Duran Duranの歴史について紹介します。
デビュー前から話しますと長くなります。それに何度もメンバー・チェンジをしてヤヤコシくなりますので割愛します。
一応、1980年の7月16日にサイモン・ル・ボンが加入して史上最強の
Duran Duranが結成されました。
それでは始まりです。

Duran Duranは1981年2月にシングル“Planet Earth”でEMIレコードより本国イギリスでデビューしました。

デビュー当時のメンバーは

Simon Le Bon / Vocal 
Nick Rhodes / Keyboard 
John Taylor / Bass Guitar, Backup Vocal 
Andy Taylor / Lead Guitar, Backup Vocal 
Roger Taylor / Drums 

の5人編成のバンドだったんです。
彼らはデビューしたときから【New Romantic】という風にマスコミから呼ばれていました。

デビュー当時、彼らは日本で人気のあったJapanにルックスが似ているために
ジャーナリスト等(特に日本人の)は取材に行くと必ず
「そう言えばニックってJapanのデヴィッド・シルヴィアンに似てるよね?」
とか言って、一番年下のニックをからかって?いました。
1962年生まれのニックはまだ未成年だったんですねぇ。

他にジョンは同じくJapanの
「スティーヴ・ジャンセンに似てるよね。」
とか、
「サイモンってブライアン・フェリーの雰囲気があるよね。」
とか言われてました。
で、誰も誰かに似てるって言われないアンディは自分で
「僕ってスティングに似てない?」
と逆に自分から言い張ってました。
この頃からアンディはどこか浮いていたんだね。

あとジョンとアンディとロジャーは苗字が同じだからって、初対面で必ず
「3人は兄弟なの?それとも親戚?」
って聞かれてました。
多分3人はインタビューを重ねていくうちにこの質問にはウンザリしたんじゃないかなぁ。

シングル・デビューから四ヶ月後の6月に彼らは無事にアルバム『Duran Duran』をリリースしました。

この後、Duran Duranは精力的にイギリス国内やヨーロッパ等をツアーします。
バンドはレコード・デビュー以前から前座ではありますがイギリス国内をツアーしていました。
が、6月の終わりより彼らは初めてのイギリス国内ヘッドライナー・ツアーを敢行します。
このツアーが成功を収めた上にシングル“Girls on Film”もチャート5位までに上がるヒット!

この成功を背に今度はヨーロッパを廻って初めてアメリカに上陸します。
やはりミュージシャンたる者、本当の成功はアメリカでのブレイクと思っていたのでしょう。
が、初めてアメリカ・ツアーもまだ無名ということで会場はクラブ規模の小さい所ばかりでした。

このアメリカ・ツアーでニックにとっては良き友人となるアンディ・ウォーホルと出会っています。

11月には何度も行われたツアーの間を縫ってニュー・シングル“My Own Way”がリリースされます。
この曲のビデオはこれから先長い間、
Duran Duranと仕事をしていくラッセル・マルケイが“Planet Earth”以来再び監督をしました。

このニュー・シングルを引っさげて気持ちもリフレッシュしたバンドはクリスマスに向けて以前よりも大掛かりなイギリス・ツアーを開始します。

断っておきますが、この頃、私はまだ中学3年生でDuran Duranなんて知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1982 1983 1984 1985 1986

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