白と黒の宴3 11 - 15
(11)
アキラのその言葉にヒカルはぶ然とした顔になった。
「はあっ!?何だよそれ、失礼な奴。見てたよ、お前は不戦勝だろ。
オレはちゃんと打って勝って来たんだぜ。」
そう言いながらヒカルはポケットから小銭を探し出し、アキラの向かい側の自販機に
流し込んでボタンを押す。アキラに背を向けたままヒカルは言葉を続けた。
「でもさー、つまんないよなあ、北斗杯東京で開催なんてさ。オレ、お前から
北斗杯は大阪でやるって聞いて、それで社にいろいろ聞いたのに。」
「えっ…?」
身に覚えのない話にアキラは一瞬キョトンとした。
「言ったじゃんか、大阪の何とかってホテルで開催されるって。」
「…それは違う。開催場所の候補として大阪と東京どちらかだという話がある、
という程度にしか君にしていないはずだ。」
「いいや、言ったよ、ハッキリ。」
買った缶ジュースに口を付けたヒカルとアキラとで睨み合う。
「ボクは言ってない!君が勝手にそう思い込ん…」
思わず力んで声を出しかけて、アキラは押し留まった。
ヒカルも受けて立つように睨み返していたが、アキラがフッとため息をついた。
「…言ったかもしれない。少なくとも君にそう誤解を与えたのなら謝る。」
ブハッとヒカルが飲みかけた缶ジュースを吹き出して咽せた。
「どうしたんだ!?塔矢!、お前らしくない!!」
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「…別に…。」
手の中でもうあまり冷たくなくなった缶を持て余すように転がしながら、思いきったように
アキラはヒカルに訊ねた。
「社…くんとは、あれから電話は…?」
2週間程前、手合いの日にヒカルから社から電話があったという話を聞いた時
アキラはドキリとした。
社が進藤にかなりな興味を持っている事は確かなようだったし、一方で
ヒカルにそうして接近する事でこちらを精神的に揺さぶっているのも感じ取れる。
社が東京のどこかのホテルに泊まりヒカルと会うつもりだと聞いて思わず
自宅に呼ぶ事を提案してしまった。
彼等二人とも目が届く範囲に置いておかなければと思った。
「うん、あの後直ぐに返事しておいたよ。待ち合わせの場所とか。あいつ結構
東京詳しいっぽかった。」
「電話したのは、それくらい?社くんからは他に…」
「うん?その一度だけで後は別に。塔矢、なんか都合でも悪くなったのか?」
「…いや、いいんだ。」
アキラのもとには社から何の連絡もない。
「…合宿の話をした時、彼は何か言わなかったか?」
「別に。“ふうん、わかった。”って、そんだけ。」
社の真意が見えない事がアキラは不安だったが、それ以上ヒカルに
しつこく問うわけにはいかなかった。
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「でもさー、合宿ってなんかイイよな。オレ中学の時とかそういう機会なかったから。」
そんな風に無邪気に笑顔で話すヒカルに、思わずアキラは苛立った。
「進藤、言っておくけど、…北斗杯の対局はきついものになるよ。合宿前に出来る限り
相手の棋譜を見ておいた方がいい。」
「言われなくても分かっているよ。韓国の洪秀英とか、強くなってんだろうなあ。」
ヒカルはそう答えたが、やはりアキラにはその時点でのヒカルは何となくどこか変に余裕を
持っているように見えた。
「何だよ、まだ何か言いたそうだな。」
ヒカルもアキラとの付き合いが長いだけあって、アキラのそういう視線には
敏感らしかった。
「…いや、」
言葉で説明出来るものではない。
「社と会ったら電話をもらえるかな。駅まで迎えにいくから。」
「大丈夫だよ。お前ン家言った事あるから。もー。お前心配し過ぎだよ、塔矢。」
アキラはため息をつくと鞄から手帳とペンを取り出し、そこに地図を書き込んだ。
「一ケ所工事で通れなくなっているところがあるんだ。夜だと分かりにくいだろうし、
ボクの家まではこの地図の通りに来て欲しい。…何かあったらすぐ電話をくれ。」
本当はヒカルが社と夜道を二人で歩く事自体がアキラには不安だった。
工事しているというのは口実で、なるべく人通りのある道を通って来させたかったのだ。
「…もしかして、オレが社と浮気するとでも思っているのか?」
悪戯っぽく上目遣いなヒカルの表情がアキラの目の前に寄せられてきて、軽く二人の
唇が触れ合わされた。
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ヒカルと唇を重ねたまま、アキラは目を見開いてヒカルを見つめた。
「?、何驚いてンだよ。」
ヒカルは優しく笑むと、アキラの前髪を少し指で摘んで弄り、辺りを見回して周囲に
人が居ない事を確かめるともう一度アキラに軽く口づけた。
北斗杯予選の後で廊下で強引なキスをした事で、しばらくヒカルとそういう事を
するのをアキラは自粛していた。
あのキスの前に社と、後で緒方に抱かれている。
そんな自分がヒカルにああいう事をするのはやはり許されないような気がした。
もちろんヒカルは次に会った時も特に何事もなかったように明るく話し掛けてくれたが。
「塔矢、…あのさ、」
ヒカルが妙にあらたまったような、真剣な表情でそう呼び掛けて来た。
そのとき足音がして廊下の向こうを棋院の職員が通りかかり、ヒカルは慌てて
アキラから体を離し、手にしていた飲みかけの缶ジュースを呷った。
「とにかく、ここを出よう。」
空き缶をダストボックスに放り込むとヒカルはアキラの腕を引っ張て階段を下りた。
ヒカルと共に足早に駆け下りながら、そのせいだけでなくアキラは胸の鼓動が
高まるのを感じた。さっきのヒカルの表情はいつになく大人びたものだったからだ。
そうして二人は建物を出ると、何処へと言う訳でもなく歩き出した。
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「…さっき言いかけたの、何?、進藤…。」
少し先を歩くヒカルの背中にアキラは問いかけた。
それでも暫くヒカルは黙ったままだのだが、立ち止まると小声でアキラに話す。
「明日の夜、…オレの家に来ないか?」
「明日の夜…?」
「その、棋譜とか見るの、一緒にやらないか?碁会所だとお前のとこもオレの良く行く
道玄坂のとこも外野がいろいろうるさいからさ。」
「…それは…」
構わないけど、と言いかけてアキラはハッとなった。ヒカルの顔が赤かったからだ。
「どうしたんだ?進藤。…熱でもあるのか?」
真剣に心配して尋ねたつもりだったが、ヒカルは増々顔を赤らめて怒鳴った。
「だーかーらーっっ!!!」
アキラが驚いてキョトンとし、ヒカルがボソボソと小さな声で呟いた。
「だから…、…す…なんだよ。」
「え?」
ヒカルは耳まで赤くして再び怒鳴った。
「親が留守なんだよっ!」
「親が?…あっ…」
初めてそこでアキラも顔を赤くし、慌てて周囲を見回した。ある程度棋院から離れていたし、
広い通りに出る前で人通りはなかった。
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