病床小アキラ 11 - 15
(11)
夕暮れが近付いても大きなボタン雪はしんしんと降り続いています。ようやくお仕事が終わった
お父さんは、外から帰ってくると急いでアキラくんのお部屋に行きました。
右手にぶら下げたビニール袋がおかしな程似合いません。
「おや」
そぅっと障子を開けたお父さんは、お部屋のはしっこにいる2人を見て目を細めます。
「サルの親子がいるのかと思ったよ」
「なんですかそれは……」
緒方さんにくったりと抱き着いたまますっかり寝入ってしまったアキラくんを改めて抱え直して、
緒方さんは憮然としました。
「ハハハ、この間テレビで温泉に入るサルというのを見てね。仲睦まじげな様子が似てるよ」
お父さんは口許を押さえてクスリと笑うと、手に持ったビニール袋をがしゃがしゃさせながら中に
入ってきました。部屋の中が暗くなっているのが気になったのでしょう、途中で立ち止まって電灯
の紐を引っ張りました。ちっちゃなアキラくんが手を伸ばして届くように、電灯の紐にはリボンが
括り付けられています。リボンの端には緒方さんが持ってきたウサギちゃんのキーホルダーが
ぶら下げられていて、紐が揺れるたびにチリリと鈴の音を響かせました。
(12)
「アキラの具合は? どうかね」
「少し元気になりましたよ。薬はまだ飲ませていませんけど、リンゴを半分くらい食べました」
そういえば。お父さんは後ろを振り返りました。アキラくんのお布団の傍にあるお皿にはウサギ
型のリンゴがころんと転がっています。
「眠ったのはついさっきです」
離れている間中、お父さんはアキラくんが心配で心配でたまらなかったのです。何度も家に電話を
かけてアキラくんの様子を聞こうと思いましたが、アキラくんが眠っているかもしれないと思うと
それもできず、じれったい思いをしていたのでした。
ウンウンと頷きながら、お父さんはいそいそと右手をアキラくんのおでこに持っていきます。
「――先生。冷たい手でアキラくんを触るとアキラくんがびっくりして目を覚ますんじゃ…」
アキラくんのおでこに触ろうとした瞬間に、緒方さんから冷静な意見を出されてお父さんは慌てて
手を引っ込めました。そして自分の袴でごしごしと両手を擦り合わせます。
「…もう触っても大丈夫だろうか」
手のひらを緒方さんに見せて、お父さんは真剣な表情で訊ねてきます。
(大丈夫かもしれませんが、それでは肝心のアキラくんの熱が判らないのでは――)
緒方さんは心の中で突っ込みましたが、お父さんは眠っているアキラくんのおでこにそろそろと
右手をあてました。
(13)
「まだ少し熱があるな……。まぁ、薬を飲ませるほどではないかもしれんが…」
「ん……ぅ?」
お父さんの声が聞こえたのか、はたまたやっぱりお父さんの手が冷たくてびっくりしたのか、
アキラくんは2人の見ている前でぽっかりと目を開けました。
「――アキラ。具合はどうだい?」
アキラくんを起こしてしまったことに気づいて固まってしまったお父さんは、すぐに我に返って
アキラくんの頭を優しくナデナデします。
「あ…おとうさんだ〜」
不思議そうに緒方さんを見上げて、そしてすぐお父さんに気づいたアキラくんは手を伸ばして
お父さんにだっこをせがみました。
お父さんは目を細めてアキラくんを抱き上げます。腕の中の温かい重みがなくなり、緒方さんは
その代わりにアキラくんがくるまっていた毛布を抱きしめました。
「私がいない間、いい子でねんねしてたかい?」
「うんっ。ねぇおがたくん」
アキラくんは目をキラキラさせながら、立ち上がった緒方さんの眼鏡に手を伸ばします。するり
と眼鏡を取りあげられても緒方さんは慌てず、アキラくんのぷくぷくしたほっぺに手の甲で触れました。
「ええ。――とてもいい子でしたよ」
部屋の真ん中で大人2人が子供をあやす様子は少し不気味でもありましたが、幸いなことにその
ことを突っ込む人は誰もいませんでした。
(14)
アキラくんが起きてしまったので、そのまま夜ご飯になりました。
「ねえおがたくん、おいしいねぇ」
とろとろ半熟卵のオムライスをうさぎちゃんスプーンでぐちゃぐちゃにしながら、アキラくんは
上機嫌です。ほっぺたが赤いのは相変わらずですが、アキラくんは大分元気になり、一人で椅子に
座ることができるようになりました。緒方さんに抱っこされて眠ったのがよかったのでしょう。
「ホラ、ぐちゃぐちゃにしないでちゃんと食べなきゃね」
アキラくんの小さなお口のまわりには、半熟卵の黄色とケチャップの赤が景気よく混ざりあって
います。隣りに座っている緒方さんはティッシュを一枚取ると、お湯で湿らせてアキラくんの顔を
ゴシゴシしました。
「ねぇねぇ、おがたくんもおいしい〜?」
「おいしいよ」
緒方さんはアキラくんがはじっこに寄せているニンジンをこっそりご飯に戻しながら頷きます。
「おとうさんは〜?」
アキラくんはくるんと振り向くと、正面に座っているお父さんに訊ねました。お父さんのお皿にも
アキラくんと同じとろとろ半熟卵のオムライスが半分くらいまで残っています。ちょうどてっぺんに
日の丸の旗が刺さっていて、お父さんはいつも最後までその旗を倒さずに食べることを信条として
いました。今から旗の周囲3センチを残して手前側を食べる作戦のようです。
「おいしいとも。緒方くんは料理が上手だな」
(15)
「おいしいねぇ」
アキラくんははぐはぐとオムライスを頬張ってしみじみ繰り返すと、カップに手を伸ばしました。
プラスティックのカップに入っているかぼちゃのスープは缶詰めを牛乳でのばしたものですが、栄養が
たくさん入っています。少し温くなったったそれを、アキラくんはカップを両手で持ってコクコクコクと
一気に飲みほしました。
ふぅっと息を吐いたアキラくんを、お父さんと緒方さんは微笑みながら見つめています。緒方さんの
お皿はすでに空になっていて、お父さんのオムライスの旗は残念ながら志半ばで倒れていました。
「ごちそうさま〜」
アキラくんはぺこりと頭を下げます。ごはんを残さず食べるといつもお父さんが褒めてくれるので、
アキラくんは今日も頑張りました。
案の定、お父さんはエライエライとアキラくんの頭をポンポンと撫でてくれました。その度に裾から
香るお父さんの匂いは、緒方さんの匂いとは全然違いますが、アキラくんの大好きなものです。
「ねぇおとうさん、おそとであそんでもい〜い?」
「今日はもう暗くなっただろう、無理だよ」
アキラくんはクチビルを尖らせて、上半身を前後に揺らしました。アキラくんなりの不満の表現です。
「じゃああしたは〜〜?」
「それは明日にならないと判らんな。――さあアキラ、薬を飲みなさい」
緒方さんがキャップに注いでくれたイチゴ味の風邪薬を、アキラくんはコクンと飲みました。
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