Duran Duran History - 1983
この年も新たなる飛躍に向けて様々な事が展開されていきます。
まずは1月にニックがロンドンのクラブでリマールと出会います。
この出会いによってニックはDuran Duranのプロデューサーであるコリン・サーストンと共同でKaja
Goo Gooのプロデュースを引き受ける事になりました。
このKaja Goo Gooのファースト・アルバム・プロデュースという作業がメンバーの中で最初のバンド以外の活動だったんです。
で、プロデュースの結果、Kaja Goo Gooのシングル、アルバム共に大ヒットしましました。
アメリカではシングル“Too Shy”だけのスマッシュ・ヒットに終わりましたが。
その頃、他のメンバーはフランスはコート・ダ・ジュールで優雅にバカンスを楽しんでいました。
昨年、たくさん儲けたお金で多額の税金を納めるよりは使ってしまおうと考えたんじゃないでしょうか?
他にも車好きのジョンはイギリスの高級車であるアストン・マーティンを購入したとかしないとか。
アストン・マーティンは今も昔も日本円で数千万円する高級スポーティ・カーです。
3月になって、去年、苦労して撮影したシングルとその他の曲のプローモション・ビデオがビデオ・アルバムとしてリリースされました。
その中にはニューシングル“Is There Something I
Should Know ?”のビデオも収録されていました。
この曲はなんとチャート初登場第1位!
この時、イギリスでのDuran Duranの人気は頂点に差し掛かったんではないでしょうか?
更に嬉しい知らせが。
昨年、リリースしたアルバム『Rio』がアメリカでプラチナ・ディスクを獲得しました。
約1年を掛けてバンドはアメリカでアルバム100万枚のセールスを記録したのです。
このプラチナ・ディスク獲得について、サイモンはこう語っています。
「シングルが売れると有名になるけど、アルバムが売れるとお金が儲かる。」
レコード市場規模として世界一のアメリカで100万枚も売れたことは大変な喜びだったでしょう。
6月、バンドはついにニュー・アルバムのレコーディングを始めました。
私はこの3枚目のアルバムっていうのはどのミュージシャンでも勝負をしなきゃいけないアルバムなんだと思います。
つまり1枚目、2枚目くらいまでのアルバムはデビュー前からライヴで演っていた自分たちの曲が豊富にあるわけです。
当然、ライヴでの経験やプロデューサーの意見を取り入れてより良い物に仕上げてリリースします。
そして1枚目、2枚目のアルバムでDuran Duranのようにある程度の成功を収めてしまうと、
今度はレコード会社から
「3枚目のアルバムを早く創って、ツアーをやってくれ。」
みたいな感じで急かされると思うんです。
急かされて自分たちが納得できないままアルバムをリリースしたくない気持ちはどのミュージシャンでも同じだと思います。
こんな思いがあってか3枚目のアルバムは予想以上に曲作りからレコーディングに時間が費やされました。
レコーディングを始めてすぐに、イギリスのチャールズ皇太子、ダイアナ王妃の呼びかけでベネフィット・コンサートが催されました。
当時、ダイアナ王妃はDuran Duranの大ファンで彼女のツルの一声でライヴに参加が決定したとか?
そういう理由でレコーディングを中断してイギリスに戻った彼らは十分なリハーサルを重ねましたが、
当日、会場には約半年振りのDuran Duranを観るためにティーン・エイジャーの女の子で埋め尽くされたようです。
で、以前、メンバーがテレビ出演をした際にウッカリ?好きなチョコレートの名前を言ってしまい、ファンから沢山のチョコレートが投げ込まれました。
不運は重なりロジャーのドラム・ペダルが壊れてしまうアクシデントも発生。
結局、自分たちの音が良く聴き取れないままライヴは終わりました。
今でもメンバー達が思い出したくもない(であろう)最悪なライヴになりました。
そんな羞恥な事をマスコミから払拭するためかサイモン、ニック、ロジャーが相次いで婚約を発表します。
サイモンはこの時発表したクレアとは婚約を破棄したんじゃなかったかなぁ。
レコーディングも終わりに近づいてきた頃、シングル“Union
of the Snake”がリリースされ
11月にリリース予定のアルバム『Seven and the
Ragged Tiger』のプロモーションでジョンとロジャーが来日しました。
この来日の時に2人は『笑っていいとも!』に出演します。
学校をサボって家でテレビを観ていた私は彼らが登場した瞬間は嬉しさよりも驚きの方が大きかったです。
もう1つこの来日時の出来事は、後に私がファンになるDef
Leppardのジョー・エリオットと遭遇したことです。
ジョンとジョーが握手している写真が雑誌に掲載されてました。
その後、私がDef Leppardようなハード・ロックを聴くにはPower
Stationの登場までの約二年の時間が必要でしたが。
そして待望のサード・アルバム『Seven
and the Ragged Tiger』がリリースされました。
私がファンになって初めて手にするリアル・タイムのアルバムです。 (再発売のデビュー・アルバムは別。)
当時のアナログ盤のライナーノーツには、ある日のライターさんの日常会話で
「デュラン・デュランのメンバーの顔の区別がつかなくなったらもうオジンだよ。」
っていう話が書かれてました。
私はメンバーの顔と名前はすぐに覚えました。 今でも覚えるのは早い方だと思います。
そして年が明けての1月には私が初めて体験するDuran Duranのライヴが待っています。