病床小アキラ 6 - 10


(6)
 緒方さんは台所からリンゴと包丁を持ってくると、アキラくんの目の前でリンゴをぱかっと割って
うさぎりんごを6つ作りました。うさぎりんごをお皿に綺麗に並べていると、アキラくんが目を輝かせて
その様子を見つめています。
「起き上がれるかな?」
 緒方さんはアキラくんをひょいとあぐらをかいた自分の膝の上に抱っこしました。ぬくぬくのアキラ
くんが寒くないように、タオルケットでくるんであげます。
「寒くない?」
「うん」
 緒方さんの膝の上の感触が珍しいのか、アキラくんは何度か座り直して、やがてベストのポジションを
確保しました。緒方さんの胸に頭をもたせかけて、はふぅ、と深く息を吐きます。
「ハイ、どうぞ」
 お皿をアキラくんの前に持ってくると、アキラくんはうさぎりんごを一つ手に取りました。両手で持って
まじまじと観察しています。特に耳の付け根のあたりは念入りにチェックしているようです。
 緒方さんはその様子を笑いながら見守っています。
「――アキラくん、早く食べなきゃ色が変わっちゃうよ」
 促されて、アキラくんはようやくうさぎりんごを食べる気になったようです。
「うさぎちゃん、たべちゃってごめんね?」
 首を傾げながら心底申し分けなさそうに謝ると、アキラくんは小さなお口を大きく開けて、しゃくしゃくと
うさぎの形をしたりんごを食べてしまいました。


(7)
 しゃくしゃくしゃく、しゃくしゃくしゃくとアキラくんがりんごを頬張る音が規則的に聞こえてきます。
 アキラくんを抱っこしている緒方さんからは揺れる真っ黒のおかっぱしか見えませんが、アキラくんが
一生懸命りんごを食べている様子が手に取るようにわかりました。
 アキラくんはとにかく何に対しても一生懸命なのです。
「ねぇねぇ、おがたくんはたべないの〜?」
 にょっきりと目の前にりんごが差し出されて、緒方さんは何度か瞬きました。アキラくんが大きな
目をくるくるさせながら緒方さんのくちびるにりんごをくっつけてきたのです。
「おいしいよ?」
「…食べさせてくれるの?」
 思わず微笑むと、アキラくんはこっくりと頷きました。
「ハイ。あ〜ん」
 ハイトーンの声で促されて、緒方さんは照れくさい思いで口を開けました。アキラくんがすかさず突っ
込んできたりんごをかじると、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がります。
「おいしいでしょー」
 緒方さんがむいてくれたりんごなのに、アキラくんはまるで自分で育てたりんごが美味しかったのだと
言わんばかりに誇らしげに笑っています。
 ぷくぷくのほっぺたは相変わらず真っ赤ですが、アキラくんは随分元気になったようでした。


(8)
 んしょんしょと掛け声をかけながら、アキラくんは緒方さんの腕の中で方向転換をします。
「ウン、おいしいね」
「でしょ? おがたくんも、うさぎちゃんにごめんなさいだよ?」
 アキラくんの真剣な眼差しに、緒方さんはつい吹き出しそうになりました。
 しかし、アキラくんの真剣な表情は変わりません。緒方さんはヤレヤレと思いながらも、大きな声で
「うさぎちゃんゴメンナサイ」をしました。
 とりあえず頭を下げると、アキラくんもつられて頭を下げています。
「大分元気になったみたいだね」
 緒方さんはおでことおでこをくっつけてアキラくんの熱を計ると、きゅっと抱き着いてきたアキラくん
をゆらゆらと揺らしました。
「ん、熱も少しは下がったみたいだ」
「ほんと〜?」
 あふぅと大きくあくびをしながら、アキラくんは緒方さんに体重を預けてきます。
「本当だよ。頭がガンガンする?」
 アキラくんはぷるぷると頭を振ると、『ガンガンしなーい!』とはりきって右手を上げました。あんまり
はりきりすぎたので、アキラくんの小さな右手は俯いてアキラくんの様子を見ていた緒方さんのおでこを
直撃してしまいました。
「いたい……」
 アキラくんは泣きそうです。しかし、緒方さんの方が泣きたい気持ちでいっぱいでした。


(9)
 よく喋っていたアキラくんの口数が少なくなってきました。緒方さんがアキラくんの顔を覗き込んで
みると、アキラくんはゆっくりと瞼を下ろしているところでした。
 どうやらようやく眠くなったようです。
 緒方さんがそのままアキラくんをお布団の中に寝かせてあげようとすると、閉じられていた瞼がぱちっと
開いてしまいました。大きな黒目がちの瞳にぼんやりと見つめられ、緒方さんはまた座り直しました。
「眠くなっちゃった?」
「ううん…」
 緒方さんの胸にほっぺたをスリスリして、アキラくんは何度も瞬きします。そのたびに密集した長い
まつげが強調されて、緒方さんはアキラくんのまつげにマッチ棒を乗せてみたい衝動に駆られました。
 ですが、アキラくんを抱っこしたまま家捜しするわけにもいきません。緒方さんはアキラくんの背中を
ポンポンしました。
「寝るんだったらお布団に入ろうか」
「……や」
 アキラくんは緒方さんのシャツを掴む手にきゅっと力を込めます。
「まだねんねしないもん」
 今まさに寝ていたじゃないかと突っ込みたい気持ちがムラムラと湧いてきましたが、緒方さんは
ただ苦笑して、壁の方に移動して座り直しました。アキラくんがやがて全ての体重をあずけてきても
平気なようにです。


(10)
 アキラくんの背中を優しくポンポンしていると、次第にアキラくんのまぶたが下がってきました。
「おがたくんのね、――だよ……?」
 おでこを何度もスリスリしながらだったので、はっきりとは聞こえません。緒方さんは一瞬背中を
叩く手を止めて、アキラくんのチェリーの唇を見つめました。
「――え?」
「うさぎちゃん、ってボクいったよ?」
 ああ、さっきのしりとりのことか。緒方さんは微笑して背中ポンポンを再開させました。
(うさぎちゃんじゃなくてリンゴって言っただろ、キミは)
 アキラくんはしりとりのシステムを理解するまでに「リスちゃん!」だの「くまさん!」だの
「プーちゃん!」だので散々自滅していて、今回のしりとりがはじめて長く続いたものなのですが、
今はとても眠いのでしょう、いつもの調子に戻ってしまいました。
「ああ、それはオレが負けちゃったんだよ。次が思いつかなくてね」
「なぁんだー」
 アキラくんは満足げににっこりと笑うと、また緒方さんの胸のシャツをきゅっと掴み直します。

 やがてアキラくんがすぅすぅと寝息を立て始めるまでに、それほど時間はかかりませんでした。



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