盤上の月 53
(53)
「お父さん、お帰りなさい」
碁盤に向かい黙々と碁を打つ行洋にアキラは畳の上で正座し、両手をそろえて お辞儀をする。
「うむ。変わりはなかったかアキラ?」
碁を打つ手を止め、アキラの方をチラッと見る。この時、行洋は棋士から父親の顔に戻る。
アキラは、「はい」と言いながら畳にある両手を膝の上に置き姿勢を正す。
「そうか・・・だが、私の目には何処かしら疲れているように見えるが」
行洋は感が鋭い。いつも碁を打ちながら自分を見つめ、相手の心を探る作業をするうちに、
人の持つ雰囲気から微妙な変化をつかむ能力に長けている。また、第六感が優れているとも言える。
行洋に誤魔化しが通用しないのは百も承知なので、アキラは正直に過労が原因で療養した事を
話した。
「珍しいこともあるものだな。今は大丈夫なのか?」
「もう大丈夫です」
「ならば良い」
行洋はアキラに対し、柔らかい笑顔を向ける。
「では失礼します」
アキラは行洋に軽く一礼すると、腰を上げ部屋を後にする。居間に戻ると明子がお茶を入れて
アキラを待っていた。
「アキラさん、お父さん さっそく打っているの?」
「うん」
湯飲みに手を伸ばしながらアキラは答えた。
「本当に あの人は何処に行っても碁のことばかりねえ。それは あなたにも言えることだけど」
半分諦めた表情で明子はアキラの顔を眺めながらクスッと笑う。が、瞬時に笑顔が曇り真顔になる。
「アキラさん、そこどうしたの? 何か赤くなっているわよ」
明子はアキラの首筋に赤い痣のようなものを見つけた。
それは先週ヒカルと抱き合った時、ヒカルがアキラの首筋に吸いついて出来たキスマークの
痕だった。
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