「ふざけるな!やってられるか!」
 ゼスの戦いを見ていた参加者たちは、一斉に騒ぎ出した。
 その騒ぎきった空間の中を、静かにしたのはゼスだった。
 というよりも、ただ歩いただけだが。
 フィールドから降り立ち、イズミルたちの元へ戻ろうと、涼し気な顔で歩く。それだけで、道が開き、静寂さを取り戻す。
 誰よりも、何よりも驚いたのは、メルランだった。
 馬鹿抜けた力の差。一目で判った。
 …この男は騎士団に選ばれる…と。
 再び静寂に戻った中に、響き渡る次々の名前。
 彼等は、ゼスと当たらなかったことを安心しているようにも見えた。しかし、その名の中にはイズミルがいた。
 イズミルは誰にも見られぬよう、楽し気な表情を浮かべると、軽いステップを踏んでフィールド上に上がった。
 フィールドには図体のでかい者、無骨な武器を持った者、様々なだけに、ただのマントの下にスーツをまとっただけの少女を見ると、それは誰もが哀れみの瞳になっていた。
 その視線にイラ立ちながら、フィールドの一番端にたつ。
「メルラン、イズミルの後ろに立とう。こっちだ」
 不意に、ゼスはメルランを引っ張っていった。
 イズミルは、それを確認すると、マントを剥ぎ取った。
 前を見れば、参加者たちがうようよしている。
 戦いの合図が鳴り響く。
 目の前では、各々を相手にして殺しあいをしている。そんな中、イズミルは十本の指を絡ませた。
「させるか!」
 前回の戦闘を見ていたのだろう。破壊系の魔術を使うことを恐れているのだ。
「邪魔よ!」
 始めての体術。圧倒的に、身体の大きさや、力では勝てるはずもない。
 イズミルは舌打ちを軽くすると、短唱系魔術を使う。
 片手の指を二本、合わせるようにして絡ませる。
「クルック」
 イズミルに向かって一直線に向かってくる刃が、寸前で軌道を変え、隣にいた男に突き刺さった。
「ふん」
 馬鹿にするように、鼻を鳴らす。短唱系魔術の場合、効果はそれほど長くはない。
 しかし、長唱系魔術一つほどならば、なんとかなるだろう。
 途中で破られた長唱系魔術をやりはじめる。十本の指を同時に絡ませ、目を閉じる。
「ワイプ・アウト」
 何が起きたのか、フィールドにいた参加者は考えることもできなかっただろう。
 イズミルが放った一言で、フィールドは綺麗に消えた。
 今、イズミルが立っているフィールドの一部しかないのだ。
 土も抉られ、イズミルと向かい合うようにしていた参加者たちは、消えている。運よく、後ろの方にいた参加者たちはかすり傷程度で済んだようだが。
 それだけの破壊力があるため、イズミルの身体もボロボロだ。
「イズミル、降りてこい」
 後ろからゼスが声をかけた。いつの間にか、真後ろにいたらしい。
 ワイプ・アウトは上級系魔術でもある。まだ見習いのイズミルにとって、厳しかったのだろう。
 そのまま、イズミルはゼスに倒れ込んだ。
 その姿を見て、メルランは何も言えず…そして、胸が痛かった。

 他のバトルを見ず、三人は宿屋に戻った。
 気を失ったイズミルを背負って、ゼスの部屋へ行く。
 ベットに横たえた身体に、氷水を額に当てる。
 その冷たさに、イズミルの目は勢いよく開いた。
「起きたか」
「…終わったの?」
 いつものイズミルとは思えない程の、弱々しい声で訊く。
「終わった。全く、無茶するからこうなるんだぞ」
「さっさと終わらせたかったのよ」
 すねたように、そっぽを向く。
 もうメルランにはわかっていた。この圧倒的な戦力。必ず騎士団に入団する。他のものはおまけにすぎないだろう。この二人を入れた数人か…それとも、この二人だけか。それは判らないが、もう良かった。
 父親に言われた事は、もう終わった。
「…じゃあ、私は部屋に戻るわ。それじゃ」
 そして、ゆっくりと部屋を出ていった。
「ちょっと待てよ」
 それを制したのはゼスだった。イズミルの方を向いているので、表情は判らない。しかし、声を低くして、いつもとは違う事は判った。
「…何かしら、ゼスさん」
 できるだけ冷静に、返事をする。ゼスが振り返った。
「待てよ。君の正体を、全部明かしてからこの部屋を出てってくれないか」
 顔は笑っている…しかし、心は凍っている。
「……お断りするわ、それじゃ」
 踵を返して部屋を出る。その扉に軽く舌打ちをする。
「手強いわね」
 目を閉じて、イズミルが呟いた。

「気づいたかしらね」
 メルランは長い廊下の突き当たりに向かっていた。
 突き当たりの壁には、大きな窓。その窓に向かい立つと、大きく開け放った。
 身につけていた服が黒龍に変わる。
 それは窓から出て、メルランを背中に乗せた。
「行け。お父様に報告するのよ」
 メルランを乗せた黒龍は、その力強い翼を羽ばたかせ、遠い、真っ黒な空へ消えて行った。

「お母様、ただいま戻りました」
 黒光りした床タイルに、自分の姿が映される。
「お帰りなさい。いい結果を持ち帰ったようね?」
 妖しい笑みを浮かべ、出迎える母…チェラブ。
「マクベスに報告を」
 随分と使われていない部屋を、幾つも幾つも通り過ぎる。
 石製の床、階段、壁…そんな中、木の扉だけが軋み声を上げる。
 ヒールの高めの靴が、いい音を鳴らす。
 町では消えていた、刺々しい羽も、身体にまとった禍々しい気配も、すべて取り戻していた。
 突き当たりの巨大な石の扉。重そうな雰囲気を漂わせているが、メルランには関係ない。
 片腕だけでそれを開け放つと、マクベスは笑っていた。
「メルランか… 早かったな」
 いつになく、上機嫌のようだ。口調も優しい。
 しかし、メルランはいつものように、床に膝をつく。決して、甘えたりはしない…いや、できない。
「私の考えでは、二人、危険人物が」
「二人?男か」
「男と、女です。剣士と魔術師と思われます。その実力は圧倒的です。騎士団には、その二人だけか…それとも、他にも数人一般人が付くか、それは判りません」
「ほう?詳しく聞きたい」
凛々しい顔だちの顎に、指を絡ませた。
「二人は力量を測るための戦いで、相手を全滅させました」
「なるほどな。まあ、よい。メルラン、もう一度聖華城に舞い降り…王を殺せ」
「お、お父様! やはりそれは…」
 父マクベスが、妖しい笑みを浮かべた。その笑みに、背筋を凍せる。
「賢いメルランならば、判っていただろう?偵察に行かせたその日から。ああ、そうだ…できるのなら、その二人も殺しておけ」
 小刻みな震えが止まらなくなり、メルランは逃げるようにしてその場を立ち去った。
 それと、入れ代わるようにして入ってくる、母チェラブ。
「マクベス…あの子に殺しはまだ早いわ…」
「何を言っている、チェラブ。我々テルペンは幼き頃から殺しなどとうにしてきているではないか」
「そうですけど…マクベス。あの子は特別だったわ」
 そんな会話を、扉越しに聴いていたメルランは、自分でさえ忌々しいと感じる、幼い頃の思い出を、頭の中で再生していた。

 父に、人を殺せと言われて殺せなかった自分。
 それから、自分が殺した相手の血で身体が染まるまで、殺しを教えられた自分。
 幾つもの厳しい教えに耐え、感情を持たなくなるまで殺し続けた。
 幾人もの、関係の無い人を。
「…そうよ、あの時を思い出せば。仕方のない事なのよ。それが…テルペンの誇り」
 しん、とした廊下で、割れた心を掴んで何度も、何度も何度も、自分に言い聞かせた。
 伏せた顔を上げてみせると、刺々しい黒い羽をぴんと立てた。
 悪魔の子、メルラン。誇りに従い、生きる者。
 ピィ、と指を口に当てて音を出した。
 メルランの羽よりも黒い、ゴツゴツした大きな物体が、目の前に止まる。
「黒龍、行くよ」
 ゴツゴツした、黒龍の背中に、飛び乗った。


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