白と黒の宴3 9


(9)
「…もうここには来ない方がいい。オレは…大丈夫だ。」
「緒方さん…」
「もう来るな。」

棋院会館に向かう地下鉄の電車の中で、アキラは漠然と窓ガラスに映る
乗客や自分の姿を見つめていた。
解放されたのだ。お互いに。緒方も自分も。
何をどう繕った言い方をしても中身は変わらない。
自分の心はあの場所にはない。あるとすればそれは、緒方を傷つけるのみの
同情心だけだ。それはお互いに分かっていた。
棋院会館に着き、手合い室に向かう。
今日はダメかもしれない。
相手を見ないうちからそう思った。そういうのは初めてだった。
気落ちしているつもりも自己嫌悪感に陥っているつもりもなかったが、意識が浮遊して
気持ちがまとまらない。
何かとても大切な事があって、自分はそれを忘れている。取り戻しに行かないと、と思う。
だけどそれが何でどこにその場所があるのかわからないのだ。

殆どの人達が所定の場所で静かに座して対局開始の時間を待っていた。
遅れ気味だったアキラだったが、相手もまだ来ていなかった。
整理出来ない意識のままぼんやりと待った。
惨めに負けても良かった。今の自分は一度そういう目に遭った方がいいのだろう。



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