恋するアゲハマ嬢 23
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そんなわけで間接キスには慣れていた筈の市河だったが、
アキラが目の前にいるとなると、当然だが勝手が違ってくる。
──だ、大丈夫!大人の女は、間接キス如きでうろたえたりしないのよ!
幼稚園児のカップルでさえ将来を誓い合い、キスする時代だ。
これくらいのことでのぼせ上がるなんてみっともない、と頭ではちゃんと納得している。
けれど、体はまるで糸の切れたマリオネットのように、脳からの命令を無視し続けた。
こんな時こそ、余裕たっぷりにアキラをあしらってみたい。
たまにはうぶなアキラを赤面させ、
「アキラ君ってば赤くなっちゃって…イケナイ子ね」くらいは言ってやりたいのに、
とうとう言語野まで焦げ付いたのか、気の利いた台詞どころか感動詞一つ浮かんでこない。
結局、壊れかけの市河に出来た事といったら、再びグラスを倒さないように
両手でしっかりと固定しておく、ただそれだけだった。
市河は舞い上がった気持ちを落ち着かせようと、震える手でグラスを握り締めた。
掌の内側を流れる水滴は、グラスのかいた汗だろうか、
それとも動揺した自分の汗だろうか?
ちらりと横を見ると、当のアキラは市河の変化を気に留めることなく、
緒方たちの会話に参加している。
「──いきなりそんなこと言われたんですか?」
「ああ、オレの顔を見るなり、『あなた、どろどろでしょ!』ってな。初対面の女に
“どろどろ”呼ばわりされたのは生まれて初めてだ。…ま、この先もないだろうがな」
「そう言われた瞬間の緒方君の顔、皆にも見せてあげたかったよ。いきなりのことで
目が点になっちゃってね、あれはもう、女性を口説けるような雰囲気じゃあなかったね」
「へー、じゃあ緒方先生、その人とは何にもなかったんだ」
「進藤、大人にはいろんな酒の楽しみ方があるんだ。男と女がグラスを傾け語り合う、
たまにはそんな夜もあったっていいだろう」
緒方はボトルを引き寄せ、メイプルシロップのような液体をグラスの中へと注ぎ足した。
カランという音と共に、グラスの中で小さな氷山が一回転する。
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