病床小アキラ 16 - 20


(16)
 片付け魔の緒方さんは皆の食事が終わると、いそいそとコタツの上の食器を重ねて台所に運んで、
そのまま食器洗いに入りました。
「ああそうだアキラ、おみやげがあるずぉ?」
「おみやげっ!?」
 体が冷えないようにと、コタツの中に潜り込んでいたアキラくんはもぞもぞと中から這い出して
きて、オレンジ色のコタツ布団の中からぴょこんと真っ赤な顔を覗かせました。
 お父さんがアキラくんだけにお土産を買ってきてくれることはあまりありません。対局で地方に
行く時は、アキラくんの分も他の門下生と一緒くたにされてしまい、先日も箱に入った『生八つ橋』
を見て、アキラくんは少し悲しい思いをしていたのです。嫌いじゃないけど、アキラくんもたくさん
食べちゃったけれど何となく少し悲しかったのです。
「ああ。頑張って寝ていたご褒美だ」
 そう言って立ち上がると、お父さんはアキラくんの頭をひと撫でして冷蔵庫に向かいました。
 台所では、緒方さんはここぞとばかりにコンロにこびりついた汚れをこそげ取っています。
「緒方くん。キミの分も買ってきたけど、食べるかい?」
「何をです?」
「アキラの好きなプリンだよ。体が火照っているだろうから冷たいものがいいだろう」
「プリン…ですか」
 ヘラでコンロを擦っていた緒方さんの動きが止まりました。


(17)
「プリンー!」
 アキラくんは喜んで立ち上がると、ほっぺたに両手をくっつけました。
「座りなさい。お皿に出してあげよう」
「うん!」
 お父さんは持ってきた白いお皿の上に、アキラくんの大好きなプリンを2つプッチンして、
アキラくんの前に一つ、自分の前に一つ置きました。
「おがたくんのぶんは〜?」
 自分とお父さんの分しかプリンが置いていないことに気づいたのでしょう、アキラくんは
眉をきゅっと寄せてお父さんを見上げます。小さいアキラくんは、いつのまにか他人を気遣
うことを覚えていました。
 ついこの間までは、緒方さんの分のプリンもなんとかして食べようとしていたあのアキラ
くんが、です。
 お父さんはその成長ぶりに気づいて、目尻に涙がじわじわと浮かんでくるのを止めること
ができなくなりました。
「緒方くんは今日はもうお腹がいっぱいでいらないそうだよ」
 袖口でそっと涙を拭い、お父さんはアキラくんの手にスプーンを握らせます。こちらもや
はり、プラスティックでできたオレンジ色のウサギちゃんスプーンでした。
 フーンと一つ頷くと、アキラくんは早速お皿を揺らして、プリンのプルプル加減にうっと
りします。プリンが揺れるたびにカラメルソースが零れそうになるところなどは、アキラく
んにとって非常にスリリングな事柄なのです。


(18)
 アキラくんはお父さんが食べはじめたのを知ると、小さなお口をいっぱい開けて、最初の
2口をスプーンですくって食べました。おいしいカラメルのところをすいすいと食べると、
あとはお皿を傾けてちゅるりと呑み込みます。かくして、アキラくんはお父さんがまだ
半分も食べ終わらないうちに大好きなプリンを全部食べてしまったのでした。
「ほんとにねぇ、プリンおいしいねぇ」
「ハハハ、そうかそうか。あとで緒方くんの分も食べるといい」
 お父さんは何の気なしに言った言葉でしたが、ぽすんとお父さんの膝の上に座ったアキラ
くんは頭をナデナデされながら、難しい顔をして右に左にと首を傾げています。
「? どうした?」
 お父さんがプリンを食べようとすると、アキラくんのまっすぐな黒髪がユラユラ揺れて邪魔
をします。もちろん、アキラくんにそんなつもりはこれっぽっちもないのですが、お父さんは
苦笑してアキラくんをひょいと抱きかかえました。愛息子の顔を覗き込むと、いっちょまえに
眉根を寄せているアキラくんの表情が可愛いいやら可笑しいやらで、お父さんは込み上げてく
る笑いを堪えるのに一生懸命です。


(19)
「アキラ。もしかして頭が痛いのか?」
 お父さんはふいに真顔になってアキラくんの目を覗き込みました。
 アキラくんは高い熱を出して、さっきまで寝込んでいたのです。
「ううん」
 アキラくんは右に左にと傾けていた首をまっすぐにしました。そこを捕まえて、お父さんは
アキラくんのおでこに自分のおでこをくっつけます。――大丈夫です。まだすこーし普通より
温かい感触がありましたが、心配するほどのことではありません。
 お父さんはほうっと息を吐き出して、アキラくんを膝の上に降ろしました。
「熱が下がったようだな。…何を考えていたのかい?」
「んっとね……。わかんなくなっちゃったー」
 テヘっと笑うアキラくんを見て、お父さんもフフと笑います。
「そうか。わかんなくなっちゃったか」

 切り取られたような黒い空から、雪がまた少し降ってきました。


(20)
 フンフンフーン♪と鼻歌を歌いながら緒方さんが入ってきました。いつもより時間をかけて
台所を自分好みに磨き上げたので気分がいいようです。
「アキラくん、もう寝るかい?」
 ちょこんとお父さんの膝の上におさまったアキラくんに、緒方さんはにこにこ笑って手を伸ばし
ます。アキラくんが握っていた2つのスプーンと、プリンが入っていたお皿を取ると、緒方さんは
また台所に行き、今度はすぐに戻ってきました。
「おふろは〜?」
「アキラくんは今日は止めてた方がいいんじゃないかな。ねぇ先生?」
「うむ」
 偉そうにするつもりはないのですが、もともと無口なお父さんは今日も厳かに頷きます。
「あ、でも着替えた方がいいかな。汗かいた?」
「ううん」
 アキラくんがふるふると首を振るのにも関わらず、緒方さんは軽やかに立ち上がってアキラくんの
着替えを抱えて来ました。緒方さんが持ってきたパジャマやおぱんつをコタツの中に押し込んで
いる間に、お父さんはお湯で濡らしたタオルでアキラくんの顔を拭いてあげます。
「気持ちいいだろう?」
「うん」
 アキラくんは目を閉じて、ふうと溜息をつきました。



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