2002年12月に東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸されました。
と同時に東北本線の盛岡〜八戸間が第三セクターIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道になって、運賃がバカ高くなりました。どのくらい高いかというと、東北新幹線の運賃+特急料金とわずか200円か300円しか変わらない運賃なのです。
ぼくはこれらの路線にはあまり急いで乗らないことにしようと思っていました。
どうせ走り始めは混雑するし、ウィークエンドフリーきっぷみたいなきっぷもないのであまり乗りたくないと思っていたのです。
ところが、おそろしいきっぷが発売され、3月に使えることがわかりました。
「JR東日本パス」というきっぷです。
詳細はリンクの「東日本」にリンクされているJR東日本パスの説明を参照してください。
さて、2日間12000円、おもにJR東日本の新幹線を含む特急乗り放題というきっぷを知って、なんとかしてこのきっぷを使おうと思いました。
そう言えば去年10月の旅で、新花巻駅近くの宮沢賢治の記念館に、バスが1時間なくて行けなかったっけなあと思い出しました。もしあれからバスの時刻が変わっていなければ、ちょうどの時刻に着くやまびこに乗れば宮沢賢治の記念館に行けそうです。
それから、山形新幹線の山形〜新庄間にも乗っていないので乗ることにしましょう。
これでぼくはロープウェイやリフトを除く日本の鉄道にすべて乗ったことになります。
泊まりは八戸で泊まることにしましょう。そう考えてこんな行程を考えました。
・(1日目):東京→新花巻(バス)宮沢賢治記念館(バス)花巻→盛岡(IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道)八戸(泊)
・(2日目):八戸(はやて)盛岡(こまち)大曲→新庄(つばさ)東京
よし、これで行こうと思い、八戸の宿を取りました。もより駅は本八戸なので八戸から八戸線で行けばいいわけです。
JR東日本パスも無事買えて、あとは3月を待つばかりとなりました。
その後、病院で旅行の日に予約を入れられそうになってあわてて別の日にしてもらったりしているうちに出発の日が来て、東京駅に向かったのです。
3月の土曜日の朝、ぼくは東京駅へと向かった。
以前ウィークエンドフリーきっぷを使っていたころは、いつも朝一番の新幹線を使っていたものだった。しかしきょうは目的地が新花巻なので、朝一番でなくてもいい。
余裕をもって東京駅にやってきた。もっともきょう使えるJR東日本パスは指定席に4回使えるものだから、朝一番でもすわろうと思えばすわれるようだが。
中間改札にJR東日本パスを見せ、やまびこの指定席の場所に行く。入線してきた。自由席の時と違い、急がずに席に行ってすわる。かなりいっぱいになったところで発車だ。自由席と違って通路がいっぱいにならないところがいい。
しばらく眠る。新花巻までは時間があるのでぐっすり眠っても大丈夫だろう。
起きると仙台を過ぎていた。相変わらずトンネルの多い景色を見ながらやまびこは北上を過ぎ、目的地の新花巻に到着した。やまびこを降りる。どこにでもあるような各駅停車用の新幹線駅である。
JR東日本パスを見せて改札を通り、去年10月にも来た宮沢賢治の資料館行きのバス停に行く。資料館行きの発車時刻は・・・良かった。10月と同じ時刻だ。それほど待たずにバスがやってくるということだ。ぼくは待つことにした。
同じように資料館に行く人たちが集まっては来たものの、10人ほどしかいない。バスがやってきた。全員すわれそうだ。そして出発。
バスは釜石線の踏切を渡り、南に進んでいく。森の中に入っていく。
そして森の中の道のあるところで右にぐぐっと曲がり、急な上り坂をのぼっていった。
かなりのぼったところで資料館らしき建物が見え、バスが到着した。ここが宮沢賢治の資料館である。半年ぶりにようやく到着できた。まずは入ろう。
10月に来た賢治詞碑でも案内されていたが、宮沢賢治は40になる前に亡くなってしまったので生涯の歴史は短い。そんな一生のことがいろいろ展示されていた。
意外だったのは、なんでも宮沢賢治は肥料の調合(設計)なども手がけていたということだ。だから窒素・リン酸・カリの割合を示した数字3つの並び方がそこここに展示されており、これは宮沢賢治が設計した肥料だと説明があった。
それから知っている人は知っていることだが、宮沢賢治の文学作品のほとんどは死後発表されたもので、生前に発表されたのは「注文の多い料理店」をはじめとしたわずかな作品だけだとのことである。
ある部屋にはいると、その「注文の多い料理店」が男の声で朗読されていた。料理店に入ったがいつまでたっても料理が出て来ず、客が料理されるんじゃないかと思ってあわてて逃げる話である。
そんなふうにして、客もまばらな資料館を見て回る。交通の不便なところにあるので、客も少なく静かでいい。
建物を出ると、バスが着いた場所とは別の、歩行者用の下り坂の道が続いているのが見えた。緑の多い森の中の道である。
ずっと進んでいくと、なんとバスが登り始めた上り坂のふもとに出てしまった。ありゃ、どうしよう。また登らないとバスに乗れないのかな。
しかし良く見ると、停留所があった。どうやらここでもバスに乗れるようである。ここからだと新花巻に戻るバスもあるが、花巻に行くバスもあり、そっちの方が早く来るようだ。よし、帰りは花巻行きに乗ろう。
同じように待つ人がいる。そして花巻行きのバスがやってきた。この旅行で唯一の観光スポットがここなので、あとは帰り道である。
もっとも最大の目的ははやてに乗ることだから、実は宮沢賢治資料館の方がついでなのかもしれない。さあ、花巻行きのバスに乗ろう。
宮沢賢治の資料館の下の道のバス停からバスに乗る。バスは花巻駅に向けて進んでいく。
のどかな田舎道をバスは進んでいく。花巻は市街地はそれほど広くなさそうである。
曲がりくねって進んだところで市街地が南西に見えてきた。宮沢賢治の資料館は花巻駅よりまっすぐ東というわけではなく、やや北東寄りのようだ。
バスは花巻駅に到着した。ここで降りる。このバスは花巻止まりでなく、もう少し先の市街地寄りまで行っており、その方が飲食店とか多いのは去年の10月の旅で経験済みなのだが、きょうは駅の売店でパンとか買って昼食にしようと思っている。
売店でパンと飲み物を買う。そして待合室で食べる。盛岡行きの普通列車まではそれほど時間がないのでこんなものでいいだろう。そしてJR東日本パスを見せて改札を通り、盛岡行きのホームに行く。
電車がやってきた。相変わらずオールロングシートの電車である。まあ、すきま風が入ってくる古い車両よりはずっと良い。電車は発車し、午後の岩手県を走っていく。
さて、これからはじめて「IGRいわて銀河鉄道」に乗るのだが、乗り換え時間がそれほどない。無事盛岡駅で時間内に乗り場を見つけられるか心配だなあと思う。そして定刻通り電車は盛岡駅に到着した。
IGRいわて銀河鉄道への連絡通路があるかと見てみたが、そんなものはなさそうだ。しかたない。いったん改札を出よう。東側の改札でいいだろう。
階段を上がっておりて東側の改札にJR東日本パスを見せて通った。ぼくはIGRいわて銀河鉄道への案内を探してみた。
花巻から乗ってきた電車を盛岡で降りて、JR東日本パスを見せて改札を出る。さてIGRいわて銀河鉄道の改札はどこだろう。
案内によるととても北の方らしい。JRの改札から数十メートル北に行ってようやくそれらしい改札を見つけた。手前には自動券売機がある。
とりあえず千円札3枚を自動券売機に入れ、一番右のボタンを押す。たぶんこれで八戸まで行けるだろう。出てきたきっぷを改札に見せてスタンプを押してもらって通る。電車はすぐ近くにあった。
それにしても、確かこの位置って、8年前にぼくが山田線に乗った時、山田線のディーゼル車が盛岡駅に着いた場所ではないか、と思い出した。ということは、山田線と八戸行き電車のホームの位置を交換したのかな、と思った。
花輪線もIGRいわて銀河鉄道のホームから出るようだし、田沢湖線は標準軌ホームからしか出られない。一ノ関方面の電車の本数なんてたかがしれているし、ということは盛岡駅のホームって今けっこう余っているんじゃないかと思った。在来線特急はもう北斗星くらいしかないし。
それはともかく電車に乗る。電車の中身はいつものロングシートの電車だ。もちろんドアの開閉ボタンもある。そしてけっこうな混雑である。なにしろこれしか電車がないのだから仕方がない。これに乗らなければ自家用車に乗るしかないのだ。実際IGRになって運賃が上がったから自家用車を買ったなんて人も多いのではないか?
電車は発車する。すぐそばに新幹線の高架が見える。新幹線としばらくは寄り添う形でIGRいわて銀河鉄道は進んでいく。
客は学生が多く、数駅で降りてしまう客が多い。どんどん客の数は減っていく。新幹線もそのうち近くには見えなくなる。
でも景色は東北本線だった時のままで、特急はつかりに乗った時に左右にカーブしながら進む景色のままである。そうだ、もうはつかりってないんだっけ。
駅名標がJRと違うことに気がついた。なんだか以前に乗ったのと鉄道の駅名標に似ているなあと思った。必ずJRと違うふうにしなければならないのかな、と思った。
夕方の景色の中、一戸に着くとかなりの客が降りていく。IGRいわて銀河鉄道になっても県境では客がほとんどいなくなるのだ。
そんなふうにしてロングシートの電車は進み、小高い山に囲まれた目時(めとき)駅に到着した。
あれ?目時の駅名標ってJRと同じだ。
青い森鉄道は駅名標を塗り替える手間を惜しんでそのままにしているのかな、と思った。いずれにしても、IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道はいろいろ方針が違うのだろう。そんなふうにしてなおも電車は八戸に向けて進んでいく。
電車が目時(めとき)駅を過ぎても、似たような山の見える風景が続いた。もうすぐ日が暮れる。
お客は盛岡を出発した時に比べてだいぶ少なくなっている。まあこんなものなんだろう。JR時代とほとんど同じ列車が走る。
しなの鉄道は走り初めはJRの列車がそのままの塗装で走っていたけど、青い森鉄道は最初からJRと違う色に塗っている。
青い森鉄道の区間はかなり短く、かなり暗くなったころ、ようやく終点八戸駅に着いた。
うわあ、ピッカピカの駅だなあ。
いったんエスカレーターを上がってトイレに行っておくが、盛岡のIGRいわて銀河鉄道および直通の花輪線のホームが、もともと山田線用だった北東のはずれのホームを使っていて乗り換えが遠いのに対して、八戸は青い森鉄道のホームもほかの在来線ホームと同じ場所から出るのである。
盛岡と比べると、やっぱり便利だなあと思う。
まあ、駅の外や新幹線ホームなどの詳しいことは新幹線に乗るあしたにして、今日は本八戸に行こう。ぼくはエスカレーターをおり、八戸線のホームに向かった。
盛岡から乗ってきた電車を八戸(はちのへ)で降り、トイレに行って鮫(さめ)行きのディーゼル車を探す。盛岡から乗ってきた電車と同じホームにあった。
八戸線に乗るのは9年ぶりだ。9年前にどんな列車に乗ったか覚えていないが、なんとなく新しくなったような気がする。夕方なので土曜日でもお客は多い。そのうちディーゼル車が発車する。
列車はいったん八戸周辺の小さな集落を出て、工業地帯っぽい広い場所に出る。工場っぽい建物が見え、遠くには港っぽい場所も見える。
しかし今日の目的地は本八戸なのでそれほど時間もかからずに到着である。ぼくはたくさんの人たちに続いてディーゼル車を降りた。
JR東日本パスを見せて改札を通ったが、この駅は市街地のはずれのようだ。市街地そのものは八戸駅周辺よりもこちらの方が大きいようなのだが、ホテルがある所まではかなり歩く必要があるようだ。まだまだ雪が積もった本八戸駅前から、南に向けて歩き始めた。
ずんずん歩いているうちに、だんだん繁華街に近づいているようだ。こっちに見えるのは市役所っぽい建物だ。なおも歩く。
大通りっぽい道を渡ってなおも進んだが、繁華街はこのくらいのようだ。目指すホテルは見つからないので、公衆電話を見つけてホテルに電話してみた。どうやら横切った大通りを西に進むとあるようだ。なんとかホテルを見つけてチェックインする。
いったん荷物を部屋に置いてコンビニでも探すことにする。弁当を買って戻る。そして弁当を食べて風呂に入る。今日は宮沢賢治の記念館にも行けたしいい1日だった。さあ、あしたはいよいよ新幹線のはやてに乗ろう、と思い、眠りについた。
目が覚めた。よし、無事に起きることができた。
きょうは八戸から盛岡まで新幹線のはやてに乗る予定だ。本八戸のホテルをチェックアウトして本八戸駅に向かう。
やはり雪でぬかるんだ道をなんとか駅まで歩き、JR東日本パスを見せて改札を通る。階段を上がって八戸行きディーゼル車を待つ。やってきた。でも日曜の朝なのであまり客は乗っていない。発車だ。
きょうもさわやかな八戸の平野の景色を見ながらディーゼル車は進んでいく。わずか数駅だがけっこう時間がかかり、それほど大きくない八戸駅の市街地に入っていく。そして終点八戸に到着した。
まずは駅の外の景色をながめておこうと思い、エスカレーターを上がって改札を通った。
さすがに改装したばかりとあってきれいな建物である。本屋があり、コンビニもある。もちろんみどりの窓口もある。あっちにあるのはホテルの入口のようだ。
駅を出てみることにした。海岸側の出口を出ると、階段があり、いちおう市街地にはなっているようだが、本八戸から南に歩いていった市街地ほどのことはない。
それでも駅のコンビニとは違うコンビニがあるようだ。もうちょっと歩いてみよう。
歩いてはみたものの、すぐに畑の広がる景色になる。八戸駅の市街地はあまり広くないようだ。まあいいかとコンビニまで戻り、買い物しておく。さあ、八戸駅に戻ってはやてに乗ろう。
本八戸から乗ってきたディーゼル車を八戸で降り、あたりを散歩して八戸駅に戻ってきた。さあ、まずはJR東日本パスを見せて改札を通ろう。
改札を通ったら中間改札を通る。用意しておいた指定席券とJR東日本パスを重ねて自動改札に通す。無事通った。
中間改札を抜けた先は、新幹線の駅と言うには店もまばらな場所であった。エスカレーターをおりてもけっこう閑散とした場所である。まずは指定席の位置に行こう。
はやてが入線してきた。まだ走り始めてから3ヶ月なので、もちろん車両は新しい。ピッカピカの車両に乗り込む。快適な車両で、盛岡で降りてしまうのがもったいない列車だった。
発車までに多少は客が乗ってきたが、それほどのこともなかった。おもな客は盛岡以降に乗ってくるのだろう。そしてはやては八戸の地上のホームを出発していった。
はやては発車するとスピードをぐんぐん上げ、トンネルをどんどん通過していく。
それはそれは速い新幹線である。なにしろ、東北本線はとても曲がりくねっており、そのせいで特急はつかりでも盛岡から八戸までかなりの時間がかかっていたものだった。
そんな青森と岩手の県境を、はやてはビュンビュン走り去っていく。はつかりの半分くらいの時間しかかからないようだ。
そして盛岡が近づき、はやては市街地に入っていった。そして高架に上がっていく。
となりにきのう通ったレールが見える。かつての東北本線、IGRいわて銀河鉄道である。
古いものと新しいものが並ぶ、悲しい風景である。もっともIGRいわて銀河鉄道は今後とも北海道に向かう貨物列車が世話になるレールではあるのだが。
はやては無事、盛岡に到着した。ここで降りる。ぼくが乗る車両に盛岡から乗る人がかなりいるようだ。
さて、これから大曲まで秋田新幹線こまちに乗る予定なのだが、なんとはやてが盛岡に着く10分前に発車しており、つぎのこまちは50分後である。
もう11時半であり、昼食を食べるのが良さそうだ。50分しかないし、駅ビルに入ろう。ぼくはJR東日本パスを見せて改札を出て駅ビルの適当な食堂に入った。
盛岡と言えば冷麺かわんこそばだが、どちらも食べたくないぼくは、どこでも食べられる定食の店で定食を注文した。出てきた。よし、これでこまちに間に合うだろう。
今日もめしはうまかった。すっかりおなかもいっぱいになってぼくは食堂を出た。
盛岡の駅ビルで昼食を食べ終わり、JR東日本パスと大曲までの特急券を盛岡駅の自動改札に通す。そして大曲方面のホームに着く。
「すみません、東京行きのホームはここですか?」
ときかれたが、別のホームのような気がしたので、
「あっちじゃないですか?」
とこたえたものの、よくよく調べると今日は臨時列車がホームをふさいでいるので、なぜか八戸・秋田方面の新幹線も仙台・東京方面の新幹線も同じホームから出るようだ。ぼくに質問した人はぼくと同じホームで待つようだ。
だが、秋田行きは東京行きの10分前に出るはずだからかちあわないだろう、と思っていたらこんなアナウンスがあった。
「八戸行きはやてと秋田行きこまちは10分ほど遅れております」
うーん、遅れのせいで同じホームを同じ時刻に使うことになってしまう、これでいいのかな?と思った。
そしてアナウンスどおりはやてに連結されたこまちは10分遅れてやってきた。
あらかじめ取ってある自分の指定席に向かう。ちゃんとあいているのですわる。そして発車。
あーあ、東京行きはやてが停車して待っているよ。
ひどいダイヤだなあと思った。こまちは高架をおりて田沢湖線に向かう。すると右手に東京行きこまちが待避しているのが見えた。そう言えば盛岡から秋田までは単線だったっけ。
10分も遅れて、無事大曲で新庄行きの列車に間に合うか心配になってきた。なにしろこれに乗れないと予定の新庄発東京行きつばさに乗れないのだ。
まずは前の座席をひざでおさえておく。はじめてこまちに乗った時、前の座席がグラグラしてぼくの足にぶつかって痛かったので、あらかじめ座席がグラグラしないようにおさえておくのだ。
こまちは森に囲まれた田沢湖線を在来線特急のスピードで進んでいく。
たまに北海道で良く見かけるシェルターを通る。おそらく信号場だろう。
そんなふうにして田沢湖駅を通り、森を抜けて角館(かくのだて)に来るころには、なぜかダイヤが回復していた。ほとんど時刻表どおりにこまちが進んでいるのだ。
はて、もしかしてこのこまちは、もともとどこかの信号場で何分か停車するダイヤなのかな?と思った。とても不思議である。
そんなこんなでなんとかかんとかこまちは定刻に大曲(おおまがり)にやってきた。どうやらこれで予定の新庄行きの電車に乗れそうだな、と思いながらこまちを降りた。さあ、新庄行きのホームを探そう。
盛岡から乗ってきた秋田新幹線を大曲(おおまがり)で降りる。盛岡の発車が10分も遅れたのに、なぜか大曲では定刻に近い到着である。秋田新幹線は単線なので、もともとのダイヤでは交換待ちがかなりあるのだろう。
秋田新幹線は大曲で方向か変わるので、秋田新幹線のホームは行き止まりのホームになっている。田沢湖線の普通列車も大曲から先に行くことはないので行き止まりホームらしく、どうやら奥羽本線の新庄行きには階段なしで乗り換えられるようだ。
無事奥羽本線ホームに着いた。それほど待たずに電車がやってきた。けっこう客がいる。ロングシートだがなんとかすわれた。そのまま発車である。
横手、湯沢を過ぎて、左右に雪のついた木々をのぞむ景色になった。なんだかいい景色である。
ぼくはこの景色を見ながら、なぜか中島みゆきの歌のことを考えた。それも、中島みゆきの歌を別の人が歌うとしたら誰がいいかというものだった。
いろいろ考えたが、ぼくが思いついたのは、「最悪」という歌はデーモン小暮が歌うと似合うだろうということだった。
しかし、中島みゆきオリジナルの伴奏だとどうもしっくりこない。
ぼくはデーモン小暮が最悪を歌うなら、どんな伴奏がいいか考えた。
ぼくの頭の中では、ドラムとギターだけの単純な伴奏がいいなあと思った。最悪は一人称が「ぼく」なので男性が歌っても似合いそうだなと思った。
それから、「北の国の習い」という歌のことも考えた。この歌については特に他人が歌うことは考えなかったが、どうもオリジナルの「牧歌調」の伴奏はあまり好きじゃないと思った。
ぼくの頭の中では、ドラムとベースだけの単純な伴奏がいいなあと思った。ややテンポを速くした方がいいのかなあと思った。
そして間奏にバイオリンソロがあるといいなあと思った。そしてバイオリンのメロディも考えてみた。
そんなことを、奥羽本線の雪景色を見ながら考えていた。電車は進んでいく。
そして電車は市街地に入り、定刻どおりに新庄駅に到着した。これで用意した指定席券が使える。
ぼくは電車を降りた。新庄駅は階段なしで乗り換えられるから、急ぐ必要はないなと思った。さあ、東京行きのつばさに乗ろう。
もう何回目になるか忘れたが、今JRで最も便利な駅であるとぼくが思っている新庄(しんじょう)駅で、大曲から乗ってきた奥羽本線の電車から東京行き山形新幹線つばさに乗り換えた。
新庄ではいろいろな乗り換えをしているが、山形新幹線に乗り換えるのはこれが初めてだ。
新庄はH型のホームの5箇所にそれぞれレールがあり、どこからどこに乗り換えるのも階段なしで乗り換えられるのだ。
とりあえず指定席は取ってあるので指定席の車両に乗って自分の席に行く。かなりお客が乗っている。
そのまま出発だ。東京に向けて進んでいく。
もちろん、普通列車では何回も通っている路線である。しかし新庄から東京まで直通で、しかも福島からは新幹線のスピードで行けるというのはいいものである。
まわりの男性客が話している。
「自由席はいっぱいだよ。」
やっぱりJR東日本パスがあるくらいだからみんな今日旅行しているのだろう。指定席を取っておいて良かったなあと思った。
相変わらず雪混じりの景色の中、山形の盆地を通り過ぎていき、ついに山形駅に到着した。これでぼくは日本の鉄道のすべてに乗ったことになる。
しかし、あまりいいこともなかったなあ。
むしろ、犠牲にしてきたことの方が多かったような気がする。
そんなことを考えているうちにつばさは山形を出て、米沢を過ぎ、山の中に入っていった。それとともにぼくはゆううつな気持ちになっていった。会社のことである。
ぼくは会社で「ものをさがす仕事」をしているのだが、ものが見つからないのである。
いつのまにかさがすものの数が2000個くらいになってしまい、そのうち100個くらいが見つからないのである。もっとも本当にものが存在するのかわからない。一度も見たことのないものもあるかもしれないのだ。
実はあした会社でこのことについて「管理部門」と話をすることになっている。またグチグチ言われるだろう。
そんなわけで、できることなら福島で降りて函館に向けて逃げてしまいたい。
なにしろ、ぼくは糖尿病なのだ。独身のまま糖尿病になってしまったので、もう結婚してくれる人もいないだろうし、だましだまし会社員をしてきたが、さらにゆううつな、「半年後にどんな『成長』をするか、成長のためになにをするか」を書くことになっている。いわゆる「成果主義」ってやつだ。
とは言ってもなあ。ぼくは学生時代、国語・社会・英語の点数が悪いのを数学・理科で補ってきた人間なので、こういう文章は本当に苦手である。
これについてもだましだまし会社で文章を書いてきたが、とうとう何を書いても書き直せと言われるようになってきた。どう書き直したらいいのか教えてくれないのだ。そのためパニックになって3年前に1週間逃げ出したが、もう1回逃げ出したら会社にいられないだろう。
そう言えば大橋巨泉が今の奥さんに、「『この人生』では、子供を産むのはあきらめてくれ」と言っていたが、ぼくもこの人生では結婚はあきらめようと思った。さっさとこの人生を終わらせて、新しい人生で結婚を目指した方がいいのではないかと思った。
でもその前に、全国をくまなく旅してから終わらせてもいいのではないかと思った。
米沢と福島の間の山々を見ながら悩んだが、結局今日は東京に帰って、もしもあしたの管理部門との話で、「ものが見つからないことが、逃げ出さなければならないほど重大なことなのか」を確認して、重大なことなのならばもう人生おしまいだから逃げてしまおうと考えた。そう決めてちょっと眠る。
目が覚めると宇都宮のちょっと北のあたりを走っていた。9年前に山形新幹線に乗った時は宇都宮でも、さらに東京に帰ってきた時も雪が降っていたが、今日は晴れている。なんとかアパートに帰れそうだ。
そして大宮が近づき、日が暮れてきた。あしたの会議はゆううつではあるが、無理だと思ったら逃げだそう、青春18きっぷがあるから最期の旅をするにはいい季節だと思いながら、東京に帰っていった。