1985年6月・5日目〜6日目


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[5日目]
石北本線その2
函館本線
函館市電
[6日目]
青函連絡船
東北本線

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石北本線その2


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網走〜旭川
旭川〜札幌
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[網走〜旭川]
斜里から乗ってきた急行しれとこを降り、ホームで列車を待った。
そのうち改札が始まり、お客が集まってきた。と言ってもそれほど来るわけでもない。お客が集まると列車がやってきた。急行大雪である。

それは青い列車で、座席はいつも帰省に使っている普通列車とそれほど変わらないものだった。ともかく生まれて初めての夜行列車である。

ぼくは車両の端の2人がけ座席にすわった。ここ以外は4人がけボックスシートだったからである。しばらく待つと大雪は発車した。

闇の中を列車は進んでいく。夜行列車に確かに今乗っているんだなあと感じる。はたしてフェリーで眠れたように列車でも眠れるかなあと思いながら、ぼくは眠っていった。

ふと目を覚ました。腕時計を見るとまだ午前3時を過ぎたところである。それなのに窓の外は明るい。ひゃあ、6月の北海道ってこんな時刻に日の出なんだなあと驚いた。

そしてしばらくすると大雪は旭川に着いた。当時は「あさひがわ」というアナウンスだったと思う。
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[旭川〜札幌]
この駅で降りる客もいる。その中の青年の1人が、なぜか無言でぼくにビッグコミックスピリッツを手渡した。どういうことなのかよくわからなかったが、読み終わったのでいらないからあげるということなのだろう。

そんなわけで旭川からはビッグコミックスピリッツを読んで過ごす。網走近辺とは違い平野のようで、明るくなると平野の景色が見えだした。

だんだん景色が市街地の風景へと変わっていき、すっかり都会となったところで終点札幌到着となった。

次の函館行き特急北斗までは45分あるので、いったん駅の外に出て何かお店でもないか探してみた。

しかし、なぜか駅の外には銀行しかない。あんまり都会過ぎても駅前に店がなくて不便なんだな、駅前にお店があるような駅が便利だな、と思った。

ともかく今回札幌は観光しないため、これが札幌初体験でそのまま出発となったわけである。またぼくは改札へと戻っていった。
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函館本線


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札幌〜函館
函館駅〜五稜郭公園
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[札幌〜函館]
網走から乗ってきた急行大雪を札幌で降りていたぼくは、ふたたび改札に行き、きょうで役目を終える北海道ニューワイド周遊券の道内用の券を見せて通った。そして特急北斗の出るホームに向かった。

しかしホームはすでに行列ができていた。しかたがないので行列のうしろに並ぶ。北斗がやってきたので車両に入ってみたが、席はいっぱいらしいのでデッキに立つことにした。

北斗は発車し、札幌の市街地を離れていく。札幌は市街地が広く、しばらく家並みの多いところを進む。その家並みもどことなく本州とは違うような気がする。どこがどう違うのかときかれても困るけど。

家並みがとぎれると急に広々とした平原が続く。そして出発地の苫小牧を過ぎる。すると海が見えてきた。きのうのオホーツク海もきょうの太平洋も、晴れているときはおだやかな海だな、と思った。

登別でまとまった客が降りた。席をのぞいてみたら空席があったのですわる。さらに進む。
海が見えたり見えなくなったりしながら進んだが、さすがに長旅で、きのうは夜行急行大雪にゆられてきたので疲れており、眠ってしまう。

起きたら終点函館が近づいている。北斗は市街地に入り、終点函館に到着した。北斗を降り、駅の外に出る。話に聴いたとおり市電が見えた。
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[函館駅〜五稜郭公園]
函館では、夜景を見て深夜0:40の青森行き青函連絡船に乗ること以外、何も予定が決まっていない。とりあえずお昼なのでどこかで昼食にしよう。ケンタッキーフライドチキンがある。ここでいいか。

なにしろ金が残り少なくなってしまったためぜいたくもできず、フライドチキンで昼食である。

それから、トラピスチヌ修道院にでも行ってみようかと思った。市電に乗ろうかとも思ったが、なにしろ金が足りないので東に向かって歩くことにした。てくてく歩いた。

函館の市街地は広く、家もたくさんある。もっとも札幌ほどではないのだが、当時札幌はすどおりだったので、函館は広いなあと思った。

そのうち五稜郭という停留所に来た。五稜郭にでも行ってみるか。
五稜郭に着いた。タワーがあった。でもたぶんタワーは別料金だろうなあと思い、五稜郭公園なら無料なのでタワーに上らず公園に行くことにした。

星の形のかこいで囲まれた公園は、植物が元気に育つ緑の多い公園であった。歩き疲れたため、しばらく公園でぼーっとしていた。そしてふたたび東に向かって歩き始めた。
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函館市電


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市電
函館駅前〜函館山
夜景
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[市電]
五稜郭公園を出て、市電に沿って東に進む。トラピスチヌ修道院はたぶんこの市電の終点まで行って、さらに先だろう。まずなんとか市電の終点まで行こうと思い、歩き続けた。
しかしもうだめだ。1週間の疲れが足に来たようだ。なんとか終点の湯の川の近くの停留所まで来たが、もう進めない。

市電で函館駅前まで戻った方が良さそうだ。ぼくは停留所で市電を待って乗った。

はじめての市電である。自動車免許を取った時、本の中に路面電車という言葉があったが、路面電車というものがはたしてどういうものなのかさっぱりわからなかった。でもこれがそうらしい。

道路の中央を電車が進む。信号で停まり、交差する自動車が通るのを電車が待つ。そして電車自体はバスみたいな規模である。
ぼくは今までほとんど国鉄しか乗っておらず、唯一乗っている私鉄は京浜急行くらいだったので、こんな電車があるんだなあと思った。

運賃はなんと均一料金で、160円であった。ああ、こんなに安いなら最初から乗っておけば良かったなあと思った。
この次に函館に来る時は、市電で湯の川まで行って、トラピスチヌ修道院まで歩こうと思いながら函館駅前で降りた。
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[函館駅前〜函館山]
そこから夕食を食べるところを探し、ちょっと歩いたところのそば屋で夕食を食べた。
ここのそばはどこでも食べられる味であった。

まずくはないが、やっぱり北海道では海の幸を食べた方がいいのかもしれない。
しかし金が少なくなってしまった。今日はこんなものでいいだろう。

そしてまた駅に戻り、いよいよ函館山にのぼるバスに乗る。
思ったよりバスのお客は少ない。前後には自家用車がかなりある。ロープウェイも動いているようだ。

バスからは函館の市街地が見える。バスがのぼっていくと、市街地がはっきりとした形になって見えてきた。バスはつづら折りの道をのぼっていく。

そして山頂の駐車場に着いた。かなりたくさんお客がいるようだ。やっぱりバス以外で来る人が多いのだろう。
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[夜景]
まずは展望台まで行ってみることにした。まだ暗くなっていないが、函館市街がはっきりと見える。水曜木曜と雨だったが、土曜の今日が晴れたのは幸運だろう。

「写真撮ってくださーい。」

カップルがカメラを渡してくる。ぼくは写真を撮った。
そしてカメラを返す。カメラは持っていないぼくだが、こうやって写真をたのまれるのはいつ以来だろうかと考えた。

そのうちだんだん暗くなってきた。

「あのね、こうやって両手で目隠しするでしょ。それで30数えて目隠しを取って景色見るでしょ。そうすると景色がキレイに見えるって聞いたわよ!」

カップルの女の子が男に言っていた。いいことを聞いたのでぼくもやってみた。
1、2、・・・、30!パッ!わあ、きれいだあ!

日の長い6月の北海道であるが、だんだん暗くなって、よりあざやかに夜景が見えるようになってきた。

夜景と反対方向を見ると、しずんでしまった太陽の方向がまだぼんやり明るくなっている。
海の中にぽつりぽつりと明かりが見える。どんな船なのだろう。ほかにも明かりが見える。
函館市街地の夜景もいいが、反対側の夜景もけっこういいものだ。

もう1回カップルの写真を撮ると、帰りのバスの時刻になったようだ。
ぼくはバスに乗り、函館駅に向けて出発した。もうこの旅行の観光地は終わりだ。
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青函連絡船


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函館山〜函館駅
函館〜青森
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[函館山〜函館駅]
函館山から函館駅行きのバスに乗った。
対向車線の山をのぼる道は延々と自家用車や観光バスが列を作って渋滞している。

くだりの道も多少混雑している。今日ぼくが乗る青函連絡船は夜12時過ぎだし、なんとかなるだろう。
バスからも夜景は見えていたが、標高が下がり、ようやくいつもの市街地の風景になった。そして道を進んで函館駅に着いた。

まだ青函連絡船に乗るまで数時間ある。待合室で待つことにした。
あした寮に帰ってしまうのが惜しい気もした。こんな旅行は学生時代には二度とできないだろうなあと思いながら待つ。

時間になった。北海道ニューワイド周遊券の函館からの乗車券を見せて改札を通り、いったん船を待つ列に並ぶ。

まだ時間があるのでポケットラジオでも聞くことにした。

月曜に聞いた岡田有希子ちゃんの番組が別の放送局でやっていたが、さらに別の放送局で今年デビューした松本典子ちゃんの番組をやっていたのでそっちを聞くことにした。
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[函館〜青森]
けっこうおもしろい番組だなあと思いながら聞いているうちに船に入ることになった。ラジオの電源を切って進む。

青函連絡船も苫小牧行きのフェリーと同じく二等に乗る。
またじゅうたんの敷いてある船室に行くと、ぼくは荷物入れに頭を突っ込み、脚で自分の荷物をはさんで横になった。

これでたぶんまわりの人の声があまり聞こえなくなるし、照明もまぶしくなくなるだろうと思ったからである。

さすがに夜行の急行大雪に乗り、夜行2回目なのでたちまち眠ってしまい、船が動いたのも気がつかなかった。

そしてたちまち下船のアナウンスが聞こえた。お客の数は苫小牧行きフェリーよりずっと多いようだった。

また通路を通り、青森駅へと入っていった。はじめての青森県である。特急はつかりがすぐ接続していたが、特急料金が払えないほど金がなかったため、2時間後の普通列車に乗るためぼくはいったん青森駅の外に出ることにした。
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東北本線


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青森駅
青森〜盛岡
ラジオ
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[青森駅]
青森駅を出た。今は日曜の朝5時である。ぼくは普通列車を乗り継いで帰ろうと思った。盛岡行き普通は午前6時半過ぎである。どこか朝食を売っていそうな場所はないかな。

ぼくは駅から続く通りを進んでみた。シャッターが降りた通りである。この通りには開いているお店はなさそうだ。
ぼくは左へ、海岸の方向に曲がってみることにした。

細い道だったが、なぜか開いている一軒の店があった。非常にありがたい。

ぼくはパンとポカリスエットのボトルを買った。そして駅に戻って待合室で食べる。
こうやって駅のまわりをあてもなくぶらついて、商店を見つけるのも楽しいなあと思った。
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[青森〜盛岡]
ようやく改札が始まり、ぼくは盛岡行きの普通列車に乗った。ボックスシートの客車である。ぼくは乗るとたちまち眠ってしまった。

起きるともう盛岡に着いていた。階段を上がっておりて一ノ関行きに乗る。

そう言えばもしここが盛岡だったら、NHKのラジオの周波数が531kHzだったっけなあと思い出した。
ためしにポケットラジオのスイッチを入れて周波数を531kHzにすると、本当だ、聞こえた。
間違いなくここは盛岡だな、と思った。
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[ラジオ]
スイッチを切ると満足してぼくは眠ってしまい、やはり一ノ関に着くまで起きなかった。

いよいよ仙台行きである。乗り換えるとまた眠った。

ふと目が覚めた。窓の外には一面の田んぼがあった。ここはもう宮城県なのだろうか?
ためしにまたラジオをつけ、1260kHzにしてみた。ああ、なつかしい。東北放送の石川太郎アナウンサーの声だ。

ぼくは、帰ってきたんだな、という思いを胸に寮へと帰っていった。あしたからまた退屈な生活が始まる。
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