病床小アキラ 31 - 35


(31)
 ブルブルと震えているアキラくんの小さな手を自分の懐に入れて、お父さんは溜息を吐きました。
 ウサギの心配をする前に、アキラくんはまず自分の心配をしなければなりません。
「凍えてしまうのはおまえの方だよ。そんなに外に行きたいのなら、ちゃんと暖かくしてからだ」
 お父さんはアキラくんを抱えたまま冷たい廊下を戻ると、アキラくんを緒方さんのお布団の上に降
ろしました。
「服を持ってくるから、アキラは緒方くんに温めてもらっていなさい」
 確かにアキラくんのお布団もお父さんのお布団も、毛布が捲られたままになっていたのですっかり
冷たくなっているようです。
 アキラくんはコクンと頷くと、モソモソと緒方さんのお布団の中に潜り込んでいきました。
 お父さんはアキラくんがきちんと緒方さんのお布団の中に入るのを確認したあと、肩をぐるぐる
回しながら長い廊下を歩いていきます。背中のある一点に痛みが走りました。
「いかんな…。歳か?」
 お父さんは苦虫をかみつぶしたような顔をしてさらに身体を右に捻ってみます。鈍い痛みは気の
せいではありませんでした。
「いかんな」
 ジャンプしたアキラくんを夢中で抱き留めたとき、背中の筋を違えてしまったようでした。


(32)
 耳を澄ますと、お父さんの控えめな足音がどんどん小さくなっていきます。
 アキラくんの身体が冷え切っていたせいか、緒方さんのお布団の中は信じられないほどに暖か
でした。
 お父さんに言われたとおりに、アキラくんはごそごそとお布団のトンネルを潜っていきます。
「あったかーいね。ほんとあったか〜い、ねぇ」
 アキラくんはブツブツ独り言を言いながら、緒方さんのシャツにタッチしました。ぐっすり
眠っているらしい緒方さんの背中はとてもぽかぽかしています。アキラくんは両手両足で緒方
さんの背中におサルのようにしがみつくと、両方のほっぺたをこすりつけてうっとりしました。
「ぽかぽかしてるねぇ……」
 緒方さんの背中はちっともふかふかではありませんが、その暖かさはまるで、お日さまをいっ
ぱいに浴びたお布団のようです。
 アキラくんはしばらくうっとりしたあと、ほっぺたを真っ赤にしながら、緒方さんの身体を
軸にして枕上を目指しました。
 お布団の中にずっと潜っていると、息苦しくなってくるのです。
 やがて、背を向けて眠っている緒方さんのすぐ隣に顔を出すと、アキラくんは冷たい空気を
お腹いっぱい吸い込んでふうっと吐き出しました。すると、緒方さんの薄茶色の髪の毛がふわ
ふわ揺れます。アキラくんは楽しくなって、深呼吸を繰り返しました。


(33)
 そうこうしていると、緒方さんの背中が大きく震えました。そしてさらにお布団の中に潜り
込もうとするのを、アキラくんは慌てて起き上がって阻止します。
「ねぇねぇおがたくん、まだねんねなの〜?」
 アキラくんの手はまだ冷たいのか、緒方さんのほっぺたをペタペタ叩くと、緒方さんは一層
ビクリと身体を震えさせ、『そうだよ。まだねんねなんだよ』と投げやりに呟きました。
 その様子はなんだか怒っているようでした。でも、まだ3歳のアキラくんはまだ緒方さんに
本気で怒られたことがないので怖くも何ともありません。
 今度はお布団の上から緒方さんの上に乗りあげると、アキラくんは緒方さんの腕の真上にお
腹を乗せてゆらゆらとバランスを取って遊びはじめてしまいました。
「おがたくんはあついねぇ」
「……あつい?」
「とってもぽかぽかしているよ」
 アキラくんはまた両手を緒方さんのほっぺたにぎゅっと押し付けます。
「ね?」
 緒方さんは大きく溜息を吐くとお布団の中でもぞもぞしながら身体を動かして、アキラくん
の方をやっと向きました。瞼を薄く開けて、けだるそうに何度も瞬きをしています。
「――アキラくんの手はね…。氷のように冷たいよ……」


(34)
 アキラくんはパチパチと目をしばたかせると、緒方さんのほっぺたに押し付けていた両手を
自分のほっぺたにくっつけました。緒方さんのおかげで温かくなったのか、アキラくんの手の
ひらはひやっともしません。アキラくんは眉根を寄せました。
「あれぇ?」
 小さく首を傾げて、アキラくんは緒方さんの顔に自分の顔をぐぐっと近づけます。
「おがたくん、おかおまっかね」
「そう……?」
 緒方さんは億劫そうに枕元に手を伸ばすと、置いていた銀色のフレームの眼鏡を取り、ノロ
ノロと耳にかけました。眼鏡をかけていても視線をあちこちに動かすことが苦痛で、そしてこ
の感覚には覚えがありました。
 発熱です。
「しまったな。熱が出たか…」
 緒方さんは舌打したい気分になりました。
 自分の手で額に触れても、同じく体温の上がった手のひらでは熱のあるなしがわかるはずも
ありません。しかし緒方さんは、切ない気分で手の甲をおでこに乗せてみました。
 先程からの悪寒はずっと続いていて、あまり楽しくない予想が脳裏を駆け巡っています。


(35)
「ええっ! おがたくんもおねつがでちゃったの〜?」
 アキラくんは驚いて、それから慌てて緒方さんの身体の上から降りました。緒方さんの顔の
前にちょこんと正座をし、心配げに首を傾げています。緒方さんは自分に熱があることを知り
余計辛くなったようでした。腕を額の上に乗せて、深く溜息を吐いています。
「多分ね。……アキラくん、お父さんは?」
「おそとに出るの。おがたくんにあっためてもらいなさいって」
「そう。……入る?」
 緒方さんはお布団の端を持ち上げて、アキラくんに『おいで』と促します。しかしアキラく
んは頭をフルフルと振って立ち上がりました。
「ボク、おとうさん呼んでくるね!」

 そのころ、お父さんはアキラくん用タンスの前に座り、アキラくんに穿かせる真っ白なタイ
ツを探していました。長袖のネルシャツと白いタイツの上から黄色のぷーちゃん着ぐるみを着
せ、それから半纏と靴下と長靴で防寒対策はバッチリです。もちろん手袋とマフラーと帽子は
必須なのですが、それらは既にコタツの中に入っていました。


(36)
12-891 :のんびり屋sage :02/08/12 21:25 ID:???
「明子は…確かここにいれていたはずなんだが……」
 お父さんはゴソゴソとアキラくん用タンスを漁っています。アキラくんのタンスの引き出し
の中はパンツもシャツも全部真っ白なので、洗濯物に慣れていないお父さんはもう何が何やら
訳が分りません。
「あれが旅行に行く前に、聞いておくべきだったな」
 お父さんは呟いて、ガコンと引き出しを閉めました。溢れかえったアキラくんのおパンツが
少しはみ出ているのはご愛敬です。
 何気なくお父さんが一つ上の足袋専用引き出しを開けてみると、整然と並べられた白や黒の
足袋の隙間に、丸く畳まれたアキラくんの厚手の白いタイツを発見しました。
「ああ、あったあった」
 小さく畳まれたタイツは握り締めると丁度いい感じに弾力があり、手のひらのコリが解され
ていくような気がします。お父さんはしばらくグニグニとアキラくんのタイツを握り締めて、
手のひらをリラックスさせるのに夢中になってしまいました。
「あっおとうさん!」
 そんな時です。てててててっと小さい足音が聞こえてきて、アキラくんが鉄砲弾のようにお
父さんの膝裏に抱き着いてきました。お父さんは膝がカックンとなるのを辛うじて堪えます。
「おがたくんが、たいへんなの!」



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