盤上の月 38


(38)
翌日、アキラは やや早めに棋院に行って対局席に座り、目を瞑り神経を集中していた。
プロになったばかりの時は多くの好奇の視線を身に感じたが、今はそれはなく別の意味の視線を
今度は感じるようになった。
幼少の頃から行洋の息子という事で数多くの注目・視線を浴び、その環境に慣れているアキラは
それらに動揺も関心も一切無い。
棋士達がアキラに向ける視線──それは豊かな才能に対する羨望の眼差しであったり、また それに
対する凄まじいほどの激しい嫉妬。そして強烈な劣等感だったりと様々であったりする。
誰の目から見てもアキラの出現で碁界は大きく揺れ動き、新しい変化が起ころうとしているのは
明白だった。棋士達は、それを新たな時代の波が来たと闘志を燃やす者や、脅威な存在が現れたと
危惧を抱く者と、そこには実に多彩な人間模様が垣間見られる。
アキラの碁に対するひたむきで痛々しいほどの情熱。それは、棋力の向上に直結しない物事は容赦
なく切り捨てるという冷酷な感性の上で初めて成り立つ。
アキラにとって人生の関心の大部分は碁にあり、白熱した対局以外は棋譜・棋士の顔や名前は、
ほとんど記憶に残らない。その態度は時として他人に高慢・冷血と捉えられ、近寄りがたい印象を
周囲に与える事もある。
碁に向き合うアキラの姿勢は、何処までも果てなく真剣であり、残酷なまでも純粋である。
また、プロ棋士の生活・環境は、アキラの中にある碁の辛辣なる追求をより高める結果となる。
徐々に少年から大人へと急速に移り変わる心の動きは、精神面でなく容姿にも強く滲み出て変化を
きたす。普段は以前と変わらず物腰柔らかいが、立ち振る舞いは凛然とした趣きを漂わすように
なった。そして碁の事に直に触れる場面になると、その瞬時にアキラを取り巻く空気はピリッと
引き締まり、雰囲気は大きく変貌する。



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