盤上の月 44


(44)
そして、碁を打ちながら「妄優清楽」という囲碁を指す古い言葉が、アキラの頭をかすむ。
その言葉は、憂いを忘れ清楽するものは囲碁であるという意味がある。まさに今の自分に それに
当てはまるとアキラは思った。

──碁を打つときにだけ、どんな悩みや苦しみも一時忘れられる。そして碁盤に立ち向かわないと
正気を保つ事が出来ない自分が生きる場所は、この盤上にしかないのかも知れない・・・・・・。

ふと碁を打つ手が止まり、アキラは手に持っていた碁石を碁笥に戻す。
その途端、アキラは自分を自嘲するような渇いた含み笑いを、クックッと口元から洩らす。
そして しばらくの間、アキラは目を閉じる。
部屋にはコツコツと時計の音が低く響く。アキラの心に関係なく刻は、朝を迎えるために
止まらないで絶えず進み続ける。
どれほどの時間が流れたのか。
アキラは再び目を開けた。アキラの目には淡い光が浮かび、表情は次第に冷静さを取り戻しつつ
ある。また急に寒さを感じブルッと体が震え、白い息を吐きながら慌てて厚手のカーディガンを
着る。
その瞳には、自分をあざ笑う色合いは消え、代わりに憂いと悲哀の色彩に染まる。
改めてアキラは、碁盤に視線を定めた。
だが盤面を見ていると、目頭がすぐ熱くなり、碁盤の形がユラユラと歪み出す。正視出来なく
なり、堪らず目を伏せ、膝に置く拳に力が入る。アキラは大きく深呼吸をする。
何回か それを繰り返し肩の力を抜く。再び盤上を見つめ、両手で愛しげに そっと軽く撫でる。
そして月光に反射している盤上に、アキラは自分の額を軽く押し当てた。

満月の柔らかく清らかな青白い光は、碁盤とアキラを包み込むように、優しく静かに照らし続けた。



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