星の伝説






急激な気温の低下に植物は耐えた。
みぞれ混じりの雨は、半日で回復した所為もあるだろう。元々、冷涼な気候を好む植物でもある。新一は、上空から花畑を一望して、安心したように吐息を吐き出した。

100日なんて、あっと言う間だ。遠い辺境からやってきた花の種は、もうすっかり生長し、所々に淡い蕾を付けている。
「植物の管理なんて、結構簡単なもんだな」
新一は、そんな事を呟きながら、上空をふわりと旋回する。

気温調節と水分散布、そして多少の肥料さえ施せば、ある程度の植物は健やかに生長してくれる。気候を自由に調整する事が出来る新一にとって、植物を育てるのは容易な事ではある。……忘れることなく世話をすれば、の話だが。

新一が、空中に設えられたハンモッグに揺られるようにして宙に漂っていると、すぐ近くに人の気配を感じた。
案の定、新一の大好きな流離人が、隣りでふわふわ浮いていた。
「キッド」
「珍しい、こんな所に居るなんて」
穏やかに微笑いながらキッドが言うと、新一は少しふてくされた顔を見せた。

「花の生長具合を確かめに来たんだ」
「……そうでしたか」
今まで一人で来た事など無かった事をキッドは知っている。しかし、それには敢えて触れずに、相変わらず穏やかな笑顔を崩しはしない。

「もう少しで開花ですね。……で、どうします?」
「……何が?」
「繊維を取り出すには、開花直後の花の茎を刈り取らなければならないのですよ。もし、そうするのであれば、そろそろ業者に手配を掛けなればなりませんから」
フラックスは、リネンの原料だ。流石に自分達では仕上げる事まで出来ない。……力を用いれば、新一なら可能かも知れない。が、彼はあまり手先は器用ではないので、やらせようとはキッドは思わなかった。当然、力のないキッドは論外だ。
だから、業者に頼んで刈り取りから製繊、糸つむぎ、織り、縫製と一環して任せようと考えているのだが、そうなると、早々に手配しなくてはならない。
植物など、あっと言う間に咲いて散ってしまう。時期を違えれば、元も子もなくなる。

しかし、そうすると満開の花畑は断念せねばならなくなる。
「……花が咲くのは楽しみだ」
新一の言葉も尤もだ。
「そうですね」
キッドは素直に頷いた。

「此処が、蒼く染まる風景も見てみたい」
「私もそう思います」
さあっ、と爽やかな風が吹いて、新一の身体がふわりと揺れ流れた。それをキッドが腕を伸ばして引き留めて、静かに胸の中に抱く。
新一は素直にその中に収まった。口元が微笑んでいる。

「でも、この花は短命ですよ。朝早く咲いて、昼前には萎んでしまいます。……夜更かし好きの貴方に、早起きできますか?」
「ばーろー。……お前が起こしに来てくれれば、可能だ」
不遜に言い放つ新一に、キッドは可笑しくなる。

「なら、今回はこのまま満開を迎えさせましょう。その後種を収穫して、繊維を取るのは次回と言うことで」
キッドの提案に、新一は満足気に頷いた。











一人で幸せそうに、ベッドの中で丸くなって眠っている新一の頬がぺちぺち叩かれた。
暫し嫌がるように、もぞもぞ抵抗らしきものを見せていたのだが、相手がだれであるかを認識すると、ぱっと目を開いた。

「新一、朝です。起きましょう」
にこにこ笑いながら、目の前にはキッドが新一を覗き込んでいる。
新一は二三度目を瞬かせてから、がばっと身体を起こした。

「おはよう、新一。目は覚めましたか?」
「……覚めた」
新一は、あまり寝起きはよろしくない。しかし、朝一番にキッドの顔が見られて、実はとても機嫌が良かった。
朝から会いに来てくれるなんて、考えてみれば今まで一度も無かった事なのだ。
それは、もちろんキッドが新一の睡眠の邪魔をしないが為であったのだが。

「おはよう、キッド」
新一は改めてそう朝の挨拶をする。キッドも、それに応えて、もう一度おはようと言った。

「今日辺り、そろそろフラックスが満開だと思いまして、誘いに来ました」
起きだし、素早く着替えた新一は、何百年振りかの朝食の席に着いている。
キッドが用意した朝食は、焼きたてのトーストと野菜サラダ。そしてフレッシュジュースだ。新一は、嬉しそうにそれらにかじりつく。
「一緒に朝食を摂るなんて、新鮮ですね」
キッドは嬉しそうに言って、サラダの中のプチトマトを食べる。新一は、こくこく頷きながら、バターのたっぷり塗られたトーストをかじっている。
「何か、まるで一緒に住んでるみてーだ」
「……一緒に朝を迎えた感じですね」
「うん」
食べる事に忙しい新一はそう頷いて、ジュースを喉に流し込む。爽やかな柑橘系が喉に心地良い。
キッドは、そんな新一を愛おしそうに見つめながら、己の幸福をかみしめる。

昔、呆れるくらい新一の寝顔を見つめてきたが、こんな風に起こしたのは初めてだった。
あの時は、起こさぬように、自らが目覚めまで静かに静かに見守っていた。……それは、当の新一には与り知らぬ事だが。



そんな、新鮮で幸福の朝食を終えると、二人はようやく戸外へと飛び出した。
新一が望まぬ限り永遠に、穏やかな暖かさと、爽やかな風を運ぶこの丘も、太陽の動きまでは制御出来ない。朝の空気は、朝にしか味わえず、久方ぶりのその空気を、新一はおもいっきり吸い込んだ。
「早起きも、なかなか気持ち良いでしょう?」
「……惰眠を貪るのも、なかなか堪んねーけどな」
そう言いながらも、新一は朝の陽の光をたくさん浴びようと大きく伸びをする。
そうして、二人は暫くの間、朝の空気を堪能した後、ふわりと飛んで花畑へ向かった。


フラックスの種は、丘の丁度真ん中を縦断するように蒔いた。
丘の南の端に新一の家。反対側、北の端にはキッドの家。その真ん中、西の端から東の端まで、ずっと種を蒔いたその花畑は、今が一番の盛りだと言うように蒼色に広がっていた。
これだけ広大だと、地上から全てを観賞する事は出来ない。二人は、いつものように上空から、その美しい蒼を眺めることになる。

「ああ、とても上手い具合に開花しましたね。どこもかしこも蒼色が広がっていて……綺麗です」
「凄い……ここまでくると壮観だな」
二人は、花の上をなぞるように、ゆっくりと飛んだ。西側から東側へと、丘が切れる所まで咲いた花は、延々と続く。

「佐藤さんに、足りなくなった分の種を送って頂いて正解でしたね」
キッドは満足そうにそう言って、隣を飛んでいる新一を見やる。新一は、蒼い5枚の花弁にそっと触れては、ふわりと上空に舞い上がり、その風景に見入っては、また花の近くまで降りて、しげしげと蒼い花を観察している。

「気に入りました?」
「ああ」
新一は嬉しそうに頷いて、また空高く舞い上がる。キッドもそれに続いて上空へと駆けた。

丘を一望出来る所まで上昇し、二人はそこで仲良く並んで留まった。
眼下には、フラックスの花は、真っ青な色のみを残して、丘を縦断している。

「新一、ここから見ると……まるで一本の川のようですね。緑の丘に真っ直ぐに伸びる河のようで、素敵だと思いませんか?」
新一に同意を求めるように話しかける。しかし、新一は、じっと眼下を見渡し、小さく息を吐いた。
「新一……?どうかしましたか?」
何となく、先程までとは少し表情が優れない顔をしているような気がして、キッドが気遣うように声を掛けた。
まさか、ここまで昇ってきた所為で疲れた訳でもあるまい。

新一は、見下ろしていた視線をキッドに向けると、寂しそうな……切なそうな顔を見せた。
「新一、どう……」
「この花、今から製繊間に合うかな?」
唐突にそう問われ、キッドは戸惑う。
「そう……ですね。多分、大丈夫じゃないでしょうか。業者の都合がつけば、すぐに刈り取って……」
突然の新一の気持ちの変化に、キッドは不思議に思った。

「全て刈り取ってしまっても良いのですか?」
キッドの問いに、新一は一瞬躊躇うような仕種を見せたが、すぐに頷いた。……しかし、どうもキッドには解せない。
さっきまで、興味深そうに花を観察したり、その蒼く広がる風景を楽しそうに観賞していた新一が、一転したのだ。しかも、キッドが見る限り、どうして突然心変わりしたのか判らない。
キッドは、新一の事がとても好きだが、彼の心の内までは見通せないのだ。

「ねぇ、新一。一体、どうしたんです?先程までは、そんな素振り、露ほどにも見せては居なかったではありませんか」
「……キッド」
「私は、別に新一を責めてはいませんよ。亜麻は良い生地になるし、そうする事に反対はしません。……ただ」
ふと口を噤むキッドに、新一は再び眼下の花畑を見つめた。

「佐藤さんに、聞いた話……思い出した」
「佐藤さん……?」
新一は頷く。


新一は、キッドに会う為に、暫くの間、辺境の惑星に滞在していた。そこは、美和子の星。新一は彼女の世話になった。
そこで、彼は短くない間過ごした。そんな新一の相手をしてくれたのは美和子で……時折、他愛のない話をしてくれた。
「あの辺りの昔話……伝説っていうのかな。そんな話を色々してくれたんだ。ヒューマノイドが創作した話が主だったんだけど、その中に星の話というのがあって……」
「星の……私達の話ですか?」
新一は、キッドに視線を合わせる事なく頷くと、彼女から聞いた伝説を話し始めた。

その昔。織女という、良く働く美しい娘が居た。彼女は、機織りの名手で、脇目も振らずに働く姿に感心した父親が、一人の青年と引き合わせた。
彼も、大変働き者で、名を牽牛と言う。二人は、たちまち恋に落ち、互い以外は目に入らなくなってしまう。

「織女と牽牛は、仕事を忘れ、二人で楽しい時を過ごしていた。だけど、怠け者になってしまった二人を見た父親が、二人を強引に引き離してしまうんだ。大きな川の両岸に……」
そこは、橋もないから渡る事も出来ず、二人は引き離されて過ごすことになってしまった。
「その話が、どうかしたのです?」
「……何か、似てるなと思って」
「似てる……」
新一の言葉の意味を知ろうと、キッドは視線を眼下に向ける。新一は、相変わらず寂しそうな顔で見つめている。

「お前、今さっき……この花畑を川のようだと言っただろう?」
「はい……」
「オレもそう思う。まるで天に掛かる川。あそこに織女、そしてあっちに牽牛……」
新一の示す指の先には、小さく見えるそれぞれの屋敷の姿があった。

「この川に阻まれて、二人は会う事すら出来ない。……だからこんな川、無くしてしまおう」
沈痛な面持ちで、そう呟く新一。しかし、キッドは彼の話を聞いて、思わず笑みを浮かべた。

キッドもその話は聞いたことがあった。銀河系で流れる小さな星物語。しかし、現実には全て架空の物語だ。
何故なら、織女も牽牛と呼ばれる星も飛ぶことが出来る。あの辺りは隕石が多く散らばっていて、確かに飛びにくい場所ではあるが……現に彼女は何度と無く彼との逢瀬を重ねていた。
織り姫、などと呼ばれている彼女は、実に有名な織り手である。と同時に、行動力抜群の快活な女性でもあった。
そんな彼女の事をキッドが知っているのには、もちろん理由がある。彼女とは、過去に何度と無く会った事があったのだ、美和子の屋敷で。

彼女達は、とても仲が良かった。頻繁に互いの星を行き来する程に。


新一は、そんな彼女の事は知らないようだ。……それとも、物語の織女と現実の彼女をつなぎ合わせていないのか。

「彼女は、とても行動力のある女性ですから、この程度の川を飛び越えられない筈はないのですが……それで気が済むのであれば、今すぐに手配して刈り取りに来て貰いましょう」
楽しそうに話すキッドに、新一は複雑な表情を隠さない。
「ついで、と言っては何ですが、織りは彼女に頼みましょう。あの人は単に趣味で織っているだけですが、佐藤さんの口添えがあれば、きっと快く請け負ってくれますよ」
そこまで言われて、ようやく新一は頭を上げた。

その両眼には、不思議そうな色を湛えている。
「彼女って……?それに、佐藤さんって……」
一体、何処からそんな話に飛んでしまったのだろう。新一は、悲しい物語の話をしていた筈だ。そんな新一に、キッドは小さく微笑んだ。

「だから、織り姫の話ですよ。……糸を紡いだら、それを生地に仕上げなくては。どうせならば、有名な織り姫に頼みましょうと、そう言っているのです」
「織り姫って……本当に居るのか!?」
人間の作った創作物だと、新一は美和子から聞いていたのに。……まさか、実在するとは思わなかった。驚く新一に、キッドは楽しそうに笑った。
「物語の彼女は、とても働き者で健気な女性ではありますが、現実の彼女は、趣味で機織りをしているだけです。それに、牽牛とは只の友人で、恋人同士でもありませんし……」
「そ、そうなのか?」
「彼女の織りは、素晴らしいですよ。只、趣味で嗜んでいるから流通はしていません。なので、余計に彼女の作る織物に希少性が増すのですが。……何せ彼女は星人ですから、無理に仕事を持つ必要もありませんしね」
星人の仕事は、自らの星を成長させるのものであって、他に仕事はしないものだ。当然、新一自身も職業を持っていない。
反して、星を亡くした流離人は、仕事を持つ。その職業は様々で、郵便配達や宅配人もその中の一つ。そう言った仕事は、全て流離人が行っている。
宇宙社会は、全て流離人達で取り仕切られていると言っても過言ではない。

「で、でも、それなら、彼女に頼むのは無理なんじゃないのか?」
「佐藤さんのお友達だと言ったでしょう?元々、亜麻を送ってきたのは彼女ですし、案外そこの所も見越していたかも知れませんね」
これで話はついた、と言わんばかりに手を打って、キッドは新一の手を取った。

「それにしても新一って、思った以上にロマンチストなんですね。そんな他愛のないおとぎ話と重ねるなんて。でも、もし織り姫がこの事をを聞いたら、きっとそんな風に自分達を思って、儚んで貰えた事に感激するでしょうね」
掴んだ手をきゅっと引っ張っるキッドに、新一は曖昧に微笑む。


そうではないのだ。 と、新一は思った。
別に、この風景を織女と牽牛になぞったのではなくて……そうではなくて。

二人の物語に、新一とキッドを重ねてしまっただけなのだ。
まるで、川に阻まれたように、丘の両端に建つ二人の家。
仕事を放り出して、毎日仲良く逢瀬を重ねていた織女と牽牛は、今の新一とキッドのようで、いつまでもこんな風に一緒に居られなくなってしまうかも知れないという、淡く悲しい予感。

「新一……?」
どうかした? と、再び鬱ぎ込んだ新一に、キッドが気遣うように声を掛ける。

「何でもない」
何かを吹っ切るように頭を振って応えると、新一も彼の手を強く握りしめた。


こんな考えは杞憂に過ぎない。取り越し苦労って奴だと、新一は思い直した。
……この幸せが、ずっと続くと信じてる。










END








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2007.07.04
Open secret/written by emi

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