マッサージ妄想 51 - 55
(51)
「キミがボクを好きって言ってくれたこと、ほんとに嬉しいよ」
潤んだままの瞳でアキラは言った。だがそこには先ほどまでの甘さと共に、どこか悲しげな
色が加わっている。
「だってボクもキミのこと、好きだから。・・・・・・でも、思うんだ。キミの『好き』とボクの
『好き』とは、やっぱり違うんじゃないかって」
ズガーンと頭を殴られたような衝撃を感じ、社は思わず後ろに半歩よろめいた。
(こ、この展開は・・・・・・別れ話っちゅうことか!?)
TVドラマなら驚いた男の顔のアップで主題歌が流れ、来週に続くとなるのだろう。
だが現実の会話は無情にも、何の心の準備も出来ていないまま淡々と進められていってしまう。
「今のこともそうだし、いつもキミはボクに気を遣って、優しくしてくれて・・・・・・
心の中で申し訳ないと思うこともあったけど、ボクといることでキミも満足してくれてるなら
そういう関係もありなのかなって思ってた。何よりボクも、キミに甘えさせてもらうのが凄く
心地よくて・・・・・・何ていうか、他の人といる時より凄く落ち着くし」
「・・・・・・なら好きなだけ甘えてくれたらエエ!アンタいっつも気ぃ張り過ぎやもん。オレと
いる時くらいリラックスしてくれたら、オレかて嬉しいわ」
「社は優しいね」
アキラは苦笑するように笑うと手を伸ばし、指で社の鼻に触れた。それからゆっくり指を
曲げ揃え、指の甲で社の頬をそっと何度も撫でる。こんな時だというのに、触れてくるその
指はとても気持ち良くて、社は思わず目を閉じた。
「でも、ずっとそんな関係で本当にキミはいいのかい?ボクはキミだけじゃなく他の人と
だって頻繁に寝ているよ。そして、その人たちのこともボクはみんな『好き』なんだ。
中には、・・・・・・キミとその人とどちらか選べと言われたら、きっとそっちを選ぶだろうって
思う人もいる。キミはどうなんだい?キミはボクをどんな風に『好き』でいてくれてるの?」
(52)
「オレは・・・・・・」
言葉に詰まった。頬に触れたまま見上げてくるアキラは口元に微笑みを浮かべてはいるが、
目は真剣に、むしろ縋るように社の答えを待っている。
自分の正直な気持ちとアキラの求める答えとは、恐らく違っているのだろう。そのことに、
先ほどの対の食器の一件を通してなのかそれ以前から薄々と感じてはいたのか、アキラは
気づいてしまった。気づいて、今のままの関係を続けることに疑問を感じている。
もしここで、それはアキラの考え過ぎだと、自分はこの先もずっとアキラの側にいられるだけで
たとえ大勢の中の一人だとしても満足なのだと、そう宣言出来たなら、アキラを安心させ
これまで通りの関係を続けていくことが出来るのだろうと思った。
アキラの目が縋るように自分の答えを待っている。
アキラも自分を好きだと言ってくれた。たとえ大勢の中の一人でも、一番の存在ではなくても、
今アキラの望む答えを返すことが出来たなら、これからもアキラと何事もなかったかのように
過ごしていくことが出来るのだろう。
笑い合い、昨夜のような蕩けそうな時間を共に過ごし、自分の腕の中でアキラを安らがせて
やる喜びを失わずにいられるのだろう。
なのに言葉は勝手に口から溢れ出た。
「オレがアンタのこと好きやゆうのは、アンタを誰より一等好きやゆうことや。それで、
アンタにもオレのこと、誰より一等好きになってもらいたいゆうことや。誰にも渡さんと
アンタを独占したいて、湯呑みだけやなくオレ自身もアンタとちゃんと対の立場になって
他の奴なんか入り込ませたくないて、そう思おとる。それが一番奥の、本当のオレの気持ちや」
途端に頬に当てられた指がびくっと竦み、アキラが怯えるように目を眇める。
その指を捉えて下ろし、怯えさせないようにそっと、社は両手でアキラの手を包んだ。
(53)
「ボクは、キミの気持ちに応えられない」
「・・・・・・そか」
「・・・・・・手を離してくれないか」
「・・・・・・」
社は自分の手の中のアキラの手を眺めた。昨夜、自分の手の平にすっぽりと収まるアキラの
足を本当に可愛いとつくづく眺めたように。
(コイツの手が対局の時石を持つのを見たことある奴はぎょうさんおっても、こんな風に
直にこの手に触ったことある奴は少ないのやろな・・・・・・)
誰もが畏れ、時には憧れすら抱くのだろうその手が、今このひと時は自分の手の中にあって、
そして間もなく永遠にすり抜けていこうとしている?
(・・・・・・それでも、言わずにおれんかった)
自分を誤魔化して、媚びてアキラの側にいるよりも、どんな結果になろうとありのままの
自分を一度、全部アキラに見てもらいたかった。
こんな風に自分はアキラを好きで、こんなにも自分はアキラを好きなのだと。
案の定引かれてしまったらしくアキラは手を離せと言う。だが、それなら自分で振りほどいて
見せろというのだ。引導を渡してもらわないうちはこちらとしても諦め切れないではないか。
「はっきりさせたいんやけど、塔矢がさっきから色々言うとるんは、もうオレと別れたいいうこと?」
「・・・・・・ボクが別れたいとかそういうことじゃない。ただ、気持ちが噛み合わないのに
無理やり一緒にいても、お互い傷つくばかりだとは思わないか?」
「まわりくどい言い方せんといてやー。オレの気持ち知って嫌気差してもた?その・・・・・・
オレのこと、・・・・・・もう嫌い?」
嫌い?と口にしただけで目の縁に熱いものがこみ上げる。ここでああ、お前なんか嫌いだ!と
返されたら自分は幼児のように大泣きしてしまうかもしれない。だがアキラは、
「えっ?何を言ってるんだ。ボクはキミのことを好きだって、今言ったばかりだろう」
何度も言わせるなとばかりに、そう言ってぐっと胸を反らした。
(54)
「へ?・・・・・・えと、オレのことまだ好いててくれとるん?」
「ああ。昨夜から何度も言ってると思うんだけど?キミは人の話を真面目に聞いていないのか?」
多少苛々としてきた様子でアキラは言った。
「いや、それはそやけど。オレ、碁の腕だってまだまだアンタと全然釣り合わへんやん。
そやから、オレなんかがアンタと対の立場になりたいとか思おとるの知って気分害したんかと・・・・・・」
「社・・・・・・キミの囲碁センスは倉田さんが認めたものだ。ボクも北斗杯予選で進藤とキミの
対戦を見た時には興奮を覚えたよ。北斗杯での経験も今後のキミにとってきっと大きな
プラスになって行くだろう。碁に対する姿勢も、まあ最初は甘い所も見られたが最近は随分と
改善されて来たようだし・・・・・・努力を怠らなければ、キミは恐らく今後どんどん伸びていくと
思うよ。自信を持っていい」
「お、おう。そうか?」
急に力強く瞳を輝かせて自分を励まし始めたアキラに戸惑う。
(いや、そら誉めてくれるんは嬉しいけど・・・・・・今オレら、別れるか別れないかの瀬戸際やで?
なのに碁の話になると目ぇ輝かしよるなんて、真剣味足りんにも程があるっちゅうねん!
てゆうかそもそも、塔矢もまだオレのこと好きやゆうなら別れる必要なんて、)
「で、なんの話をしていたんだっけ。ええと、・・・・・・ああ、そうか」
アキラの声のトーンがゆっくりと落ちて、目が伏せられる。
「・・・・・・だから、キミには何の問題もない。問題があるのは、誰とも“対”になんかなれない
のは、ボクのほうだから・・・・・・」
両手の中に包んだままのアキラの手が、かすかに震える。
(55)
「アンタの気が多いことくらい初めっから知っとるわ。それを承知で好きになったんやから・・・・・・
オレの本当の気持ちはまぁさっきゆうた通りやけど、だからって今すぐオレを一等好きになって
くれなイヤやーゆうわけでもないし、口に出して聞いてもらって却ってスッキリした。で、
これからも今までどおりの関係続けながら、いつかアンタが振り向いてくれるよう努力して
行けたらて、そう思おとる。アンタに他に好きな奴がおっても、オレが好きなんはやっぱり
アンタやから・・・・・・そやからもしアンタもオレを好きで、オレが側にいても迷惑やないゆう
なら、別れるなんて考えんで、これからも一緒にいさせて欲しい・・・・・・」
しかしアキラは目をきつく閉じ、ぶんっぶんっと頭を横に振った。
「・・・・・・なんでや」
「本当は、・・・・・・誰でもいいんだ」
社に手を取られ深く項垂れたまま、絞り出すような声でアキラが言った。
「え?」
「キミのことは好きだし、他に好きな人がいるのも本当だけど・・・・・・ボクは本当は、男の人
なら誰でもいいんだ。話したこともない相手や、人間的には大嫌いだと思うような人にまで
欲情してしまう。昔からこうなんだ。電車の中で隣に男の人が立っただけで、その衣服の
下を想像して堪らなくなることがある。こんな自分はおかしいと思うけど、一度身体の奥が
カッカし出すと止まらなくて・・・・・・さっきだって、キミに少し触れられただけでもう頭の中が
真っ白になってしまって、」
「え、何やて?えーとスマンちょっと待ってや。塔矢」
唐突な話の展開に、一瞬置いていかれそうになる。だがアキラの口からは堰を切ったように
言葉が溢れ出た。
「・・・・・・最近はしてないけど指導碁のお客さんに肩を抱かれてそのままセックスに雪崩れ込んだ
こともあるし、欲望に任せてお父さんの門下の棋士を誘ったこともある。それで相手の人生を
めちゃめちゃにしてしまったことも。ボクはボクと寝たらその人の人生が狂ってしまうだろう
ってわかってた。わかってたのに止められなかったんだ」
俯いて見えないアキラの顔から、大粒の涙が滴り落ちて社の手を濡らした。
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