺麗」
「こんなに綺麗な星なんだから、きっと綺麗な子なんだろうな」
二人はそうささやき合って、期待を高めた。
さて、何処から降りよう。
そう二人が考え始めた時だ。
どこからか声が聞こえてきた。
『星の裏側の真ん中の端にある小さな緑を目印にして降りてきて……』
「星の裏側の」
「真ん中の端の印だって」
二人は頷いて旋回した。それからくるりと裏側へと回る。
「さっきの声、綺麗な声だったね」
「謳うような声だった」
快斗とキッドは、どきどきとした期待感に胸膨らませながら、緑の目印を目指して急降下した。
熱泥が、まるで波のように荒くれだっている。
「溶岩の海だ」
キッドがぽつりと呟く。
濃い蒼い色をした星の内部は、真っ赤に爛れていた。
「触れたら、きっと火傷するね」
「死ぬよ、きっと」
だから、声は聞こえたのだ。
闇雲に入ってくると、この溶岩の波に飲み込まれると、この星人が教えてくれたに違いない。
緑の印の下は、本当に緑に覆われていた。そこだけが、穏やかな新緑の世界。
星人の居住区だ。星自身が成長する間、星人は、こうして一部分を住み良い土地に変えて生きる。もちろん、快斗もキッドも同じように施して住んでいる。
緑の大地に二人は降り立って、ぐるりと周囲を見渡した。
「何もないね」
「……見て。あそこに家が建ってる」
先にそれを見付けたのは快斗だった。指さす先に、小さな家が見える。きっとあそこに居るに違いない。
二人はふわりと浮かんで、一瞬の内に家の前に辿り着いた。
二人は一緒に呼び鈴を鳴らし、わくわくしながら、扉が開かれるのを待った。
「はーい」と、軽やかな声が聞こえて、扉はすぐに開かれた。
出迎えたのは、妙齢のとても綺麗な人だった。
「あら、可愛いお客様ね」
彼女はにっこり微笑むと、二人を家の中に招き入れる。
快斗は、少しだけがっかりした顔を見せた。
「おっきなお姉さんだ……」
同じくらいの年の星だと思っていたのに……。しかし、落ち込む快斗にキッドは言った。
「違うよ。この人は流離人だ。大きな羽があるよ」
『大きなお姉さん』は、にこりと笑って彼等の前に膝をついた。
「あなた達は、近くに生まれた真珠星の双子さんね。……本当に、そっくり」
「お姉さんはここに住んでいるの?」
快斗が尋ねると、彼女は首を左右に振った。
「いいえ。私は、ここよりも少し離れた大きな水色の星に住んでいるの。今日は、新ちゃんの様子を見に来たのよ」
でも、こんな可愛いお客さんが来るなんて、びっくりだわ。 彼女はそう言って微笑む。
「新ちゃん……?その子がこの星なのですか?」
キッドがそう訊くと、彼女は頷いた。
「そうよ。私の可愛い息子。私は、新ちゃん……いえ、新一のママなの」
彼女……有希子の言葉に、二人は驚いた顔をした。目を丸くして、二人顔を見合わせた。
「ママって、ママって……お母さんの事?」
「星は星を産めないよ?だから、私達には親は居ない」
二人でひそひそと語り合っている姿を、有希子は穏やかに微笑みながら聞いていた。
「そうね。私達は、ヒューマノイドのように子を産むことは出来ないわ。……でも、新一は紛れもなく私と優作の子よ」
二人が文字通り、命を懸けて生み出した星。それが新一だった。
「ねえ、新一には会えないの?オレ達、新一に会いに来たんだ」
待ちきれなくなった快斗がそう言うと、有希子は少し困った顔になった。
「ごめんなさい。新ちゃんはね……まだ起きていないの」
思いかけない言葉に、二人は肩を落とした。……まさか、目覚めていないとは思わなかったのだ。
「でもね、もし、眠ったままの新ちゃんで良かったら……見る?」
もちろん、二人は一も二もなく頷いた。
屋敷の奧は、とても広い空間だった。何もないその真ん中にぽつんとベッドが置かれている。
「静かにね」 と有希子に注意されて、二人はそっと室内に足を踏み入れた。
そろりそろり歩いて、ベッドの側に近付いて、そっと顔を覗き込む。
そこには、二人とほとんど年の変わらない姿をした新一が、すやすやと寝息をたてて眠っていた。
「良かった……オレ達と同じくらいだね」
快斗がにっこり笑って言った。キッドも頷く。
「何時になったら目が覚めるのですか?」
そっと有希子に問いかけるが、彼女は少し困った顔して首を傾げた。
「それは、判らないわ。普通ならもうそろそろ目が覚めても良いはずなの。新一はね、あなた達より、ほんの少し早く生まれたから、本当はこの子の方が先に目が覚めても良いはずなのよ」
だけど、彼は一向に目覚める気配は無かった。
「明日目覚めるかも知れないし、……もしかしたら、千年後になるかも知れないわ」
有希子の言葉に二人はがっくりと肩を落とした。
「でもね。目が覚めたら、ちゃんと教えてあげるから。その時は、この子とお友達になってあげてね」
母親らしいお願いに、二人は当然請け負う。
「ねえねえ、またここに来ても良い?」
「もちろん」
有希子はそう応えて、三人は寝室を後にした。
それから、二人は事ある毎に、蒼の星に訪れた。
母親である有希子は、いつもこの星に居る事はなかった。大抵、新一は一人で屋敷に眠っている。星人なら、それが普通だ。快斗もキッドも、ずっと一人で星を守り続けている。
しかし、新一は何時まで経っても、目覚めない。
百年、千年、万年……根気よく二人は蒼の星を訪問したが、いつも出迎えるのは、眠ったままの新一だった。
「……どうして、新ちゃんは目覚めないのかしら」
最近は有希子も心配で、今までになく頻繁に様子を見に訪れていた。
まだまだ子供ではあるが、子供なりに成長した快斗とキッドは、この頃はもう一人で行動する事の方が多く、その日有希子と運良く出会えたのは、キッドだけだ。
眠ったまま、自分と同じくらいに成長している新一を見つめ、未だ目覚めぬ彼に小さく落胆する。
「やっぱり、眠りの星の王子さまを目覚めさせるには、お姫さまのキスが必要なのかしら」
真剣な顔して、冗談めいた事を言う有希子に、キッドは目を瞬かせる。
「えっと……この辺りだと、青子と、蘭さんと……」
近くの星人を数え上げるキッドに、有希子は思わず吹き出す。
「いやねぇ、冗談よ。本気にしないで」
くすくす笑いながら言われ、キッドは暫く呆けた顔になった。
正直、お姫さまのキスで目覚めてくれるのなら、近くに住む女の子を無理にでも連れて来るのに。
からかわれた事に憮然とした表情で有希子を見ると、彼女は特に怯む風もなくにこにこ微笑いながら、さっさと寝室を後にする。残されたキッドは、大きく肩を竦めると、ベッドを覗き込んだ。
……もう、何度この地を訪れただろう。
毎回毎回、やって来ては、目覚めていない新一と対面し、肩を落として帰途につく。そんな事にも、もうすっかり慣れてしまった。
寝顔はとてもあどけなくて可愛くて、……だけどキッドは、未だ一度も彼の瞳を覗いた事はなかった。
「新一は……どんな色の瞳をしているんだろう」
この星のような深い蒼色だろうか、それとも、髪の色のような漆黒の色。新緑のような緑色も似合うだろう。……どんな色をしているのかキッドには判らない。
けれど、きっととても澄んだ色をしているに違いないと、そう思う。
「お姫さまの、キス……か」
何となくそう独語し、苦笑した。
それから、ふいに表情を改めると考え込んだ。……思考が突き進んで行って、大きく広がっていく。
「王子さまのキス……じゃ、駄目か?」
ふと、眠り王子の寝顔を見つめた。その薄く開いた口唇を確認すると、キッドの身体はどんどん新一に引き寄せられていく。
ベッドの脇に跪き、穏やかに眠り続ける新一を覗き込む。
僅かに震えている新一の口唇は、まるでキッドを誘っているように見えた。
だから、少しだけ。ほんの一瞬だけ。ちょっと触れるだけ。
キッドは、そんな言い訳を頭の中でくるくると回しながら、その薔薇色に色づいた艶やかに口唇に、自分の口唇でそっと触れた。
その瞬間、今まで感じた事の無かったような、甘い痺れがキッドの全身を通り抜けた。
ぴりぴりと、口唇が震えてる。
どきどきしながら、一瞬の口づけは終わった。
顔を上げて、僅かに上気したまま、新一を見つめる。
「……」
穏やかな寝息は乱れる事なく、新一は眠っている。
「……やっぱり、無理か」
元々期待していなかったから、大きな落胆などなかった。それよりも、一瞬触れ合わせただけの口唇が、あまりにも甘くて、それだけでキッドは満たされてしまっていたのだ。
暫くの間、眠り続ける新一を見つめ、キッドはゆっくりと立ち上がった。
少し恥ずかしくて、キッドはいつもよりほんの少しだけ歩調早め、寝室を出る。
そのまま真っ直ぐに屋敷を飛び出し、星を後にした。
王子さまのキスに、すぐに反応しなかった新一だが、キッドが星を飛び立った直後、彼はゆっくりと瞼を開き、そして目覚めた。
だから、彼がいつものように、もっとゆっくりとしていれば、新一の目覚めの瞬間に立ち会えたのか知れないが、些か不埒な行いをしてしまったと自覚しているキッドにとって、それは仕方のない事。
眠りの星の王子さまを目覚めさせたのは、王子さまの口づけ。
それは、神様だけが知っている、秘密のキスだった。
柔らかな香草の一部を剥いで、土を耕す。それは、新一の星の力で全て行われた。
しかし、種蒔きはキッドと二人で、手ずから行った。
遠い辺境の星人から送られてきたフラックスの種。
今まで全てが新緑色をしていたこの丘に、新たな色が彩られる。
「フラックスの種の事をリンシードって、言うんですよ」
小さな丘の一部分と言っても、端から端を歩けば相当な時間が掛かる。そんな広い花壇に、丁寧に種を蒔きながらキッドが言う。
「花が咲くまで、約100日掛かるらしいですよ」
「生き急ぐんだな」
「草花とは、そういうものです」
自分達とは種が違う。
「たかが100日と言っても、その1日1日が、私達とは比べようもない大切な時間なんですよ」
下手すれば100億年は生きようとする星人から見れば、100日なんて、ほんの瞬きする間にも満たない。
しかし、そう言ったキッドに対して、新一は僅かに顔を曇らせた。
「……オレだって、1日1日を大切している」
「新一?」
声を落とした新一に、キッドは怪訝に眉を寄せる。
「毎日が大事で……。昨日、キッドが来なかったの……寂しかった」
ぽつりと呟く新一に、キッドはびっくりして、慌てて駆け寄った。
「すみません、昨日はちょっと所用で……」
「オレは、どんどん贅沢になっていく」
言い訳めいたキッドの言葉を制して、新一は顔を上げた。
「今までだって、滅多に会ってなかったのに、その時は平気だったのに……お前が、ここに来てくれてから、毎日のように会いに来てくれるから、オレはそれに慣れて……」
贅沢になってしまったと、そう言って、情けない自分を叱咤するかのように頭を振る。
「そんなオレって……ものすごく我が儘だ」
「新一……!」
キッドはそんな新一がたまらなくなって、思わず腕を伸ばした。そして、強く抱きしめる。
手の中のリンシードが、ぱらぱらと地面に零れた。
「私も、毎日が大切です。貴方と共に過ごせる時間はとても貴重で……何時でも一緒に居たい」
「こんなに何時も一緒にいるのに……?」
同じ星に居るのに?こんなに近くに住んでいるのに?
それでも、まだそれ以上を求めてしまうのは許される事なのだろうかと、新一は言う。
「許されます。……だって、それは私も望んでいる事ですから」
キッパリと告げるキッドに、新一は、ほっと肩の力を抜いた。
「そうか」
「はい」
「うん」
良かった……。と、安心したように呟いて、新一はふわりと微笑んだ。
そんな新一が眩しくて愛しくて、キッドはその口唇に、そっと口づける。触れ合った場所が、一瞬熱くなった。
「……初めてだ」
口唇が離れて、暫くじっと動かなかった新一が、ふいに放った言葉。
キッドは、言葉の意味を掴み損ねて首を傾げる。
「新一?」
「キッドから、こんなキスしたのは、初めてだ」
「え……そうでした?」
言われてみれば、そうかも知れない。
新一にとってキスとは、親しい間柄で行う挨拶であり、訪問者の出迎える儀式とばかりに、いつも抱きしめてキスをするのは新一の方だ。
考えてみれば、会った時以外で、互い触れる事など無かったと、今更ながらに振り返る。
しかし、ふと思い出す事があった。
それ程遠い昔の事ではない。けれど、最近でもない。新一が眠りと目覚めの狭間に漂っていた頃。
「そう言えば……前にも一度、私からした事ありますよ」
眠りの星の王子さまを目覚めさせたのは、王子さまの口づけ。
それは、キッドだけが知っている、秘密のキス。
「……嘘だ。オレ知らねーぞ」
はっきり断言する新一に、キッドは少し可笑しくなった。
あの時は、後ろめたくて、恥ずかしくて……だけど、今は微笑ましい思い出。
「貴方が覚えていないだけですよ。……それも少し寂しい事ですが」
ほんの少しの悪戯心で、そう軽くからかうと、新一は嫌そうに顔をしかめる。
「何だよ、いつそんな事した?……教えろよ」
むっつりと不機嫌に訊いてくる新一に、キッドは益々おかしくなる。
新一に覚えがないのも無理はない。
「そうですね、機会があれば、お話しましょうか」
微笑むキッドに、新一は少しだけ頬を膨らませて……それから小さく溜息をつく。
今の幸せがあれば、こんな事など大した問題ではないと、心の中で言い聞かせて。