病床小アキラ 56 - 59


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「それと、プリンも一応買ってきてはいますけど…どちらにしますか?」
 アキラくんは冷蔵庫のドアに手をかけ、くるりと振り向いて首を傾げました。
「いやぁ、風邪と聞いたらまずは桃缶ですよね緒方さん!」
 リンゴにプリンと聞いて、早速芦原さんが疑義を唱えます。それは緒方さんの家に行く前
から2人の間で交わされていた議論でもありました。
「大体さ、緒方さんがプリンなんて食べるわけないじゃんかアキラ」
「…と芦原さんがさっきからずっと主張してるんですけれど、どちらがいいですか?」
 真っ赤でつややかなリンゴと冷蔵庫から取り出したプリンを両手で抱えて、アキラくんは
にこにこ笑っています。アキラくんもご相伴に預かろうと思っているのでしょう。
 余談ですが、外と室内の温度差がかなりあるのか、笑みを浮かべたアキラくんのほっぺた
はうっすらと赤くなっていて、芦原さんが買ってきた桃の缶詰のパッケージに描かれた桃の
色にそっくりです。齧ったら甘いかな? と芦原さんは考え、イカンイカンと首を振りました。
「緒方さんもボクも、昔から病気のときはりんごとプリンなんです」
 プルプルと首を振る芦原さんを不思議そうな顔で眺めた後、そうですよね? と、アキラ
くんは緒方さんに同意を求めました。
 アキラくんが小さいころから、『リンゴは身体にいいからたくさん食べなさい』とか『プ
リンは栄養がたくさん入っているから食べなきゃね』などと口癖のように言っていたのは
緒方さんでした。当の緒方さんは苦笑しながらも頷くほかありません。


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 アキラくんの両手に抱かれた大きなリンゴと、アキラくんのほっぺたの色にそっくりな桃の
缶詰をしばらく交互に見比べていましたが、緒方さんはやがて「リンゴをもらおうか」と掠れ
た声でリクエストしました。
「普通、風邪なら桃缶って相場が決ってるのに……」
「悪いな、芦原」
 緒方さんが口先だけでも謝ってくれたことに気を良くしながらも、芦原さんは拗ねてテーブ
ルの上に“の”の字をくるくると書き続けました。
 その傍らでは、アキラくんは張り切ってセーターをたくし上げています。
「りんご、ボクが剥いてあげますね」
 アキラくんはキッチンの棚から小さなナイフを取り出すと、テーブルの上にリンゴとナイフ
を並べて置きました。アキラくんはあまり手先が器用ではありません。そのことをよく知って
いる緒方さんと芦原さんはぎょっとしてアキラくんを見上げました。
「アキラくん…できるの?」
「オレがやってやろうか、アキラ」
 料理が得意な緒方さんと芦原さんは口々にアキラくんを心配しています。具合が悪いことも
忘れてしまったのか、緒方さんはすでにナイフを右手に握り締めていました。


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「大丈夫ですよ……多分」
 大人2人がヒヤヒヤしながら見守る中、アキラくんはリンゴを半分に切り、それをまた半
分に切り、さらに半分に切りました。緒方さんの管理がいいのか、ナイフは抜群の切れ味で、
アキラくんが少し力を入れただけで、スパーンスパーンと小気味良い音をさせながらリンゴを
分割していきます。まな板の上で割れたリンゴの片方がゴロゴロとテーブルの上に転がって
いくのを、芦原さんは何か恐ろしいものに出会ってしまったような表情で見守りました。
 緒方さんに至っては、気を紛らわせたいのか、両手を握ったり開いたりしています。
 失礼な。アキラくんは頬を膨らませてそんな2人を睨み付けて、ナイフを握り直しました。
 アキラくんはまだ誰にも言っていませんでしたが、一人暮らしを考えていたのです。
「緒方さんには、早く元気になってもらわなきゃならないんです」
 かつて緒方さんがアキラくんの為にそうしてくれたことを思い出しながら、アキラくんは
リンゴの皮に切れ目を入れ、恐る恐る端っこの方からナイフを刺し入れました。
 切り口がガキガキになってしまったリンゴの真っ赤な皮をぶちっと手でちぎり、ナイフで
更に細かく切っていくアキラくんは鬼気迫る表情です。
「な…何を作る気? アキラ」
「うさぎりんごです……アッ!」
 口を動かしてしまったのが敗因か、それとも力を入れすぎてしまったのか、アキラくんは
ウサギの耳を片方切り落としてしまいました。


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「別にそれでも構わんが…」
 緒方さんは苦笑しながら手を伸ばしました。ですが、アキラくんはリンゴを掴んだまま首
を振りました。緒方さんにはちゃんとしたうさぎりんごを渡したかったのです。
「あと少しだったのに…」
 悲愴な表情で耳を摘み上げるアキラくんからリンゴを取りあげ、芦原さんはそれをシャク
シャクと片付けてしまいました。
「失敗作はオレが食べてやるよ。早く次にかかれアキラ、黄色くなっちゃうぞ」
 アキラくんは頷いて、次のリンゴにナイフを入れました。
 昔から、ウサギのリンゴはアキラくんの元気のもとです。
 風邪を引くたびにウサギのリンゴがアキラくんに元気を連れてきてくれたのです。
「うさぎのりんごを食べて、早く元気になってください」
 3分の2の確率で成功したウサギリンゴを皿に乗せて、アキラくんは緒方さんの目の前に
そうっと置きました。耳が短いのから、細長いのまで、いろんなウサギがお皿の上で丸くなっ
ています。
「ボクと対戦して、『風邪ひいてたから全力を出し切れなかった』なんて言い訳、してほしく
ありませんから」

 緒方さんとアキラくん、2人の初めての対局はすぐそこまで迫っていました。

                     やっとおわり



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