病床小アキラ 21 - 25


(21)
 緒方さんがコタツで温めてくれたパジャマはほこほこしていて、アキラくんはご機嫌です。
「あったかーい」
「そうだろう? さあ、部屋に戻ろうか」
 当然のように両手を延ばしてくるアキラくんに緒方さんは苦笑しました。アキラくんはもう
十分一人でも歩けるのです。あまり抱っこしてばかりもよくないような気がしていました。
 気のせいか、背中に突き刺さるお父さんの視線も『抱っこはなるべく控えてくれないか』と
訴えているようでもあります。
「おがたくん、だっこ〜」
 ですが、『緒方さんの心アキラくん知らず』です。アキラくんはいつものように緒方さんの
足に抱き着き、そのままよじ登ってきそうな勢いでした。
(仕方ないな……。具合も悪かったし)
 アキラくんが聞き分けの良い甘えっこなのは昔からですが、今日は具合が悪くて頑張って
眠っていたのです。大好きなお父さんも留守にしていたし、多少甘えっこがひどくなっていても
仕方がないことかもしれません。
「……本当は、あんまりだっこしちゃいけないんだよ?」
 緒方さんはお父さんにも聞こえるように呟いて、不思議そうな顔で見上げているアキラくんを
ひょいと抱えあげました。
「どれ、私も行こうか。今日は私も一緒に寝よう」
「ほんとっ?」
 お父さんが頷くと、アキラくんは喜んでバンザイし、また緒方さんのあごを殴ってしまいました。


(22)
 居間からアキラくんのお部屋までは、まっすぐに長い廊下があります。アキラくんはそこを緒方さんに
抱っこされながら移動していました。
「ねぇねぇおがたくん、あしたはおそとであそんでもいいかなあ?」
 アキラくんは顔を上げて、いつもよりずっと近くにある緒方さんの顔を覗き込みました。
「どうかなぁ。お父さんがいいって言ったらね」
「ん〜〜〜〜。ねぇねぇおとうさん」
 お父さんは2人の後ろをゆっくりと歩いています。アキラくんは身体を伸ばして、緒方さんの肩
越しにお父さんにアピールしました。アキラくんの熱い瞳に見つめられたお父さんは、薄く微笑むと
歩く速度を少しだけ上げて2人に追いつくと、アキラくんのおでこに手を当てました。
「――明日熱が下がっていたら、な」
 お父さんは眉を顰めてアキラくんに言い聞かせます。ご飯を食べたせいもあるでしょうが、アキラ
くんのおでこはまた熱くなりつつありました。
「も〜〜」
 アキラくんがクチビルを尖らせて、ゆらゆらと前後に揺れます。
「アキラくん、ご飯食べた後でモーモー言ってると牛さんになっちゃうぞ」
「なったっていいもんっ」
 緒方さんはオヤオヤと苦笑し、アキラくんの横顔を見て驚きました。おそとで遊べないのが相当
悲しいらしく、アキラくんのつぶらな瞳にはまたウルウルと涙が浮かびあがってきていたのです。


(23)
「アキラくん……」
「なったっていいんだも……」
 緒方さんの首根っこにぎゅっと抱き着いたまま、アキラくんは固まってしまいました。小さな身体を
震わせながら、声を出さずにアキラくんは泣いています。緒方さんはよしよしと髪を撫でながら廊下を
歩き、やがて足を止めました。
「――アキラくん。ほら、顔を上げて見てごらん。うさぎちゃんがお見舞いに来ているよ」
 アキラくんはガバッと顔を上げると、両目をゴシゴシ擦って涙を拭い、緒方さんが指をさすところを
目を凝らして見つめます。
「うさぎちゃん……!」
 そしてアキラくんは気づき、小さく叫びました。部屋の灯りがこぼれて明るくなった雪の上や、昼間は
ゆったりと魚たちが泳いでいる池を囲む大きな石の上に、たくさんのウサギがいたのです。
 ちっちゃいのからおっきなものまで、数え切れないほどの真っ白なウサギが、廊下に立つ緒方さん
とアキラくん、そしてお父さんを取り囲むように集まっていました。
「ほう…」
 お父さんはその光景をしばらく見つめると、何度か頷いて緒方さんの肩をポンと叩きました。そして
一人で部屋の中に入っていきます。
「アキラくんに、『早く遊ぼうね』って、『早く元気になってね』って、うさぎちゃんたちは言ってるよ」
 ――そんな緒方さんの言葉を、アキラくんは夢見心地で聞いていました。


(24)
 ピチュピチピチュと久しぶりのスズメの鳴き声に、アキラくんは目を覚ましました。
 昨日の泣きたいような嫌な気分や頭の重さはどこかへ行ってしまい、アキラくんは壁側で眠って
いるお父さんと、障子側で眠っている緒方さんの様子を交互にそうっと窺いました。
 2人ともよく眠っていて、アキラくんが人差し指でほっぺたをツンツンつついても目を覚ます
気配はありません。
「――みんなねんねしてるねぇ…」
 アキラくんは自分に言い聞かせるように独り言を呟くと、んしょんしょと何枚も重ねられた掛け
布団の中から這い出してお布団の上に座りました。赤外線のヒーターが部屋を暖かくしてくれている
のでそれほど寒くはありませんが、アキラくんはお布団の上にかけてあったプーちゃん半纏に袖を
通します。
「うさぎちゃん……」
 小さな声で呟き、アキラくんはエイッと立ち上がりました。立ち上がると緒方さんのお布団を
踏みしめて歩いて、アキラくんはこっそりと障子を開けました。裸足で降りた廊下はひんやりと冷
たくて、アキラくんは一瞬飛び上がりそうになりました。ですが、頑張ってぺたぺた歩いていきます。
 朝起きたら、最初にアキラくんにはすべきことがあったのです。


(25)
 アキラくんはとてとてと8歩ほど不器用に歩き、辿り着いた縁側にかかっているカーテンを開け
ました。雪はもう降ってはいませんでしたが、太陽に照らされながらもまだ大分積もっています。
「うさぎちゃん、いるかなぁ…」
 ガラス越しにめいっぱい背伸びをして、アキラくんはドキドキしながら昨日緒方さんが見つけて
くれたウサギを探しました。
 『もしかしたら、明日の朝にはいなくなってるかもしれないね』――ごはんを食べている間に冷
たくなってしまったお布団を暖めながら、緒方さんはそんなことを言ったのです。アキラくんはウ
サギのことが気になって気になって、とても眠れそうにありませんでしたが、またぽつりぽつりと
お父さんと緒方さんが低い声で話をしはじめたのでいつのまにか眠っていたのです。
 ガラスにしがみつくように背伸びをしながら、太陽がキラキラと反射するお庭を、アキラくんは
目を一生懸命こらして見回しました。ですが、お庭はただただ白い雪が積もっているだけです。
「いないねえ…」
 アキラくんはがっかりして呟くと、頑張って伸ばしていた足をすとんと落としました。



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