Duran Duran History - 1985

この年のDuran Duranはシングル1枚と数回のイベントで行ったライヴだけで、ファンから見れば開店休業状態でした。

ジョンのPower Stationに対抗して、ニック、サイモンが中心となってロジャーを含めた残りのメンバーが『Arcadia』というプロジェクトを開始します。
この頃は簡単に「動」のPowre Station、「静」のArcadiaと言われてました。
実際は一言では片付けられないほど複雑かな?とも思ったんですが…。

Power Stationはロック・バンド然りのフォーマットでプレイされレコーディングされていますが、Arcadiaはニック、サイモン、ロジャーを核として、そこで作り上げた楽曲を多種多様なゲスト・ミュージシャンで仕上げていくレコーディング・スタイルでした。
レコーディングは主にパリで行われ、ゲスト・ミュージシャンとして
デヴィッド・ギルモア、カルロス・アロマー、土屋昌巳、グレイス・ジョーンズ、スティング、ハービー・ハンコックなどがクレジットされています。
このArcadiaのアルバム・プロデュースはアルバム『Seven and the Ragged Tiger』と同じアレックス・サドキンとArcadiaで行われています。
レコーディングに参加した土屋昌巳さんの話によるとサウンドの実権を握っていたのはニックだそうです。

         

3月にはPower Stationのシングル“Some Like It Hot”がリリースされます。
このタイトルはマリリン・モンローの主演映画『お熱いのはお好き?』の原題と同じタイトルでしたが、内容は特に映画からはインスパイアされていないようです。
このDuran Duranのサウンドからは想像も出来ないようなハードなサウンドは、LAメタルのムーヴメントに火が付き始めていたアメリカの方がヒットしました。
簡単にジョンの影響を受ける私はPower StationがきっかけでLAメタルなどのハードロックも聴くようになっていきます。
この頃からDuran Duranは目立った活動をしなくなってグラビアに占める割合が減ってきてます。
で、代わりにグラビアを飾ったのはBon Jovi(別にLAメタルじゃない)やMotley CrueやRattだったんです。

Power Stationのレコーディングを終えていたジョンは、今度は映画『007』のプロデューサーに会ってメインテーマをDuran Duranに演らせてくれないか?と話を持ち掛けます。
ジョンはメンバーの中でも大のジェームズ・ボンド・フリークで、『007』のメインテーマを演る事は夢だったのではないでしょうか?
念願叶って春には007シリーズ第14作目の『A View to a Kill / 美しき獲物たち』のメインテーマをレコーディングします。
この時はメンバー誰もこのシングルが史上最強のDuran Duranでリリースする最後のシングルだとは思ってもいなかったのでしょう。

簡単に『A View to a Kill / 美しき獲物たち』のストーリーを紹介します。
ゾーリン産業で生産されているマイクロチップが東側に流れている事について調べていたジェームズ・ボンドは社長のマックス・ゾーリンのある計画を知ることになります。
ある計画とはマイクロチップなどの半導体市場を独占したいマックス・ゾーリンはカリフォルニアのシリコンバレーを壊滅する作戦でした。
ボンドは任務を受けてゾーリンのシリコン・バレー壊滅計画を阻止しようとします。
(当時はまだアメリカとソ連の間では冷戦時代だったんです。)

ロジャー・ムーア、最後の作品ということもあって年老いたボンドのアクション・シーンは少なくDuran Duranのハードな楽曲と映画本編はイマイチ合わなかったような気がします。
ちなみにジョンが一番好きなボンド映画は60年代の『Gold Finger / ゴールド・フィンガー』です。

Arcadiaのレコーディングが長引き始めた頃、ジョンはPower Stationでツアーをやる決意をします。
当初、Power Stationのプロジェクト計画にツアーは無かったのですがArcadiaが終わる気配が無い。すなわちDuran Duranを再開できない苛立ちを解消するためにツアーを開始したといわれてます。
が、Power Stationで得た人脈やキャリアを早く次のアルバムで生かしたかったロバートはツアーには参加しませんでした。
替わりに元Silver Headのマイケル・デ・バレスをヴォーカリストに迎えツアーは敢行されました。
このツアーはアルバムが売れたアメリカ・カナダだけをツアーするという小規模なものでした。

このツアーの途中にあの『Live Aid』への出演します。
Power Stationは勿論、サイモン、ニック、ロジャーもロンドンからフィラデルフィアに集まりDuran Duranとしても出演しました。

私はこの模様を徹夜で観ていましてビデオにも収めました。
徹夜で観ていたせいか日本時間の朝4時ごろに不覚にも私は寝てしまったのです。 ちょうどロンドンでのライヴが終わる頃です。
ポール・マッカートニーの“Let It Be”を聴き、季節はずれの“Do They Know It's Christmas ?”を聴いた頃でした。
数時間後、目を覚ました私は急いで新しいテープをデッキにいれ録画を再開。
ちょうど再結成されたLed Zeppelinが始まるところでした。
この時はLed Zeppelinなんか知らなかったんですが、2年後、ギターのジミー・ペイジは私のヒーローになってました。
Duran Duranはもう出演が終わってしまったのか?という不安が頭をよぎります。
しかしDuran Duranはこの時点ではまだ出演していませんでした。 Power Stationは終わっていたみたいですが。
日本のスタジオの映像と衛星放送の映像とが交互に切り替わる中、ついに我らがDuran Duranの登場です!
1曲目は最新シングルの“A View to a Kill”でした。 間髪入れずに“Union of the Snake”です。
ここでサイモンのMCを挟み“Save a Prayer”が演奏されました。
“Save a Prayer”が終わり、更にサイモンが
「エネルギーが余っていたら踊ってくれ!」
というような事を言って(同時通訳ではこう言っていました。) “The Reflex”でこのライヴは締めくくられました。
私は観ていて
「もしロンドンで出演していたらもっとウケは良かったんだろうなぁ。」
と思ったものでした。

以上でこの5人のメンバーによる『最後のライヴ』は幕を閉じました。

『Live Aid』が終わってしばらくするとArcadiaのレコーディングも終わりました。
が、9月になって5人が再びDuran Duranの名の元に集まる約束が交わされていたにも拘わらず、サイモンがヨットの世界選手権に出場しました。
結果的にこの時点で集まれなかったバンドはアンディのソロ活動の開始による脱退とロジャーのミュージック・ビジネスからの引退を招くことになりました。

そしてアルバムのリリースから一年が経とうとしていた頃にようやくライヴ・ビデオ『Arena』がリリースされました。

 

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