恋するアゲハマ嬢 11 - 15


(11)
「せっかく美人を同伴してるんだ、焼肉屋はあんまりだろう。──ついて来い」
緒方は一人背を向け、歓楽街へ向かって歩き始めた。
その堂々とした後姿はまさしく“夜の帝王”と呼ぶに相応しい威厳と貫禄に
満ちている。トレードマークの白いスーツは、日中よりもやはり闇夜に良く映え、
市河はその筋の者に絡まれやしないかと内心ヒヤヒヤしていた。
そういえば緒方は、囲碁界の若き王者という意味でジャングル大帝の“レオ”、
一部キャバ嬢には狙った獲物は逃さない腕前から“ホワイトシャーク”と
呼ばれていると聞いたことがある。
──獅子になったり鮫になったり、緒方先生も忙しいわね。
市河の目に、すれ違う、自分とさほど年齢の変わらない女の子たちが
夜専用のファッションでたむろしているのが映る。
市河は激しく後悔した。
自分はといえばマニキュアも落ちたまま、髪も洋服も碁会所仕様で、
若い娘だというのに勝負どころが全くない。
──出かけるのがわかっていればもう少し可愛い服を着てきたのに…。
落ち込む市河の前を、愛しのアキラはヒカルと並んで歩いている。
目のやり場に困っているのか、少し俯き加減に歩くアキラとは対照的に、
ヒカルは興味津津でいろんなものに立ち止まってはへぇー、ほー、と
感嘆の声を上げていく。
「ここだ」
路地を抜けて辿り付いた店の名は『神経酔弱』。
緒方の隠れ家の一つだと言う。


(12)
その店は雑居ビルの地下1階に身を潜めるように存在していた。
階段を下りると、まずは御影石で出来た看板が一同を出迎えた。
壁に設置してある小さな照明が、店名と、つるつるとした滑らかな表面を
ぼんやりと浮かび上がらせ、ここが酒場の喧騒とは無縁である事を
それとなく教えてくれる。
緒方は扉を開け、難なく入口をすり抜けた。続いて市河、その後を
アキラとヒカルが追う。
「いらっしゃ…一体どうしたんだい?君にしちゃあ、早すぎる来店じゃないか」
店主とおぼしき人物が、緒方を見るなりカウンターの中で動きを止めた。
その目はまるで珍獣にでも遭遇したかのように、めいっぱい見開かれている。
深夜族である緒方の信じがたい来店時間だけでなく、
連れがいることにも驚いているようだった。
緒方は好奇の目を気にした風もなく、カウンターに一番近いテーブルへ三人を座らせると、
自身はカウンターに腰掛け、棒立ちの店主にオーダーした。
「マスター、今日は見ての通り育ち盛りが二人いるんで、美味くて腹にたまる物を頼む。
 オレはいつもので。市河さんはどうする?」
緒方の手がクイッとグラスを傾ける仕草をした。
アルコールの事を言っているのだと市河は理解する。
「…お酒は遠慮します。緒方先生は気にせず飲んで下さい、私が車で送りますから」
「それじゃ彼女にも美味しいものを」
緒方の注文に快く頷く店主。ぱっと見、緒方よりも十ばかり年上に見える。
「緒方君の連れなら特別メニューでおもてなししなくちゃな」
そう言うと、店主は他の従業員にカウンターを任せ、厨房へと消えていった。


(13)
自分と同年代であろう年若な店員に「お飲み物は?」と尋ねられ、
市河は慌ててアイスブラックティーを注文した。
アキラはしばらくメニューとにらめっこしていたが、やがて顔をあげ、
「ブラッドオレンジジュースをお願いします」と店員ににこやかな笑顔で告げた。
その横で「なー、コーラある?」とヒカルがアキラに聞く。
「ないよ」
「サイダーは?」
「………」
「オレ炭酸がいいんだけどな。ジンジャーエールは?」
「メニューくらい自分で読めるだろう」
と、ぶすくれた表情でアキラはヒカルにメニューを押し付けた。
「なんだよ…前から言おうと思ってたけどなァ、お前、緒方先生とオレへの態度に
 すっげー差がありすぎるんだよ!」
メニューを素早く奪い取るその動作にカチンと来たのか、アキラの声が一段と大きくなった。
「緒方さんは大先輩だぞ?目上の人に敬語で話すのは当然じゃないか!
 ボクと同学年でまだ初段の進藤とは同じ扱いなわけないだろう。それに──」
「なんだよ」
「進藤は……だから良いんだ」
何事かを呟いたアキラの顔が薄赤く色づく。それを聞いたであろうヒカルも、
「あ、…ならいいや」
と妙に納得した表情でくだらない言い争いに終止符を打った。
──なっ何?今アキラ君は何て言ったの?
意外な展開に市河は驚きを隠せない。なんとなく、今のは絶対聞き逃してはならない
最重要ポイントだったような気がする。
アキラは照れ隠しのつもりなのか、そっぽを向いたままだ。
「…えっと、じゃあジンジャーエール下さい」
ヒカルも憑物が落ちたようなしおらしさで、ぎこちなく飲み物を注文していた。


(14)
そんなわけで、飲み物が届くまでのちょっとした間、
誰も何も話をしないという沈黙の時間が流れた。
いわゆる“幽霊が通った”と言われる現象だ。
市河はここぞとばかりに目の前に座っている二人の少年をまじまじと観察した。
一体何が恥ずかしいのか、まだこちらを見ようとはしないアキラの横顔は
一週間隣で凝視し続けても飽きのこない美しさで市河を魅了する。
身の内の清廉さを代弁しているかのような白いうなじも、
少年と大人の狭間で揺れる年頃の象徴のような髪型もたまらなくいとおしい。
この国の法律がもう少し甘かったなら、このまま蝋で固めて
自分の家に連れ帰り、居間に飾って置きたいほどだ。
対するヒカルは、これまた絵に描いたような少年らしい少年、
『ちょー少年』とでも名付けるべきだろうか。
自分で脱色しているのかそれとも生まれる前に魔法でもかけられたのか、
前髪の色だけが金に近い茶色をしている。そんな奇抜な外見を除けば、
ヒカルはどこにでもいる中学生──のはずだった。
ところが市河は、久しぶりに見たヒカルの容姿に新鮮な感動を覚えた。
ヒカルの事は小学生の頃から知っている。
初対面は碁会所に来てアキラを二度も負かした時。
その後プロになって間もない頃に一度、
塔矢行洋の入院先に押し掛けてきたところに偶然居合わせた。
当時からどこにでもいる普通のやんちゃ坊主だったヒカルが、
今はそれなりに成長の証を見せ付けている。
頬のふっくらとした子供肉がいつの間にか取れているだけでなく、
アキラにも負けず劣らずの細っこい体の上には華奢な首と
いい感じに日焼けした顔。意外と大きな目はそんじょそこらの女の子より
俄然愛らしく、全体的に人好きのする顔をしている。
──男の子ってこんなに急に成長するものなの?
まだ充分若いはずの市河は、自分も歳を取るはずだと深い溜息をついた。


(15)
程なくして飲み物が届けられ、一口飲むか飲まないかの間隔を置いて
マッシュルームとオニオンのクリームスープが運ばれてきた。
食欲をそそる匂いに空腹の身が敵うはずもなく、三人はほぼ同時に
スプーンに手を伸ばし、いただきますの声を上げて降参した。
「…美味しいですね」
「ホントに!いい味だわ」
「マジ美味いー!!くーッ胃に沁みるーッ!!」
「ハハハ、そうしてるとまるで姉弟みたいだな」
一人カウンターに座って笑いながらグラスを傾けている緒方の手前には、
小さなフライパンと薄切りのガーリックトーストが並べられている。
「緒方先生は何を召し上がってらっしゃるの?」
市河はフライパンの中身に興味を示した。
「3種類のチーズを熱して、溶かしてあるんですよ」
緒方の代わりに答えたのは、どでかい鍋を抱えた店主だった。
「店のメニューには載せてません。緒方君だけの特別メニューなんでね。
 名付けるなら“緒方スペシャル・チーズフォンデュ風”ってとこかな」
香ばしく焼きあがったガーリックトーストを、フライパンの中で溶けきった
チーズに付けて食べるのが「緒方流」とのこと。
「それにしても前もって連絡くれればサフランを仕込めたんだけどね」
残念そうな口ぶりで店主は緒方に詰るような視線を送りつつ、
腹を空かせた雛鳥達の前にその大鍋を軽やかに置いた。



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