Duran Duran History - 1982
新年早々Duran Duranはセカンドアルバムのレコーディングを開始します。
レコーディングはAir Studioというスタジオで、前作同様コリン・サーストンのプロデュースの元、進んでいきました。
このスタジオは私が好きな高橋幸宏やJapanのメンバーも使っていた結構有名なスタジオではないかと思います。
で、アルバム・タイトルの『Rio』はジョンが考えました。
レコーディングを終えたバンドは、今度は後に伝説的な話ににもなる?(少なくとも私の中では伝説です。)
ビデオ撮影のためにロケに出かけます。
このビデオ・ロケはまだ第一段階で、取り敢えず“Hungry
Like the Wolf”、“Save a Prayer”、“Lonely in Your
Nightmare”の
3曲をビデオの撮影を開始しました。
長い長い発展途上国での生活はメンバー達は上手くエンジョイできなかったみたいです。
ニックはホテルでクモを見付けて大騒ぎしたり、ジョンとロジャーは“Save
a Prayer”の撮影で象にまたがり、他の象にオシッコを掛けられたりしたとか。
スリランカでのビデオ撮影を終えたバンドはまだはリリース前ではありますがアルバム『Rio』のプロモーションも兼ねて初のワールド・ツアーをオーストラリアから開始します。
そしていよいよ日本のファンが待ち望んでいた初来日が実現しました。
日本では東京、大阪、名古屋の3ヶ所で計5回のコンサートを行いました。
やっと、この来日の後に私とDuran Duranが運命的な出会い?を果たします。
もう高校生に上がった私は学校帰りのある日、本屋さんへ寄って立ち読みをしていました。
ふと何気なく手に取った『ミュージック・ライフ』をパラパラめくっていると、グラビア一杯に写っているジョンとニックを発見!
その頃、私は洋楽というのはJapanしか知りませんでした。
Japanのデヴィッド・シルヴィアンやスティーヴ・ジャンセンが好きだった私は彼らに似ていて同じ雰囲気を持つジョンとニックを見過ごすはずがありません。
その日から、私はもうDuran Duranの虜になりました。
さらにDuran
Duranとの出会いをキッカケにこの歳(34歳)になっても直らない【ミーハー王道】を突き進むことになりました。
取り敢えずその日は『ミュージック・ライフ』を買ってDuran Duranについて調べたんです。
翌日、また本屋さんへ行って別の雑誌を買い漁りました。
あの頃は音楽雑誌も豊富にあって選り取り見取りでした。 『Viva
Rock』、『Rock Show』、『音楽専科』っていっぱいありました。
バンドはシングル“Hungry Like the Wolf”とセカンド・アルバム『Rio』を立て続けにリリースして、前回よりも少し規模の大きいアメリカ・ツアーを開始します。
このツアーの後半は“Call Me”でお馴染みのBlondieの前座を務めました。
ツアーの途中ではアンディがバンドのヘア・メイク担当のトレイシーと結婚。
この時は何も感じなかったのですが、今、思うと21、2歳で結婚って早いような気がします。
でもジョン・レノンもThe Beatlesデビューの時には結婚していたからイギリス人にしてみれば適齢期だったんだ。
アメリカでのツアーを終えたバンドは再びビデオ・アルバム用にロケへ出かけます。
今度の場所はアンティグア。
ここでは“Rio”と“Nightboat”の撮影を行いました。
“Rio”のビデオでスーツ姿でメンバーがヨットに乗っているのを見てマスコミは彼らを【ジェット族】と呼ぶようになりました。
確かにシルクのスーツを着てヨットに乗っているジョンなんかはカッコイイからウットリするんだけど、冷静に見れば変だよ。
噂ではこのビデオ撮影が元でサイモンのヨットの趣味が始まったらしいです。
この頃、さらに私は彼らに突っ込んで見たり聴いたりして、買う予定も無いのにロジャーが写っているからTAMAのドラムのカタログや
ジョンが写っているからARIA PROのギターのカタログを楽器屋さんで貰って来ていました。
やっぱりね、当時、私が一番のお気に入りだったジョン(今でも私の本妻だけど)はベースを弾いている姿が一番カッコ良かった!
そんなジョンをピクチャー・レコードでどうぞ。 どういう訳かこのレコードは持ってます。 CD全盛になってから手に入れたから聴いた事は無いけど。
8月の半ばにバンドはアメリカでのツアーを無事に終えて、一ヶ月後に控えるヨーロッパ・イギリス・ツアーの準備に掛かりました。
アルバム『Rio』の成功で二ヶ月半に及ぶ大きなツアーです。
この後、順調にツアーを続けていく中、リリースしたシングル“Save
a Prayer”は後一歩の所でイギリスでの1位を獲得できませんでしたが
バンドにとってこれまでで一番のヒットなりました。
この年、MTVのお陰でアメリカでも成功を収めたバンドはMTV主催の年越しライヴで1年を締めくくりました。