盤上の月 35


(35)
アキラは火・水曜日の二日間を療養に当てた。医者からは過労が原因と診断を受け、碁は打たずに
渋々大人しく布団に横になる。2才で碁を覚えてからの15年間、碁盤の前に座り、碁石に触れな
いという日は無かった。たった二日間だが、アキラには気が遠くなるような長い期間に感じる。
療養中の間 晴美は碁会所閉店後、アキラの夕食作りに邸宅に訪れた。
さすがにこれ以上迷惑はかけられないとアキラは一度丁重に断ったが、結局は晴美の好意に甘えた。
自分の事をいつも気にかけてくれる晴美の存在をアキラは嬉しく感じている。アキラにとって
晴美は、気心知れた数少ない自分の理解者でもある。
本音を言えば自分で食事を作る気力は無かったので、晴美の申し入れはとても有り難かった。
水曜日の夜、晴美は邸宅居間のテーブルで骨董の湯飲み二つに ほうじ茶を注いでいる。
晴美の向かい側にはパジャマ姿のアキラが座り、湯気のたっている鍋焼きうどんに箸を動かして
いる。
一昨日、晴美は邸宅の台所に足を踏み入れて心底驚いた。食器棚には、いかにも高価そうな骨董
食器の数々がズラッと並んでいる。骨董食器は明子の趣味で、それらはごく当たり前のように食卓
に料理を盛る皿として使われるとアキラに聞かされた。
今、お茶を注いでいる湯飲みは、光沢ある白陶器の下地に紺の鮮やかな鯉の絵柄模様。そしてその
絵柄模様の周りに、金の装飾が施されてある。骨董に疎い晴美でも、いい品であるのは理解出来た。
──コ、コ、コレッ 値段いくらするのかしらぁあ!? 
私の一ヶ月分のお給料より、た・・・高そうっ・・・・・・!!
内心、冷や冷やしながら晴美はお茶の入った湯飲みの一つをアキラの方に、もう一つを自分の手元
に置く。
「アキラくん、具合はどう?」
「もう大丈夫だよ。明日の木曜日の手合いにも行くつもりだし」
アキラは晴美が驚くほど高価な食器で平然と食事をし、骨董の湯飲みを普通に手にしながら話す。
その自然で優雅な様に晴美はついボーと見とれてしまい、手に持ったお茶を零し、アチチと慌てる。
木曜日は七段以上が集まる高段者手合い日で、かなり前からアキラは この日の常連になっている。



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